牧師 田村 博
☆3月に今澤洋司兄、そして6月に本間俊二兄と、相次いで共に信仰生活を歩んできたお二人が主の御もとに召されました。地上の別れは、少なからず悲しみと痛みを伴うものです。もし、これが永遠の別れだとするならば、そこにいかなる希望を見い出そうとしても見い出すのが難しく感じることでしょう。しかし、主イエスは語られました。すでに召されたアブラハムらの名をあげて「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」と。私たちの知識の領域に規定されうる「霊魂」なるものが不滅であるという意味ではありません。神様に覚えられ続け、そこに確かに存在し続ける「つながり」があるのです。主イエスは今生きておられ、そのつながりの「要(かなめ)」「頭(かしら)」として、まなざしを注ぎ続けてくださっています。
☆牧師館・集会所の玄関前に、何株かのアジサイが見事な花を咲かせています。いずれも6年前に牧師館・集会所が献堂された時に植えられたものですが、数年の月日を経てすっかり堂々とした姿になり、「ここはボクの場所だよ!」と自己主張しているかのようです。その隣には松の木があります。誰が植えたわけでもないのに、松ぼっくりが何らかの方法でそこにたどり着き、根を張り、芽を出し、枝をたくわえ、空に向かってグングンとその身を伸ばそうとしています。少し離れたところにも同じぐらいの背丈の若い松がもう一本元気に育っています。松の木といえば、駐車場にはすでに2本の松の大木があります。現会堂建築時(1952~54年)以前からそこにいて70年以上の年月、茅ヶ崎教会の歩みを見守ってくれている2本の松の大木です。しかし、植物には世代交代があるのもまた事実です。若い2本の松の木は、2本の大木に向かって「大丈夫だよ、いつでもバトンタッチできるよ!」と語りかけているようです。現在、教会の駐車場には5台の車を並べて駐車できるように線が設けられています。そのあと、2~3台を頭から突っ込んで、計7台ほどの駐車が可能です。もし駐車場東側の接道部分をスロープ状に開口すれば、5台の前にそのまま5台の駐車が可能になり、計10台の駐車ができるようになります。また、もし車椅子出入り用の通路を確保するならば、4台並列の線を新たに引き直して、ゆとりをもって駐車することが可能になるでしょう(その場合は総計8台の駐車となりますが)。臨機応変に8台、10台を使い分けてもよいかもしれません。会堂の外装、内装の工事が完了し、あと整備するべきところといえばやはり駐車場でしょう。タイミングをしっかりと見極めて、よき決断をすることができるようにと願っています。
