2009年5月17日 礼拝説教「イエスはメシアである」

イザヤ書9:1~6
使徒言行録18:24~19:11

櫻井重宣

ただ今、使徒言行録18章24節から19章10節までのところを司会者に読んで頂きました。
パウロは大きな伝道旅行を三回しています。現代のように飛行機や鉄道、自動車がありませんので徒歩か船旅ですが、一回の伝道旅行でパウロは二千キロをはるかに超える距離を旅しています。
 今日学ぶ箇所の直前、22節のところで第二回目の伝道旅行を終え、23節からは第三回目の伝道旅行です。21節から23節は長い距離の伝道旅行を数行で書いています。
 実は、今日最初に学ぶ18章の24節から28節は、パウロが23節に記されているガラテヤやフリギア地方を巡回していた頃の出来事が記されています。
 冒頭の24節をもう一度読んでみましょう。
 ≪さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。≫

 アレクサンドリアはアフリカの北にある大きな町です。地中海最大の学問、文化、宗教の中心的な都市でした。アポロはこの町で生まれ育ち、勉学に励んだ人です。聖書に詳しく、雄弁家でした。雄弁家と訳されていますが、ここで用いられている語は、演説が上手というだけでなく、学識が豊かで思想と知識の伝達に優れた人のことです。そのアポロがエフェソにやってきました。第二回目の伝道旅行のとき、パウロがプリスキラとアキラと共にコリントからエフェソに来ました。パウロはまもなくエフェソから船出してカイサリアに向かいましたが、プリスキラとアキラはエフェソに留まったものと思われます。
 25節と26節をお読みします。
 ≪彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。≫
 アポロはイエス様のことを熱心に語ったが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった、そこで、プリスキラとアキラがアポロを招いてもっと正確に神の道を説明したというのです。そして、この後、アポロがエフェソからコリントのあるアカイア州に渡るのですが、そのことは後にして、ヨハネのバプテスマしか知らない人々のことが19章の1節から7節にも記されていますので、そこを先に読んでみましょう。
 ≪アポロがコリントにいたときである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。パウロが、「それなら、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言したりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。≫
 パウロがエフェソに来たとき、何人かの弟子に出会ったのですが、彼らはヨハネのバプテスマを受けていたが、聖霊を受けていなかった、そこでパウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降ったというのです。
 すなわち、エフェソに来たアポロはヨハネのバプテスマしか知らなかったのですが、それからまもなくエフェソに来たパウロが出会った弟子たちもヨハネのバプテスマは受けていたのですが、聖霊を受けていなかったというのです。

   ヨハネのバプテスマというのは、イエス様の道備えしたヨハネの授けたバプテスマです。ヨハネはイエス様の先駆者です。イエス様が30歳のとき、公の働きを始めたのですが、それに先立ってヨハネはらくだの毛衣を着て腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ、荒れ野で「悔い改めよ、天の国は近づいた」と語りました。そうしますと、ユダヤ全土から多くの人々がヨハネのもとにやってきて、罪を告白し、ヨルダン川でバプテスマを受けました。使徒言行録を書いたルカが記したルカ福音書を読みますと、ひとりひとり、徴税人も兵士も、どの人も自分の罪を告白し、悔い改め、バプテスマを受けています。
 けれども、ヨハネは自分メシアではない、自分は水でバプテスマを授けるが、自分の後に来る方、メシアは聖霊でバプテスマを授ける、その方を指し示すのが自分の使命だと語りました。そして、イエス様はまもなくこのヨハネからバプテスマを受け、公の働きを始められました。
 ある聖書学者ですが、ヨハネとイエス様にどういう違いがあるかということで語っていたことを思い起こします。
 ヨハネは、荒れ野で悔い改めを迫った、そこにやってきた人は自分の罪を知らされ、悔い改めて洗礼を受けた、けれども、そこに来れない人がいた、病気で寝たきりの人や差別されていた人です。イエス様は山の上や湖でお話しされたが、それだけでなく苦しんでいる人、病気の人、悲しんでいる人を訪ね、励まし、慰めた、というのです。すなわち、一か所に留まっていると、そこに来ることができない人がいるが、イエス様はどの人のところにも出かけて行き、福音を、癒しを、慰めを携えたというのです。 

   このことを心に留めてもう一度、アポロのことに思いを深めたいのですが、アポロは聖書に詳しい雄弁家でした。イエス様のことを熱心に語っていたのですが、ヨハネのバプテスマしか知りませんでした。アポロは自分の罪を告白し、神の前に正しく生きようとしていました。そのアポロが、プリスキラとアキラに出会いました。二人は彼を招き、もっと正確に神の道を説明したというのです。19章のパウロのふるまいからすると、アポロはプリスキラとアキラから主イエスの名によってバプテスマを受けたものと思われます。
 そうしますと、27節と28節にこうあります。
 ≪それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。≫
 主イエスの名によるバプテスマを受けたアポロは、兄弟たちから励まされる人になっています。そして、アカイア州のコリントに行きたいと願ったとき、エフェソの教会の人々に手紙を書いてもらっています。主イエスの名によるバプテスマを受けたアポロは、熱心に語り、大胆に教え、励ます人から、励まされる人、教会のみなさんの祈り、励ましを必要とする人に変えられています。かの地の兄弟たちに手紙を書いてもらったことに喜びを覚えています。自分は小さな人間だ、という謙遜さを持つ人になっています。
 ネパールで結核を患っている人たちのため尽力した岩村昇先生は、ネパールに行って一年目、スランプになりました。ネパール合同ミッションの牧師に相談したところ、その牧師は、あなたが苦しみを語り、祈ってもらえるようなネパール人の友をえたか、と言われたそうです。岩村先生は、自分が、自分がという思いが優先していないか、自分がひとり相撲をとっているのではないとハッとさせられたそうです。アポロの体験は、まさにそういう体験でした。


 そして、アポロのもう一つの変化は28節です。聖書に基づいて、メシアはイエスであると立証したというのです。コリントの町には、十字架の言葉を愚かとする人々がいました。アポロは、そうした人々に、わたしたち一人ひとりの罪を負うために十字架の道を歩まれたイエス様こそメシアである、自分が正しい人間になること以上に、一人一人に癒し、赦し、慰めを差し出すために十字架に架けられたイエス様こそメシアであると語ったのです。
  パウロもイエス様に出会う前には、アポロと同じように自分を前面に出していた人です。心深く思わされるのは、パウロもアポロも秀でた人です。二人ともコリントで全力を挙げて教会のため働きました。いつしか、教会の内部に、わたしはアポロに、わたしはパウロに、わたしはケファにつくという人々が出てきました。パウロはそのような教会の現状に心を痛め、手紙を書きました。「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなた方を信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者とは一つです」と。「一つ」というのはチームの一員ということです。

 最後に、19章8節から10節をお読みします。
 ≪パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。≫
パウロのエフェソ伝道です。会堂からティラノと言う人の講堂に移りました。この個所に「第五時から第十時」と時間が書き加えられている写本があります。この地方は早朝からなされた講義は午前11時には終わり、昼食、昼根の時間になるというのです。パウロは、みんなが昼寝しているような、そうした時間に全力でイエス様を証ししたのです。3ヶ月と二年ですから、およそ三年です。

 先ほど、アポロのことで岩村先生のエピソードを紹介したのですが、もう一人、星野富弘さんのこともお話しします。
 星野さんは1975年に、『菜の花』を描き、こういう詩をつけています。

「私の首のように 茎が簡単に折れてしまった
しかし菜の花はそこから芽を出し 花を咲かせた
 私もこの花と 同じ水を飲んでいる
 同じ光を受けている 強い茎になろう」

1979年には『つばき』を描き、こういう詩をつけています。

 「木は自分で 動きまわることができない
 神様に与えられたその場所で 精一杯枝を張り
 許された高さまで 一生懸命伸びようとしている
 そんな木を 私は友達のように思っている」


 怪我のため、首から下の機能を一切失った星野さんは、折れた菜の花に、自分で動きまわれない木に励まされる人になっています。低く位置しているイエス様に励まされています。
 主イエスの名によるバプテスマを受けることによって変えられたアポロに倣いたいと願うものです。

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