牧師室の窓から 2017年1月

★新しい年の初めから、国の内外で第二次大戦後築き上げようとしてきたいろいろなことが、音を立てて崩れていき、どういう一年になるか不安です。  
 第二次大戦中、ヒットラーに抵抗して処刑された牧師ボンヘッファーは、獄中にあるとき、友人夫婦から自分たちの家庭に生まれた赤ちゃんの 幼児洗礼の名づけ親を依頼されたとき、喜んで承諾しました。それは、どんなに絶望的な世界でも神さまはこの世界に御国を来たらせようとしておられる、 そのしるしとしてその幼子の幼児洗礼を受けとめたからです。そしていつの日か読んで欲しいという願いの下に、ボンヘッファーはその幼子に長文の手紙を書きました。 その中に「どんな時代であっても、祈ることと正義を行うことを大切にしながら神さまの時を待ち望んで欲しい」という文があります。途方に暮れる思いですが、 このときのボンヘッファーの思いを大切にしてこの年を歩みたいと願っています。

★牧師館の庭に沈丁花の木があります。今年も花を咲かせようとしています。この沈丁花は秋田から広島、広島から茅ヶ崎と移ってきた沈丁花です。 30年近く前、秋田の教会に在任中、教会員のSさんが日曜日の礼拝のためご自宅の沈丁花を用いて礼拝堂に生けました。残った一枝を妻が頂き、 鉢植えしたところ,根づき、その鉢を広島に持っていき、広島教会の牧師館の庭に植え、花を咲かせるようになりました。 けれども数年後、その木はどういうわけか、枯れてしまいましたが、鉢植えしておいた沈丁花は大丈夫でした。 その鉢植えした沈丁花を茅ヶ崎に持ってきて牧師館の庭に植えたところ、根づいて、今大きく成長しています。
 沈丁花の枝をくださったSさんはご主人が召された後、5年間お一人で秋田で生活しておられたのですが、東京、神奈川におられる息子さん、 娘さんが呼び寄せ、神奈川に転じてこられました。こちらにおいでになってから病気を繰り返す日々でしたが、 息子さん、娘さんに励まされながら過ごされ、1月13日静かに召されました。89歳でした。ご家族の願いで葬儀を司式しました。 葬儀のとき、妻は庭先の花を咲かせようとしている沈丁花の枝、数本を持参し、「御国へと召されし友の沈丁花 紫色づき時を待ちおり」という歌とともにお棺に入れました。 秋田に在任していた21年間、Sさんご夫妻の教会に対する姿勢に励まされていました。これからもSさんご夫妻の祈りを沈丁花の花と共に大切にしていきたいと願っています。

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