牧師室の窓から 2010年2月

★2月1日の朝、高田彰先生が急逝されました。98歳でした。木下芳次先生が召集されて辞任し、当教会に赴任されたのが高田彰先生でした。就任した最初の日曜日が68年前の2月1日でした。茅ケ崎教会に就任した日と召された日は同じ日でした。『六十年史』に、「二月一日(日)礼拝。高田彰牧師が就任説教を「活ける供物」と題して行った。珍しく雪の降る日であった」と記されています。2月1日夜ご自宅で前夜式が行われたのですが、68年前と同じく雪が降っていました。
 昨年、2009年の先生からの年賀状にこう記されていました。 ≪世界が滅びるのではないかと思われるような戦争が続きます。聖地と言われる地域での激しい交戦は悲しいです。アメリカの次の大統領によって、どのように平和がもたらされるかと、「御国を来らせ給え」とひたすら祈ります。 「子牛は若獅子とともに育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう」(イザヤ) ウシ年の新年を迎えました。理想的平和国出現の予言にウシが登場します。現在のウシといえば牧場のウシしか考えられませんが、戦前は農耕に運送に活躍していました。昭和16年、私が茅ケ崎教会に転任の時、引越し荷物を東京から牛車で東海道を夜通し歩いてきたことを思い出します。「御国を来らせ給え」と祈りつつ。≫
 個人的なことになりますが、小生の父は高田彰先生と小学校の同級生でした。1999年1月に87歳でこの地上の生涯を終えましたが、父が最後に感情を激しく動かしたのは、1998年末のアメリカのイラク空爆に対してでした。もう感情をあまり出さなくなっていたのに、このことに対しては「戦争はいけない」と怒りを露わにし、空爆が終った知らせを聞くと「それはよかった」と大声を出して心から喜んでいました。高田彰先生と父は1911年、明治44年生まれです。戦争が始まった時30歳でした。あの時代に生きた人の人生最後のメッセージが、「戦争はいけない」「御国を来らせ給え」であったことを重く受けとめなければならないことを思わされています。

★大きな、大きな悲しみ、苦しみのただ中におられる方々がいます。イエス様が共に涙し、慰めをと切に祈ります。

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