2009年1月25日 礼拝説教「契約のしるしである雲の中の虹」

創世記9:1~17
ヨハネによる福音書3:16

櫻井重宣

 今日は月の最後の日曜日ですので、創世記を学びます。待降節、アドヴェントの期間に、3週間にわたって創世記7章と8章に記されているノアの箱舟の記事とマタイ福音書1章を学びつつクリスマスを迎える心の備えをしました。
 ノアの箱舟をテーマにした絵本は少なからずありますが、ガイサートというアメリカの絵本作家の『ノアの箱舟』はとても心豊かな絵本です。ガイサートは『洪水のあとで』という絵本も書いています。今日は、9章1節から17節を通して、洪水後に、どういうことがあったのかを心に留めたいと願っています。最初にもう一度1節から7節を読んでみましょう。


≪神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を請求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
人の血を流す者は 人によって自分の血を流される。
人は神によってかたどって造られたからだ。
あなたたちは産めよ、増えよ 地に群がり、地に増えよ。」≫


 神様がノアと彼の息子たちを祝福し、産めよ。増えよ、地に満ちよ、とおっしゃっています。これは天地創造のとき、神様が生き物をお造りになったとき、そして、人間を創造した時におっしゃった言葉と同じです。
 創世記を学ぶ時、天地創造から11章のバベルの塔の記事は、異なった時代に生きた二人の著者が書き記し、それをあとの時代の人が一つの書にまとめたものではないかと言うことを心に留めていま。今、私たちが手にしているのはまとめられたものです。
 一人はイエス様のお生まれになる五百数十年前、ユダヤの国の歴史で最も希望の持てない時代、すなわち、戦争に負ける、国土は廃墟となる、多くの人がバビロンに連れさられる、そういう時代の著者です。もう一人はイエス様のお生まれになる千年前、ユダヤの国の歴史で最も繁栄していた時代に生きた著者です。暗い時代に生きた人も、豊かな時代に生きた人も、この二つの書をひとつにまとめた人も、人間ってなんだろうか、神様は、この世界にどう関わっておられるのだろうか、そうしたことを真剣に考えています。
 実は今日の9章1節から17節の著者は、1章の天地創造の記事と同じ著者です。すなわち暗い時代に生きた著者です。国土が荒れはて、多くの人が戦争で亡くなり、嘆き悲しんでいる時代の著者が記したものです。混沌から秩序を生み出していった天地創造のとき、生き物にそして人間に、産めよ、増えよ、地に満ちよ、と語られた神様は、洪水のあとノアと息子たちそしてすべての生き物に、産めよ、増えよ、地に満ちよ、と語られているのです。神様の御心は滅ぼすことではありません。人間的には希望を見いだしえないようなところであっても、なおもう一度、産めよ、増えよ、地に満ちよとおっしゃっているというのです。神様はそういう方だということを、この創世記の著者は必死になって語ろう、聞こうとしています。

 
 もう一つここで、私たちが心に留めたいことは、何を食べてもよいが肉を命である血を含んだまま食べてはならない、とおっしゃっていることです。獣が人間を殺した時は、その獣に賠償を要求するというのです。出エジプト記に、「牛が男あるいは女を突いて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺されねばならない」という戒めがあります。
 もちろん、どんなことがあっても、人が人を殺すことがあってはならない、人は神にかたどって造られたからだ、人を殺すということは神の似姿を冒涜することだというのです。
 私たちはこの一ヶ月、ガザに対するイスラエルの攻撃に心を痛めてきました。もちろん、ハマスの側のロケット弾が許されないことは当然です。けれども、イスラエルのガザへの攻撃は本当に残念です。創世記のこの箇所に親しんでいるイスラエルの人々が、ガザの一般の市民、とくに多くの子どもの血を流したことを神様の前にどう弁明できるのでしょうか。昨日の新聞にもガザの36歳の男性の悲しみが記されていました。一族が集められてそこが攻撃され、35歳の妻、17歳の娘が死んだ、さらに親類が20数人殺されたと。そうした現実がいくつもいくもあるのです。

 
 わたしは音楽のことはよくわからないのですが、バッハのマタイ受難曲に今日のこの箇所が歌われているという示唆を関根正雄先生から受けて、マタイ受難曲のどの場面で、歌われているか調べてみました。
 マタイ受難曲はマタイ福音書の26章と27章に記されるイエス様の十字架へ道行きと十字架の苦しみが福音書にそって歌われているのですが、27章の後半に記されている、イエス様が十字架上で息を引き取られたとき神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたこと、地震が起こったこと、十字架刑の責任者の百人隊長が本当にこの人は神の子だったと告白したこと、十字架の死を遂げたイエス様を婦人たちが遠くから見ていたこと、アリマタヤが遺体の引き取りを願いで、ピラトが遺体をヨセフに引き渡したことを歌ったあと、第64曲ですが、バスがこう歌います。

  
 夕暮れ、涼しい時に アダムの堕落は明らかになった
 夕暮れに 救い主はそれを克服された
 夕暮れに 鳩は戻り オリーブの葉を口にくわえていた
 おお 麗しい時、おお、夕暮れの一刻よ
 平和の契りが今や神と結ばれた イエスが十字架を成就されたゆえに
 その遺骸は今や安息に入る ああこの身の魂よ、願え
 行け、死んだイエスをもらいうけよ おお 救いをもたらす尊い形見よ。

 
 バッハの信仰です。アダムの堕落が明らかになったのも、鳩がオリーブの葉を口にして戻ってきたのも、そしてイエス様が息を引き取られお墓に納められたのも夕暮れだ、そして、この夕暮れにノアと息子たちの間で平和の契りが神様と人間の間に結ばれた、平和の契りはイエス様が十字架で死んで葬られたことにより成就したというのです。
 それゆえ、洪水のあと神様がノアと息子たちを祝福しておっしゃったことは、どんなことがあっても人を殺してはならない、動物を、血を含んだまま食べると人の命にも鈍感になる、だから血を含んだまま動物の肉を食べるな、イエス様が十字架の死を遂げられたということはこの平和の契約が実現したことだ、だから、どんな人の命も奪ってはならないとバッハはうたうのです。


 8節から11節をお読みします。


 ≪神はノアと彼の息子たちに言われた。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」≫

 
 神様がノアと息子たち、後に続く子孫たちと契約を立てるというのです。前半はノアと息子たちでしたが、ここではノアとその息子たち、さらに後に続く子孫、すなわち全人類と契約を結ぶというのです。それだけではなく、すべての動物とも契約を立てるというのです。
 聖書の基本は、神様と私たち人間が契約関係、一対一の関わりだということです。神様にとって、私たち人間は大切なかけがえのない存在です。動物もそうです。
 そしてここでの契約の内容は、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水で地を滅ぼすことも決してないということです。契約は双方が約束に忠実であることが求められます。しかし、ここでは神様の一方的な宣言です。洪水前には、人間は神様の前に堕落し不法に満ちていました。けれども、洪水後、人間が悔い改めた、堕落しなくなったと記されていません。それなのに一方的に滅ぼさないと神様は宣言されています。一方的な恵みです。神様の側に忍耐があります。
 聖書で神と人との契約で有名なのは、神様がモーセを通してシナイ山で契約を結んだ契約です。民の側は、神様が語られたことをすべて守ると約束しますと言います。神様は民を守り導き、民は神の戒めを守るのです。しかし、民はこの約束に誠実でありませんでした。
 エレミヤは新しい契約を預言します。神様が私たちと結ぶ新しい契約は、どんな人の罪をも赦し、心に留めないという契約です。
 ノアの洪水の後の契約を記した著者は、イエス様のお生まれになる五百数十年前です。モーセの時代より七、八百年後です。エレミヤの数十年後です。いくたびも戦争があり、民が背きました。創世記の著者は、この平和の契約を神の一方的な宣言として位置づけます。エレミヤの影響もあるかもしれません。


 最後に12節以下を読みます。


 ≪更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」≫


 神様は、わたしたち人間と、そしてすべての生き物ととこしえの契約を結ぶ、契約のしるしは雲の中におく虹だというのです。虹が現れると、神様はここで立てた契約を心に留めるというのです。雲の中に虹が現れたら、神様がどんなことがあっても肉なる者を滅ぼすことはないという人間と結んだ契約を思い起こすというのです。神様の決意です。
 虹をみてこのとき結んだ契約を思い起こしていた神様が、最後的に一番大切な独り子イエス様をこの世にお遣わしになったのです。福音書記者ヨハネが、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」と語ったことはこのことです。


 スイスのリュテイ牧師は、今日の箇所の説教でこういうことを語っています。
 「核戦争の危機もある。けれども、洪水のあと、神様は全人類と動物と契約を結んでくださった、虹を見よう、神様は虹をごらんになってどんなことがあっても滅ぼさないということを心に留められるのだ、そしてイエス様を下さったのだ、どんなことがあってもこの世界を神様は滅ぼさないのだ、そのことを信頼しよう」と。

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