牧師室の窓から 2012年2月

★毎年2月11日の「信教の自由を守る日」を迎えると、思い起こすのは中谷康子さんの自衛官《合祀》拒否訴訟です。1968年1月、自衛官であった康子さんの夫中谷孝文さんが勤務中に車輛事故で即死しました。キリスト者の中谷康子さんは教会の納骨堂に納骨し、残された息子とともに「夫の死の意味」を問い続けていました。そうした時に、自衛隊は中谷さんの反対を無視して県護国神社に夫を合祀しました。納得できない中谷さんは合祀を拒否する訴えを起しました。1979年の山口地方裁判所一審判決で「人が自己もしくは親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情を巡らせ、行為をなすことの利益を宗教上の人格権の一内容としてとらえることができる」と判決し、訴えが認められました。1982年の広島高等裁判所の第二審判決でも一審どおり自衛隊が中谷さんの「宗教上の人格権」を侵害したと認めました。けれども1988年の最高裁判所の大法廷では、宗教的人格権を侵害された中谷さんに寛容であって欲しいと願い、訴えを退けました。 中谷さんの「小さな願い」を大切にする社会をと祈るものです。

★2月16日、日帰りで盛岡に行き、長年、お世話になった大木英二牧師の妻、通子さんの葬儀に参列しました。大木牧師ご夫妻の長女の夫が、小生の妻のすぐ下の弟です。亡くなった通子さんは六十代の後半から認知症になり、隠退後の20年間は夫である大木先生に介護され、ここ数年は施設で過ごされました。大木牧師も車椅子で介護される身ですが、葬儀の時、こう挨拶されました。  自分は小さな群れの伝道をしていた、一人で伝道し、牧会する限界を覚えたとき、出会いがあった、わたしが求めた妻ではない、向こうから声をかけてきたわけでもない、貧しい器に過ぎないわたしのために神さまが用意してくださった妻だ、彼女はかけがえのない働きを今日までしてくれたと、61年の結婚生活、42年の伝道生活を共にできたことを心から感謝して挨拶されました。  また、会葬御礼のハガキには、「『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。』 妻、大木通子の九十年の生涯も、『休ませてあげよう』という主イエスの招きの言葉に包まれていることに思い及ぶと、慰めと感謝とが湧いてきます」と、記されていました。   葬儀に参列し、木下潤子さんのことを思い起しました。心身をすりへらすようにして教会に仕えた姉妹たちのご労苦に、感謝の思いを深くするものです。

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