2020年9月13日 礼拝説教「わたしだ。恐れることはない」

ヨハネ6:16~21
イザヤ43:1~7

田村博

主イエスが、湖の水の上を歩かれたという場面は、とても印象的ですので、聖書で一度読んだら忘れられない箇所かもしれません。この4月からヨハネによる福音書を礼拝の聖書箇所として順番に取り上げ、今日、この箇所に差しかかりました。皆さん、この箇所を読まれてどんな印象を持たれたでしょうか。

あれ、弟子たちが主イエスのことを「幽霊だ」と思って叫んだのではなかっただろうか? すなわち、もっと詳しく具体的に記されていたのではなかったっけ…と思われた方もいらっしゃるかもしれません。それは、マタイによる福音書とマルコによる福音書です。

また、主イエスの一番弟子ペトロが出てきて自分も水の上を歩かせてくださいと申し出、歩き始めるのだけれど、すぐに風を見て怖くなり溺れかけて主イエスに助けられたのではなかったっけ…と思われた方もいらっしゃるかもしれません。そう、それはマタイによる福音書です。

なぜ、マタイ、マルコに比べると、このヨハネによる福音書では、明らかにあっさりと記されているのでしょうか? あまり重要ではないと考えてそうしたのでしょうか? 何度か、この箇所を読んでいるうちに、マタイ、マルコにはない別のメッセージが込められていることに気づかされました。

マタイ、マルコでは、湖の上に浮かぶ舟に弟子たちが乗り込んだ時の様子について、こう記されています。

・マタイ14:22~23

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。

群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。」

・マルコ6:45~46

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。」

いずれも、主イエスが、あまり気の進まない弟子たちを急かせて舟に乗せ、出発させたと伝えています。5000人以上の人々が満腹するという出来事があった直後です。余ったパンくずだけでも十二の籠にいっぱいありました。その御業をなさった主イエスを見る人々の目は、あきらかに違っていました。来るべきメシアへの期待が言葉にせずともほぼ全員の心の中に宿っていた、と言えるでしょう。ヨハネによる福音書、先週の最後の箇所では、「自分たちの王にするために(主イエスを)連れて行こう」とした人々がいたことが記されています。弟子たちも悪い気はしなかったでしょう。自分たちの師の力が、実力が認められたのですから。ところが、主イエスの行動は、その期待に便乗するものではありませんでした。逆に群衆を解散させ、弟子たちを舟に乗せ、ただ一人祈るために山に退かれたのです。

ヨハネによる福音書も、15節にあるように「ひとりでまた山に退かれた」ことをしっかりと伝えます。そして16、17節です。「夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。」

まるで弟子たちが自分たちの判断で、いつまでたっても戻ってこない主イエスを待ちきれずに舟に乗り込み、出発したかのように記しているのです。

実際の出来事としてはどうだったかと想像すると、マタイ、マルコの伝えるように、主イエスが弟子たちを強いて舟に乗せ、先に行かせた…は、おそらく、その通りだったのでしょう。しかし、ヨハネによる福音書の著者ヨハネは、この一連の出来事を通して、弟子たちの心の中にあった“一つの思い”を見逃さず、伝えているのです。それはヨハネ自身の心にあったものでしょう。つまり、主イエスが、強いて舟に乗せたゆえに現れなかったのですが、もし強いて舟に乗せていなければ、弟子たちの心にその“一つの思い”は残り続け、それが表面化したであろう“一つの思い”です。

それは、「祈るために山に登ってしまい、あたりが薄暗くなっても戻ってこない」主イエスへの不満です。最初は、戸惑いのようなあやふやな感情だったかもしれません。主イエスが祈りに山に向かったまま、いつまでたっても戻ってこない!

ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは漁師でした。雲の流れ、風の向き、気温の変化などから、これはもしかしたら天気が荒れるかもしれないぞ、そのうちの誰かがつぶやいたのかもしれません。実際、ガリラヤ湖は、その立地条件から急激な天候の変化をする湖でした。

ガリラヤ湖は、湖といってもとても大きな湖でした。周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさで、面積は166平方キロメートル。最大深度は43mです。芦ノ湖の面積は約7平方キロメートルですので、23個分です。ちなみに、琵琶湖は約670平方キロメートルでガリラヤ湖よりずっと大きいのですが、日本では霞ケ浦220平方キロメートル(第2位)と北海道のサロマ湖約152平方キロメートル(第3位)の間の大きさです。水深は43メートルのガリラヤ湖ですが、海抜はマイナス213メートルという特別な地形に位置しています。それゆえ、しばしば突風が発生し、漁師の命を奪うこともありました。命を呑み込む不気味な存在ゆえに、単なる「池」をあらわす単語ではない、「サラッサ」というギリシア語を用いて記されています。それゆえ、口語訳では「海」とあえて訳していました。(口語訳から新共同訳になったとき「海」でなくなったことを嘆く牧師の声をしばしば聞きました。)(聖書協会共同訳でも「海」にはなりませんでした。)

いつ天候が急変するかわからないガリラヤ湖。にもかかわらず、主イエスはただ一人「祈るために」山に行かれいつまで待っても戻ってこなかったのです。

「夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。そして舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。」というこの行動の根底には、主イエスの「祈り」の行動への無理解と不満があるのです。著者ヨハネは、弟子たちの心の中にあった、この“一つの思い”を見逃さず、伝えているのではないでしょうか。

「祈り」より、具体的なアクションの方を、わたしたちも重んじがちかもしれません。何時間「祈って」も、物理的に何も変化がないように思い、それならば、立ち上がって行動をした方が、ずっと生産的で、神さまも喜ばれると、しばしば考えてしまいます。

もし、わたしが牧師館にいるとき、誰かが訪ねてきたとします。牧師館で誰かと面会中だったら、玄関に出た妻は「今、面会中なので…」と、もう少したってから再び来てもらうようにお願いすることでしょう。しかし、わたしが「今、お祈り中です」と部屋から返事したら、「今、お祈り中なので…」と、出直してもらうことができるでしょうか。お祈りならば中断できる。お前にとってお祈りとはそのようなものなのか。神さまとの対話とは、そのようなものなのか。あらためて問いかけられたような気がいたしました。

ヨハネによる福音書の著者ヨハネは、弟子の一人として、5000人が満腹したあの出来事の直後、確かに、自分たちは「ひとりで山で祈り続ける主イエス」に対して、“もう、待ちきれない、暗くなってしまう!”という思いを抱いていたことを告白しているのです。

心配していた通り、強い風が吹き、湖は荒れ始めました。すでにもとに戻るには遅すぎました。なかなか前進できない。岸から25~30スタディオン、すなわち5~6キロメートル漕ぎ出したところでした。

主イエスが、舟に近づいて来られるのを見て、彼らは「恐れ」ました。主イエスが助けに来てくれた、という喜びではありませんでした! マルコでは、主イエスが「そばを通り過ぎようとされた。」とあります。

マルコだけ読んでいると理解に苦しむ一言です。でもヨハネと合わせて読むとき、「自分たちで出発したのだろう。まだ、その歩みを続けようとするか。」という、主イエスの問いかけがこの行動にあらわれていることに気づかされます。

戸惑いと混乱の中にある、そのような弟子たちに、主イエスは、語りかけてくださるのです。

「わたしだ。恐れることはない。」

このお言葉が、すべての戸惑いと混乱を払拭しました。

このお方こそ、“わたし”にとって本当に必要なお方であることを、彼らは、その瞬間実感したのです。

「イエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。」

これは、自分のもがき、自分のあせり、それこそが、前進をさまたげていた原因であることを知り、本当に必要なお方、主イエスを迎え入れたとき、いかに速やかに、驚くほど瞬く間に、前進できるかという、不思議に思えるほどの事実をあらわしています。

9月22日(火)は、教会修養会です。第69回という冠が着いています。

第1回修養会は1951年(昭和26年)9月24日(月)でした(60年史にて確認)。1951年(昭和26年)とは、茅ヶ崎教会におきましては、特別な年です。1951年4月15日の礼拝を最後に、それまで礼拝をささげていた場所を離れ、以後、場所を借りて礼拝をささげ始めました。すなわち目に見えるところの会堂を持たない教会として歩み始めたのです。しかし、直後に一教会員から土地(今、わたしたちが礼拝をおささげしている土地)がささげられ、教会は会堂建設委員会を組織します。翌1952年(昭和27年)4月から、教会員の労働奉仕により松林の土地が整備され、基礎コンクリート打ち、ブロック積み、すべて奉仕により125回の作業が重ねられ、1954年4月18日のイースター礼拝をささげるに至っています。目に見える教会を建て上げるにつけて、目に見えない教会、キリストの体である教会を建て上げることの大切さについて御言葉に聴き続ける必要がありました。教会修養会はそのような思いと共にスタートしたのです。

今年度、コロナ禍の中で、修養会サブ部門の皆様も工夫をしてくださり、昼食をとらずに1時前には終えるようなプログラムを組み、なんとか開催にこぎつけました。

わたしたちは、この地上では、さまざまな考えや思いが心を満たしそうになるという経験をいたします。嵐の中に取り残され、前進できないような状況に陥ることもあります。個人も、教会もしばしばそのような経験をいたします。万事休すのように感じます。近づいてきた主イエスを見て恐れを抱いた弟子たちのように、混乱の中で途方に暮れるときがあるかもしれません。

しかし、そこは新たな歩みの出発点なのです。そんなわたしたちに、主イエスは、はっきりと声をかけられます。「わたしだ。恐れることはない」と! このお方こそ、自分の舟に迎え入れるべきお方であることを教えてくださいます。そして到達すべき地点へと導いてくださるのです。

主イエスの祈り、それは、そのような弟子たちのための祈りだったのです。わたしたちも、祈りつつ修養会を迎えたいと思います。

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