2008年4月20日 礼拝説教「サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」

イザヤ書53章1~6節
使徒言行録9章1~19a節

櫻井重宣

ただ今、使徒言行録9章1節から19節の前半のところを司会者に読んで頂きました。この箇所には「サウロの回心」という表題がついています。サウロは初代の教会で大きな働きをしたパウロのユダヤ名で、呼びかけるときは、サウルとなります。
 今日の箇所にサウロの回心の様子が記されていますが、後にパウロと呼ばれるようになったサウロは三回も大きな伝道旅行をし、地中海の沿岸、小アジア地方にたくさんの教会を形作った人です。また、新約聖書にはマタイによる福音書からヨハネの黙示録まで27の書物がありますが、27のうち13、すなわちローマの信徒への手紙からフィレモンへの手紙までがパウロの書いた手紙です。パウロの働きがあってはじめてイエス様の教えがユダヤの人々だけでなく世界の人々に伝えられたといっても言い過ぎではありません。
 サウロが初めて使徒言行録に登場したのは7章の後半でした。こう記されていました。57節と58節をお読みします。
≪人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。≫
さらに8章1節には≪サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。≫とあります。 人々がステファノに石を投げることに立ち会った、もっというなら石を投げ、殺すことを承認した、ゴーサインをだしたのがサウロなのです。そして8章3節にはこうあります。≪一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。≫
 そして今日の箇所になるわけですが、9章1節と2節をもう一度読んでみましょう。 ≪さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。≫
 ダマスコはエルサレムから直線でも200キロ以上北の方の町です。サウロはイエス様の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んでいたとありますが、サウロの意気込みが並々ならぬものであったことがわかります。とにかく200キロも離れたところまで、キリストに従う人を追いかけ、殺そうとするのですから。息をはずませながら、ハア、ハアと激しい息づかいでイエス様に従う人を探し出そうとしているサウロの姿が見えるようです。 ところが3節と4節を見ますと、≪サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。≫というのです。 「なぜ、わたしを迫害するのか」という天からの声に、サウロはその声がだれの声なのか分からず、「主よ、あなたはどなたですか」と言いますと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と天から答えがありました。 「わたしは、あなたが迫害しているイエスだ」というのはとても強い言い回しです。「あなたが迫害しているイエス、それはまさにわたしだ。そのわたしがここにいるのだ」、そのように訳してもいいと思います。
地に倒れたサウロにとって、この天からの声は大きな衝撃でした。サウロが迫害していたのは、イエス様を信じ、イエス様に従う人々でした。けれども、天からの声は「なぜ、わたしを迫害するのか」なのです。
このダマスコ途上でイエス様にお会いする前のサウロは、人との比較で自分の優位なことを誇る、そうした人でした。フィリピの信徒への手紙で自分のことをこう記しています。
≪わたしは生まれて八日目に割礼を受け、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。≫
そのサウロが地に倒れて、天からの声に大きな衝撃を覚えたのは、自分はこれまで他との比較で自分がどんなに優れているかを誇っていたのに、イエス様という方は誰かが苦しむと、御自分も苦しむ、誰かが迫害されると、御自分も痛む、そういう方だということを知ったからです。


 わたしは、このサウロのことでいつも思い起こすのは、水俣病で苦しんでいた母親と娘さんのことです。この親子のことを知ったのはもう40年近く前ですが、水俣病の苦しみはこういうことなのかと思わされ衝撃を受けました。水俣病ということがまだ分らないときでしたので、彼女は妊娠しているとき、水俣湾の魚を食べていました。出産した時、生まれた赤ちゃんが水俣病でした。どうしてかと言いますと、お母さんが食べた魚の中にあった水銀が胎盤を通して赤ちゃんの体に入り込み、お母さんは病気にならないで、赤ちゃんが水俣病になったのです。そのお母さんは自分がかかって当たり前なのに、自分の娘がいうならば自分の身代りになって障害を負ってしまった、そのことを知り衝撃を受けたのです。そのためなんとしてでもこの子どもと一緒に歩んでいくということをおっしゃっていたことを忘れることができません。 サウロが覚えた衝撃はあの水俣のお母さんが覚えた衝撃と重なるものがあります。


 打ちのめされていたサウロに、イエス様は≪起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。≫とおっしゃいました。
そして7節から9節にこう記されます。 ≪同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見なかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。≫ サウロの衝撃の大きさが伝わってきます。自分のそれまでの歩み、生き方が崩れ、壁にぶつかり、周りも見えなくなり、食べたり飲んだりする意欲も無くなってしまったのです。 こうしたサウロにイエス様が用意されたのは、ダマスコにいるアナニアという弟子です。
 10節から12節を読んでみましょう。 ≪ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」≫
 私たちが深い思いにさせられるのは、イエス様がアナニアにサウロのことを告げるとき、「今、彼は祈っている」とおっしゃっていることです。彼は文字通り、暗闇の中で出口が見えずにいます。それまでの生き方が崩れ必死にもがいています。そうしたサウロを、イエス様は「今、彼は祈っている」、祈っている人だというのです。
 詩編にこういう詩があります。 「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。」深い淵というのは、底なしの深みです。詩人は、その底なしの深みから、主よ、と声を限りに叫んでいます。イエス様はサウロを、深い淵から、主よ、と声を限りに叫んでいる人だというのです。
 けれどもアナニアは不安でした。13節、14節を見ますと、イエス様にこう答えています。
≪しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求めるすべての人を捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」≫
 サウロのことは聞いています。どうしてあの人を、よりもよってあの人のところに行って、彼のために祈らなければならなのかと、とまどいの思いをアナニアは率直に述べるのです。
 そうしますと、イエス様はアナニアに「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」とおっしゃったのです。
 イエス様はだれかが迫害されると御自身も苦しまれるわけですが、イエス様のことを宣べ伝える人も苦しむ、そのことをサウロに示したいとアナニアにおっしゃったのです。 アナニアはこうしたイエス様の言葉を聞いて、出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いてこう言いました。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」そうしますと、サウロの目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになりました。そこで身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻しました。
私たちが使徒言行録を学ぶとき、いくたびも心に留めていることですが、ここでもアナニアはサウルに向かって、「兄弟サウル」と呼びかけています。ペトロがイエス様を三度知らないと言ったとき、鶏が鳴いて思い出したイエス様の言葉は「あなたは立ち直ったら、あなたの兄弟たちを力づけてやりなさい」でした。アナニアもサウロに私の兄弟と呼びかけることができたのです。

 こうした回心を経験して、パウロはキリスト者となり、さらに伝道者として歩むようになったわけですが、パウロにとってこの時の経験が原点となり、その後の歩みに大きな意味をもったことを思わされます。  パウロはコリントの教会に宛てた手紙でこういうことを語ります。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかが、つまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」 
 これもコリントの教会に宛てた手紙ですが、その手紙で教会を体にたとえています。どの部分も同じ重みを持っていること、そして一つの枝が苦しむと、すべての枝も苦しむ、一つの枝が尊ばれれば、すべての枝が共に喜ぶというのです。
パウロは、ダマスコ途上で「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という天からの声を聞いたことと、アナニアを通して、イエス様は「わたしの名のために、どんなに苦しまなければならないか」と言われたことを生涯にわたって問い続けたのです。

 長い間、東京の信濃町教会の牧師をされた福田正俊先生が、信濃町教会の礼拝説教で、89歳で召された教会の高齢の婦人のことを紹介しながらこういうことを語っています。 「その婦人は、その病床において最後の日まで自分に安らうということができなかった。何かに仕えたいという義務の感じでいっぱいであった。ある方が冬の日、病床を見舞ったとき、『こんなに暖かくして申し訳ない』と、なんのはずみか言ったそうである。この突拍子な言葉を最初理解できなかった。しかしやがて想い出したのは当時進行中の朝鮮戦争のことであった。その戦場の悲惨さを思うと、こうして冬の病床で安閑としていることが相済まぬという意味であったという。」 そして、福田先生は、このような良心の苦悩を負う人間の集まりであって初めて教会と呼ばれるにふさわしいとおっしゃるのです。
 私たちの茅ヶ崎教会も、そうした教会でありたいと願うものです。

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