牧師室の窓から 2010年6月

★6月20日(日)、小友聡先生を講師にお迎えして春の伝道礼拝を行いました。午前の礼 拝説教、午後の講演で繰り返されたのは、「たとえ明日世の終りが来ようとも、わたしは 今日リンゴの樹を植える」というM.ルターの言葉でした。午前も午後も多くの人々が おいでくだり、出席したお一人お一人が「本当に慰められた」「励まされた」とおっしゃ っていました。恵まれた一日でした。

★秋田から訃報が相次ぎました。お一人は、秋田の4,5人も入れば一杯になる小さい ラーメン屋のご主人でした。64歳でした。その方の連れ合いが秋田の教会員でした。職 人気質の一途な方でした。ラーメンのスープにこだわり、スープを最後の一滴まで飲ま ないと不機嫌でした。自分が何日も何日もかけて作った「企業秘密」のスープを残すと は、という思いだったのでしょう。それ以来、わたしはラーメンのスープを最後まで飲 むようになりました。あるとき、ラーメンのスープが足りなくなりそうだったので、市 場に買いに走って、出来合いのスープを買ってきてラーメンを作ったところ、お客さん から「今日のラーメンはおいしい」と言われ、すっかりしょげていました。また、少し でも、お客さんが来るようにと、ある人が、卵どんぶりやかつ丼をメニュー加えたら、 と提案したところ、ラーメン屋がそんなものを作れるかと一蹴しました。ある年の暮れ に教会の青年たちが中華料理を依頼したところ、教会の青年がこんな高い、ぜいたくな ものを食べるとはとんでもない、と断られました。夫婦でしていたラーメン屋さんでし たので、今後のことを心配したところ、出前はできないが、ひとりでもう少しがんばる そうです。エールを送ります。
 もう一人は秋田でお世話になった飯淵よし先生です。94歳でした。ホーリネスの弾圧 を経験し、男鹿半島で生涯伝道されました。足が不自由になり、高台にあった男鹿教会 の牧師を続けることが困難になり、辞任され、男鹿半島の脇本という地で開拓伝道に着 手しました。開拓伝道地に脇本を選んだのは、「『立って、南方に行き、エルサレムから ガザへ下る道に出なさい』(このガザは,今は荒れはてている)」(使徒行伝8:26)とい う御言葉を示されたからでした。将来性があるから、人口が多いからではなく、「荒れは てている」ので、伝道をという伝道者スピリットを大切に受け継ぎたいと願っています
 一途に、愚直なまでにこだわり続けた方の生き方には美しさがあります。

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