2012年6月10日 礼拝説教「いつまでも残る神さまの言葉」

イザヤ書40:1~11
ペトロの手紙 一 1:22~25

櫻井重宣

 今日は一年に一度の子どもと大人の合同礼拝です。小さいお友だちから90歳を超えるおじいさん、おばあさんまで一緒に礼拝をしています。小さい人も大人もみんなで聖書のお話しに耳を傾けましょう。


 最初に一枚のお花の写真を見て頂きたいと思います。何のお花か分かりますか。ハスです。このハスは大賀ハスと言われます。わたしは茅ケ崎に来る前は広島に12年いましたが、広島の前は秋田の教会で21年働きました。秋田の駅前に千秋公園という公園があります。秋田駅から歩いて10分もかからないところにあります。春は桜、つつじがとてもきれいです。そして、7月頃になると、公園の入り口のお堀にこの大賀ハスの花がたくさん咲きます。とても美しい光景です。大賀ハスは、秋田だけでなく、千葉、岡山や兵庫などたくさんの町で咲いています。
  今から61年前、植物学者の大賀一郎先生が千葉県の検見川というところで発掘調査を行い、地下6メートルのところから3粒のハスの実を発掘しました。その3粒のうち1つが育って、60年前の1952年7月18日にこの写真のようにピンク色の大きな花が咲きました。大賀先生がいろいろ調べた結果、2000年前のハスの実とわかりました。そしてこの一粒のハスの実がたくさん増えて、今、多くの町で7月頃になるとこのハスの花が咲きます。そして大賀先生が見つけたので、このハスは大賀ハスと言われるようになりました。
  二千年前というと、皆さんもすぐおわかり頂くように、イエスさまの時代です。地中に眠っていたイエスさまの時代のハスの実を大賀先生が咲かせ、今、たくさんの町でこの美しい花が咲いています。ですからこの大賀ハスには夢があります。希望があります。


 イエスさまは二千年前に馬小屋の飼い葉桶でお生まれになりました。そして30歳過ぎに十字架にかけられ殺され、三日目に復活されました。復活されたイエスさまは、今、私たちの目には見えませんが、いつも私たちと一緒におられ、私たちを励まし、導いておられます。
 わたしたちが持っている聖書には、そのイエスさまのこと、そしてイエスさまがお生まれになる千年以上前からイスラエルの人々が救い主を待っていたことが書いてあります。そしてこのハスの花が多くの人の心に希望を、励ましを与えるように、聖書の言葉は私たちを力づけます。今日、この礼拝に集っておられる方々の中にはこの礼拝堂で50年も、60年も礼拝を守り続けておられる方々がおられます。聖書に励まされ、慰められながら歩み続けておられます。
  今日はイエスさまの弟子の一人、ペトロさんが書いたお手紙を通して、私たちも聖書から慰めを、励ましを、希望を与えられたいと願っています。


 ペトロさんは皆さんもよく知っているようにお魚を獲る漁師でした。ペトロさんは、イエスさまにわたしのお手伝いをしてくださいと言われ、イエスさまの弟子になりました。それから3年間ペトロさんは一生懸命イエスさまのお手伝いをしました。ペトロさんはイエスさまが大好きで、イエスさまのお手伝いをどんなときにも一生懸命しました。
  イエスさまとお弟子さんたちが一生懸命お仕事をすればするほど、イエスさまを良く思わない人がでてきました。イエスさまを殺そうという人もでてきました。イエスさまがまもなく捕まえられるのではないかというとき、イエスさまは12人のお弟子さんたちと最後の食事をしました。その食事の席で、イエスさまは、あなたがたのうちの一人はわたしをお金と引き換えでわたしのことをよく思わない人たちに引き渡そうとしているとおっしゃいました。ペトロはびっくりして、わたしはどんなことがあってもそんなことはしません。イエスさまと御一緒なら牢屋に入っても死んでもよいと覚悟しておりますと、言いました。けれども、イエスさまはペトロに、あなたがそこまでしてわたしを守ってくれるという気持ちはうれしいが、わたしは今夜つかまり、裁判にかけられる、今夜あなたはにわとりが鳴くまでにわたしを3回知らないと言うでしょう、でもわたしは、あなたが立ち直ることが出来るよう祈っています、あなたは必ず立ち直ることができます、あなたが立ち直ったら、教会のご用をしてください、教会に集まってくる人はみんないろいろな苦しみ、弱さを持っています、その人たちを力づけてあげてください、とおっしゃったのです。
  ペトロはイエスさまがおっしゃったように、イエスさまが捕まった時、3回もイエスさまを知らないと言ってしまいました。そしてそのとき、にわとりが鳴きました。ペトロは自分が弱い人間だと思い知らされ、激しく泣きました。けれども、イエスさまがあなたのために祈っているという言葉を思い出し、立ち直ることができました。
  イエスさまに祈られ、立ち直ったペトロはそれから30年近く教会の牧師として働きました。ペトロは、苦しみのうちにある人、病気の人、いろいろな失敗をした人に、わたしも大きな失敗をしたが、イエスさまに祈って頂いて、立ち直ることができた、あなたも大丈夫ですよ、立ち直ることができますよと、と励まし続けました。
 実は、ペトロさんがこの手紙を書いたのはイエスさまがよみがえられてから30年位したときですが、その頃、イエスさまを信じる人、そして教会は多くの人から迫害されていました。迫害というのは、イエスさまを信じるということでいじめられたり、牢屋に入れられたり、鞭で打たれることです。そうした苦しみを経験している教会にペトロが手紙を書いたのです。
 今日の箇所にこういうことが書いてあります。


 あなたがたが信じているイエスさまは、どんな人をも愛し、どんな人のまちがいを赦してくださった方です、イエスさまを3回も知らないと言ったしまったわたしをもイエスさまは赦してくださり、こうして牧師として立ててくださいました、どうか、迫害されても、いじめられても、どんな人をも愛してください。どんな人のためにも祈ってください。聖書にこういう言葉がありますね。
 「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
 草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
 わたしたちは迫害され、死んでいくかもしれません。でも、神さまはどんなときにも私たちを愛しておられます、赦しておられます、その神さまの言葉はいつまでも残ります、と。


 ペトロはイエスさまが十字架に架けられるとき、自分で自分を守ろうとしました。そのためイエスさまを3回も知らないと言ってしまいました。でもイエスさまに祈って頂き、立ち直ったとき、大切なのは自分がどれだけ立派かということではなく、だめな自分のためにイエスさまがどれほど愛してくださったのか、祈ってくださったのか、そのことが分かったのです。


 わたしは茅ヶ崎に来る前、広島教会で働きました。広島教会はとても古い教会で131年前に伝道が始まりました。でも、伝道が始まると、広島の人々は教会を迫害しました。町のお店がみんな結束して、イエスさまを信じる人には物を売らないようにしようと決めました。若い牧師夫婦はとても困りました。どこのお店に行っても、お魚も野菜もお米も売ってもらえないからです。また、礼拝が始まると、教会の外で太鼓をたたいたり、三味線をならして牧師先生が一生懸命お話ししても聞こえないように邪魔しました。またある夜の礼拝の時、石が投げつけられ、ランプにあたり、礼拝堂は真っ暗になり、牧師先生は大けがをするところでした。
 若い牧師夫婦は困ってしまい、奥野昌綱という先生に相談しました。奥野先生は牧師夫人の伯父さんでした。実は奥野先生はペトロが大好きでした。バラ先生がペトロのことを話しているとき、ペトロはわたしのことだと思ってイエスさまを信じるようになったからです。
 奥野先生は、大変ですね、つらいですね、でも、どうか広島の人たちのために祈ってください、広島の町の人を愛してください、イエスさまを3回も知らないと言ったペトロをイエスさまは愛し、祈ってくださったのです、大切なのは神さまの愛をお伝えすることです、と書いた手紙を送ってきました。
 この奥野先生のお手紙に励まされて、若い牧師先生ご夫妻は、広島の町で一生懸命に神さまの愛を伝えました。


  二千年前のハスの実を見つけた大賀一郎先生は、最初あさがおの研究をしていましたが、その後ハスの研究をするようになりました。この大賀先生は内村鑑三というキリスト者の先生にお会いしてイエスさまを信じるようになりました。
 大賀先生が失敗したとき、内村先生はいつも「大賀はだめだが、福音はえらいんだ」とおっしゃって励ましたそうです。だめな大賀を神さまはあきらめない、もう一回、もう一回と立ち直らせてくださる、そういう神さまがおられるのだ、と。
 実は大賀先生の81年のご生涯はとても苦しいことをたくさん経験した人生でした。とくに年をとってから御親族のいろいろなことを抱え、住む家も無くなってしまうような貧しさを経験しました。けれども、大賀先生はご自分の生涯を振り返って、「わたしの人生は荒れ野であった。けれどもどんなときにも昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれた」と、おっしゃっています。


  ペトロさんが立ち直ることができたのは、神さまの愛です。福音です。聖書に書いてありますように、神さまの言葉、神さまの愛はいつまでも残ります。どうか、今日この礼拝に出席している小さいお友だちは、ここにおられる大人の人たちが長い間大切にしてききたのは、「神さまの愛」「福音」だということを心に留めて頂きたいと思います。そして、大人の人たちは、ここに出席している子どもさんたちが、神さまに守られ、イエスさまに祈られ、健やかに成長するよう祈ってください。
  私たちの教会が、これからも子どもも大人もみんなで神さまのみ名をあがめる教会でありたいと願っています。 

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