牧師室の窓から 2014年12月

★12月14日(日)、待降節第三主日の午後、教会学校のクリスマス礼拝が行われました。久しぶりに、聖誕劇(ページェント)を取り入れた礼拝を行いました。「イエスさまのたんじょう」という題の下に、預言―受胎告知―誕生―羊飼い―博士―わたしたちの救い、というテーマで、聖書の言葉と讃美歌を交互にして、子どもと教師、総出で行いました。教会学校教師が尽力し、天使、マリア、ヨセフ、羊飼い、羊、博士、王には、衣装が用意されました。あらかじめ、脚本は子どもたちには届けられていたものの、練習は一度もできず、ぶっつけ本番でしたが、とてもよい聖誕劇でした。説教のあとの献金の祈りも子どもが担当し、心を込めて祈ってくれました。当日の参加した子どもは、教会員の子女、孫、平和学園小学校の生徒、計14名でした。教師8名、大人23名を加えると45名の参加でした。参加して頂けませんでしたが、ご近所の子どもさんたちにも教会学校教師が一軒一軒お訪ねし、ご案内のカードをお届けしました。当日、教会員の方々も参加し、祈って頂いたことはとてもうれしく、励まされました。

★教会学校のクリスマスの二日後16日、パキスタンのペシャワルで軍系列の学校をイスラム過激派の反政府武装勢力の「パキスタン・タリバ―ン運動」が襲撃し、児童生徒132名、教職員9名、合計141名が殺害されました。武装集団7名も全員殺されたので、148名が犠牲になりました。クリスマスを前にして、こうした子どもを標的にするテロがなされたことに大きな衝撃を覚えます。
 マタイ福音書2章に記される、ヘロデ王によるベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子虐殺をテキストにしてボンヘッファーが説教しています。その説教にこういう一節があります。「イエス・キリストの血の証人たち(虐殺された子どもたち)を悲しむ叫びがわき起こる。そして、それは世の終わりまでもはや止むことはないであろう。・・・しかし、この何の慰めもない悲しみの叫びのただ中に、イエス・キリストは生きてい給い、われわれが彼と共に苦しむならば、我々も彼と共に生きるであろう、という大いなる慰めがある」と。 パキスタンの悲しみのただ中にキリストがおられ、その悲しみを共にして下さっていることに慰めを見いだしたいと願っています。
 子どもたちの命を守ることができない時代であることに責任を深く覚えます。次代を担う子どもたち、若い人々のために祈り続けたいと願うものです。

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