2008年2月17日 礼拝説教「神の右に立って執り成す主」

ヨブ記19章23~27
使徒言行録7章54~60

櫻井重宣

 今、私たちはイエス様の十字架の苦しみを覚えるレントの日々を過ごしています。今朝もそのことを覚え、心静かにみ言葉に耳を 傾けたいと願っています。
 さて、先週と先々週の礼拝においてステファノが語った説教を学んだわけですが、今、お読み頂いた箇所には、その説教を聞いていた 人々が非常に激しく怒り、ついに石をステファノに投げつけ殺してしまったことが記されていました。ステファノは二千年の教会の歴史 で最初の殉教者となったのです。
 実は、イエス様がゴルゴタの丘の上で十字架に架けられ息を引き取ったとき、その日の十字架刑の執行の責任者であった百人隊長は 「本当に、この人は神の子だった」と告白しています。
 イエス様が十字架に架けられたのは金曜 日の午前9時で、息を引き取られたのは午後3時頃であったのですが、イエス様の十字架のそばでイエス様の苦しみをつぶさに見ていた 百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」という告白に導かれたように、今日ご一緒に心に留めるステファノの殉教も一人の人の人 生を大きく変える出来事になっています。誰の人生を変えたかというと、教会を迫害していたサウロです。サウロは初代の教会で大きな 働きをしたパウロです。使徒言行録を読み進むとサウロがダマスコ途上でイエス様にお会いし、180度方向転換し、イエス様を迫害す る人からイエス様を宣べ伝える伝道者になり、各地に教会を作り、伝道していったことが記されています。そのサウロに大きなインパク トを与えたのがステファノの説教と死であったのです。どうしてそれほどまでこの出来事がパウロに大きなインパクトを与えたのでしょ うか。今朝,私たちはそのことに思いを深めていきたいと願っています。

   冒頭の54節をもう一度読んでみましょう。
「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。」 この箇所は、原文はとても強い言い回しです。塚本虎二先生はこう訳しておられます。 《これを聞いて法院にいた人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。》  自分たちには神殿があることを誇りとし、それによりたのむ生き方をしていたことをステファノに非難されたからです。ステファノが 説教するのをがまんして聞いていた聴衆は怒りが心頭に発し、歯ぎしりしたというのです。

 人々がこのように歯ぎしりしていたそのときステファノはどうしていたかといいますと、55節と56節にこう記されています。
「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に 立っておられるのが見える』と言った。」<
 実は、ステファノは説教のしめくくりのところで説教を聞いていた人々を激しく非難しました。51節から53節でステファノはこう 語りました。
 「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、 あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい 方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法 を受けた者となったのに、それを守りませんでした。」
 ステファノは「心と耳に割礼を受けていない人たち」と言います。割礼は受けているかもしれないが、心と耳に割礼を受けていないと いうのです。聞く心と耳を持っていないというのでしょうか。先祖だけでない、あなたがたもそうだというのです。先祖たちは正しい方 が来られることを預言した人々を殺したが、あなたがたは、正しい方、イエス様がおいでになったのにその方を裏切り、殺してしまった というのです。説教を聞いていた人々が激しく怒り、歯ぎしりするのは当然です。
けれども、語り終えたステファノが聖霊に満たされ天をじっと見つめていたとき、天が開いて、神様の栄光と人の子が神の右に立っ ておられるのが見えたのです。天上では神様の御心がなされて、それにあわせて人の子イエス様が神様の右に立っておられるのが見えたのです。
イエス様が神様の右に立ってどうしていたかというと、祈っておられたのです。執り成しの祈りをされていたのです。ステファノの 説教は、聞いていた人々を憤らせ、歯ぎしりさせました。その人々のためにイエス様が祈っておられたのです。執り成しの祈りをささげ ておられたのです。しかも、ここでステファノは「人の子」と言っています。人の子というのは、イエス様がご自分のことをいう表現です。 天が開いてステファノに示されたのは、まぶねのなかにお生まれになり、苦難の道を歩まれ十字架の死を遂げたイエス様が神様の右に立っ て祈っておられるお姿だったのです。
 ステファノは、十字架の苦しみをされたイエス様がこの人々のために執り成しの祈りをしておられるお姿を見て大きな衝撃を受け ました。そして説教の聴衆に対する関わり方が大きく変わりました。 それはこのあとをみますとよくわかります。57節以下を読んでみましょう。
「人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずりだして石を投げ始めた。 証人たちは、自分の来ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、 『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』 と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」
 あなたがたはイエス様を殺してしまった、律法を守らなかった、とその場にいた人々を非難していたステファノが、天にあって イエス様がこの人々のため執り成しの祈りをされておられることにはっとさせられ、ステファノも石を投げつける人々のために執り成し の祈りをしているのです。

 ところで、このステファノに石を投げつけることをよしとしたのが、サウロでした。この後の8章1節には、「サウロは、 ステファノの殺害に賛成していた」あります。 先程、ステファノの死がパウロに大きな影響を与えたと申しましたが、この時のステファノの姿はパウロにとって強烈でした。 とりわけ、天をみつめて大きく変化したステファノの姿に強烈な印象を受けました。ステファノが天を見つめた後に、この罪を彼ら に負わせないで下さいと祈ったからです。この人々を呪ってくださいと祈ってもおかしくないのに、この罪を彼らに負わせないでく ださいと祈ったからです。ステファノの祈りを聞き、パウロはイエスという方はステファノを石で殺すというリンチにゴーサインを 出した自分のためにも祈っている方だということを知ったのです。 パウロがローマの信徒への手紙の8章でこう書き記しています。 「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるイエス・キリストが、 神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」  パウロは、どんな人であっても、お前は罪人だということができない、どうしてかというとイエス様が神の右に座っていて、わたした ちのために執り成していてくださっているからだというのです。これはまさにパウロがステファノから教えられたことです。
 そしてこのことはパウロだけではなく、二千年の教会の歴史でステファノから教えられ、大切にしてきたことです。  20世紀の最大の神学者とされるカール・バルトが語ったこともそのことです。
 バルトが晩年語っていたことは、イエス・キリストは神と人との契約、約束の基です、イエス・キリストはその生と死において世界の 罪を最後まで担い抜かれた方です、イエス・キリストは執り成しの生涯をおくり、十字架の死を遂げ、死人のうちからよみがえられた方 です、イエス・キリストは最後的に神様の前で責任をとってくださった方です、ということです。イエス様が執り成しの祈りをしてくだ さるので、神様は私たちに究極的には大丈夫、よしと言ってくださる方だということを語ったのです。
 バルトはモーツアルトが大好きでしたが、これは一般のラジオ番組で語ったことですが、毎日、新聞を読むと暗い気持ちになる、 この世界に希望を持ってよいかとアナウンサーから尋ねられたとき、バルトは、この世界において私たちはいつの日か神様の御心がな される、そのときを待つことができる、神様の右に座して執り成しの祈りをされているイエス様がもう一度おいでになるからだ、たと え小さな歩みであっても希望をもって歩んでいこう、このことをモーツアルトから教えられるというのです。
 教会は、人に対しても世界に対しても絶望してならないのです。もうだめだと裁いてはならないのです。ステファノが死に臨んで、 イエス様が神様の右に立って執り成しの祈りをされておられるということを示されたこと、それを代々の教会は大切にしてきたのです。

 私はステファノのことを思うとき、一人の若くして召された牧師のことをいつも思い起こします。1946年、昭和20年7月15日 39歳のとき亡くなった藤井喜八という牧師です。今から二十数年前この牧師から洗礼を受けた方がどうしても藤井牧師の説教を公にし たいということで、本を出版しました。題名は『悲劇の伝道者』です。藤井牧師は私の父と神学校の同級生です。昭和12年に神学校を 卒業した藤井牧師が遣わされた最初の任地は山形の小さい、ついで岩手県の黒沢尻でした。現在の北上市です。困難な伝道を続けていた のですが、アメリカやイギリスと戦争が避けられなくなったとき、アメリカの教会からの献金が打ち切りとなってしまい、ついに伝道所 を閉鎖せざるをえなくなりました。藤井牧師は故郷の秋田の県北の小さな漁村、八森町に戻りました。中学の英語の教師をしながら生活 していたのですが、結核になってしまいました、住んでいた家を追い出され海辺の廃屋のようなところで生活せざるをえなくなりました。 天井から空が見えるような廃屋でした。さらに敵国の宗教と悪口を言われ続け、精神的にも消耗し疲れ果て、ついに世の中の声はもう いい、と言って自分の手で鼓膜を破ってしまいました。 こうした父親の苦しみに何もしてあげられないもどかしさを覚えていた幼い二人の娘が裏山で小さい姫百合を二本もってきて枕もとに かざると、とても喜び、娘たちに「ありがとう」と一言いい、翌日「この美しい姫百合は父さんを迎えにきた天使のようだ」と言った後 、空が見える天井の穴を指さして、あの穴を通って天へ昇り、イエス様のところに行くのだからお前たちは泣いてはならない、母さんと 仲良く暮らしなさいといい、二時間後に召されました。娘たちが持ってきた美しい二本の姫百合を見つめるなかで、藤井牧師も天を見つ め、天で人の子が、敵国の宗教と言い続ける人々のために執り成しの祈りをしているのが見えたのではないでしょうか。そして、執り成 しの祈りをしているイエス様に導かれ天に召されたのです。
 藤井牧師が召された後、残された家族の生活は本当に大変でした。奥さんも三人の娘も発病し、四人そろって入院していたこともあり、 経済的に大変で家族が分かれ分かれの生活も続きました。わたしは私より五つ上のその娘さんといまだに交わりがありますが、この家族 にとっての支えは、自分の手で鼓膜を破ってしまった夫、父親が亡くなる二時間前に天を見つめ、開かれた天でまぶねの中に生まれ、 十字架の道を歩まれたイエス様の招きを信じ、二本の姫百合を手にしてみもとに召されたことだったのです。

 イエス様が十字架の道を歩まれ、復活され、今も神様の右に立って祈っておられるということは、イエス様はだれのためにも祈って おられるということです。これは教会の大切な信仰です。
 ヨブは、財産を失う、子供を亡くす、自らも病気になるという苦しみ、悲しみのなかで示されたことは、神様と私たちの間に立つ仲保 者は、苦しみの底の底、どん底で祈っておられるということでした。イエス様が十字架の死を遂げたということは、まさにヨブが望み見 たことが実現したのです。
 十字架の死を遂げ、よみがえられたイエス様は、苦しみの底の底で祈っておられ、目を天に向けると、神様の右に座して執り成しの祈 りをされておられます。苦しみの底の底でも、天でも祈って私たちを支えてくださっているイエス様に支えられ、導かれ、歩んでいきま しょう。

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