2015年1月11日 礼拝説教「わたしたちの患いを負う主イエス」

イザヤ書53:1~10
マタイによる福音書8:14~17

櫻井重宣

今、わたしたちは、マタイによる福音書8章を学んでいますが、ここには、山上の説教を終え、山から下りてこられたイエスさまが、病気に苦しむ人、一人一人にどう関わったかが記されています。
 山を下りたイエスさまに大勢の群衆がついていったのですが、まずイエスさまは重い皮膚病を患う人に手を差し伸べてその人に触れ、清くされました。また、イエスさまの伝道の出発点であるカファルナウムでは百人隊長の僕の病気をいやされました。
 福音書記者マタイは、大勢の群衆がついていったのですが、癒されるときは一人一人だということを強調しています。手を差し伸べるとありますように、ひとりひとりに手を差し伸べていやしておられるイエスさまの姿をマタイは書き記します。
 前任地の教会に開業医がおられました。赤ひげ先生のように地域の人から信頼されている先生でした。往診を大切にされ、患者さんを訪ねると、必ず手をとって、脈を診、いかがですかと声をかけることを大切にしておられました。その方が大きな病院に入院され、手術を受けたことがあります。その時の感想を退院してからおっしゃっていたのですが、自分に相対する医者のほとんどが自分に手を差し伸べることがなかった、どの医者もデ―タだけみていた、と。  

 ところで、本日はただ今お読み頂いた8章の14節から17節に思いを深めますが、先ず冒頭の14節と15節をもう一度読んでみましょう。

「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。」

 カファルナウムにあったのでしょうか、ペトロの家に行きますと、しゅうとめが倒れていて、高熱で苦しんでいました。
 カファルナウムはイエスさまの伝道の出発点でした。イエスさまがカファルナウムの住民となって、「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」と語って、伝道を開始されたすぐ後、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、漁師であった二人の兄弟、ペトロとアンデレが湖で網を打っているのをイエスさまは御覧になって、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とおっしゃって二人を招かれました。そうしますと、二人は網を捨ててイエスさまに従いました。その後、ゼベダイの子ヤコブとヨハネに同じように声をかけられると、二人はすぐ舟と父親を残してイエスさまに従いました。
 八木重吉の詩に「私の詩」という詩があります。わたしが心を惹かれる詩です。こういう詩です。

 「裸になってとびだし 基督のあしもとにひざまずきたい
 しかしわたしには妻と子があります すてることができるだけ捨てます
 けれど妻と子をすてることはできない
 妻と子をすてぬゆえならば 永劫の罪もくゆるところではない
 ここに私の詩があります これが私の贖(いけにえです。」

 ペトロもそうでした。妻を、しょうとめをかかえてイエスさまに従ったのです。パウロが書き記したコリントの信徒への手紙には、ペトロや他の使徒たちの中には妻と一緒に伝道していたことが記されています。
 ですから、ペトロは結婚し、妻の母親と一緒の生活をしていたので。そのペトロの家に行ったところ、しゅうとめが倒れていました。どうしたのかと思うと、高い熱があった。イエスさまはしゅうとめの手に触れると、熱は彼女から離れた、癒されたのです。熱が去る、離れる、と病気も人格を持つものとして表現されていますが、イエスさまはその病に苦しむペトロのしゅうとめの手に触れられたのです。イエスさまはペトロのしゅうとめに人格的に、一対一で関わられたのです。心を込めて、全力で関わられたのです。
 マザー・テレサさんが、「ものごとを大規模にやるという方法にわたしは不賛成です。わたしにとって大切なのは、ひとりひとりです。わたしは一対一というやり方を信じています」とよく語っていますが、マザー・テレサさんは一対一というやり方をイエスさまから学んだのです。
 イエスさまが、一対一で関わって下さり、病がいやされ、起きあがったペトロのしゅうとめはイエスさまをもてなした、とあります。「もてなす」と訳されている語は、ディアコネオ―です。仕えるという意味です。イエスさまが自分は、仕えられるためではなく、仕えるために来たとおっしゃっています。イエスさまが わたしたちのために身を低くして仕え、最後的には御自分の命を差し出してくださる、それがディアコネオ―です。
 これは翻訳の問題ですが、女性なので、「もてなした」と訳したのではないか、と思われます。イエスさまに仕えた、と訳すべきです。この出来事を通して、ペトロや妻だけでなく、ペトロの妻のお母さんもイエスさまに仕える歩みへと導かれたことをマタイは伝えたいのです。

 16節を読んでみましょう。

 「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。」

 今の時代もそうです。悪霊に取りつかれたとしかいいようのない病や苦しみに悩む人々がいます。私たちの周辺もそうです。イエスさまは悪霊に取りつかれた大勢の人たち一人一人に「悪霊よ、出ていけ」と言葉でもって関わられ、病人を一人一人いやされました。
 言葉で追い出したとあります。わたしたちは人の言葉に傷つき、つまずきます。しかし、他方、ことばのいのちは愛であるとありますように、言葉で慰められ、励まされます。イエスさまはことばで悪霊を追い出され、病人は皆いやされたのです。

 ブルームハルトという牧師がいました。メットリンゲンという村の教会に赴任したとき、一人の病に苦しむ若い女性に出会います。悪魔が支配しているとしか思えない苦しみを負う彼女にどう関わるかが牧師として先ず問われました。ブルームハルトは、「私たちは悪魔の罠にからめ取られている人のことで、神の前で嘆き、呻いた。神が、サタンを足の下に踏みつけてくださるよう祈った」、と語っています。しかし、彼女はなお痙攣で苦しみ続けます。医者も癒せません。しかし、ある医者から、「病人をこのような状態にしておくとは、この村に牧師が一人もいないのだと思うかもしれない」と言われました。この言葉がブルームハルトの心を貫き、牧師はこうした苦しみを持つ人に関わり、祈るべきことを示され祈りました。数年後、彼女のうちから悪霊がでていきました。
 わたしも、牧師として40数年歩む中で、悪霊に支配されているとしか思えない人々に出会っています。そうしたときに、ブルームハルトが聞いた、「彼女をこのままにしておくと、この村に牧師が一人もいない」という言葉を思い起こし、その人のために祈り続けています。

 イエスさま、カファルナウムで、病に苦しむ人、さらに悪霊に取りつかれた人、一人一人に全力で相対されたのです。この世界にイエスさまという羊飼い、牧師がいた、という事実の重みがあるのです。

 最後の17節にこう記されます。

 「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 『彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。』」

 引用されているのは、イザヤ書53章の苦難の僕の歌です。イザヤ書53章は、ユダヤの国が望みを持つことが最も困難な時代に生きた無名の預言者の言葉です。戦争に敗れ、バビロン捕囚が半世紀 みんな疲れ、望みを持つことが難しい時代でした。その時代に生きた預言者に与えられた使命は、わが民を慰めよ、でした。神さまは、イスラエルの人々をわたしの民とおっしゃっておられます。けれども、慰めをもたらすことは困難でした。そうした苦悩から、神さまの僕しか人々に真の慰めをもたらすことが出来ないということで、四つ主の僕の歌をうたいました。
 主の僕は、傷ついた葦を折らない、ほのぐらい灯心を消さない、しかし、真実をいいかげんにしない、と。けれども、そうした主の僕は自らの働きに徒労を覚える、しかし、神さまはどんなに時間がかかっても、傷ついた葦を折らないという仕方で福音を地の果てまでもたらす、と。そして最後に、苦難の僕の歌をうたうのです。 
 主の僕は、恰好のいい人でない、見るべき姿もない、威厳もない、侮られて 人に捨てられるような人だ、と。
 マタイは、イエスさまは苦難の僕だ、と告白するのです。悪霊を追い出す、 病人をいやすというと、強いメシア、かっこうのいいメシアを思い浮かべますが、そうではない、わたしたちの患いを負い、病を担う方だというのです。
 ペトロのしゅうとめを癒すイエスさま、悪霊を追い出し、病人を皆いやさる イエスさまはわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになっておられるのだ、というのです。  

 クリスマスの前に、パキスタンで学校が襲われ、児童生徒132人を含め150人近い人々が犠牲になりました。新年早々には、フランスで新聞社が襲われて犠牲になった方々が20人近くいました。教会は、こうした時代のただ中で、時代の、世界の苦しみ、患いを負い続けるイエスさまを証しする使命と責任があります。
 クリスマスのときにも、写真家土門拳さんの中尊寺を撮るときの文を紹介しましたが、薬師寺の塔を撮るとき、こういう文を書いています。
 美しいものは、そして眼に見えるものは必ず写るというのが土門拳さんの持論です。ある時、日が暮れた後、薬師寺の塔に向けてカメラを助手たちにセットさせたというのです。露出計をにらんでいた助手たちは、もう写りませんと言ったとき、土門さんはまだ見えるとどなりつけ、ありったけのフラッシュを閃かせたというのです。そして一時間シャッターを開けっぱなしにして、一寸先も見えなくなったとき、撮影を終了しました。撮影が終ったあと、写ったかどうかで助手たちとかけをしたそうです。助手たちは写っていない、土門さんは写っている、と。そして現像したら、フィルムは真っ黒だったそうです。そして助手たちは、自分たちは勝ったと言って、土門さんからお金をまきあげていったというのです。
 土門さんはそのとき、こう記しています。30メートルも先から閃いたフラッシュがあの高い塔の先まで届くわけがないことはわかっている。しかし、フラッシュが閃いたとき、塔は優美な姿を現わしたではないか。フィルムに色を出すだけが写真ではない。色がでたかどうかはあくまでも結果。目で確かめ、心に叩きこまれたとき、写真は写ったと言える。塔は暗くてもある、と。

 土門さんの表現でいうなら、イエスさまの姿は写真に写らないかもしれません。多くの人々が目にすることができないかもしれません。けれども、まぶねにお生まれになり、十字架の死を遂げ、よみがえられたイエスさまは、この世界の苦悩を負い続けておられます。福音書を記したヨハネは、「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」と記しています。イエスさまの誕生によって、この世界に灯された光は輝いているのです。
 この一年、世の光であるイエスさまを心を込めて証しして参りたいと願っています。

 最後に、イザヤ書53章2節の後半から5節をもう一度お読みします。

 「見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであった
 のに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり、
 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 
 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

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