2020年7月5日 礼拝説教「永遠の命」

新約・ヨハネによる福音書3:16~21
旧約・創世記45:3~8

田村博

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3章16節)

この1節は“小聖書”とも言われるほど、聖書の伝えているメッセージを凝縮している聖句の一つです。この聖句に出てくる「永遠の命」という御言葉が、ヨハネによる福音書に最初に出てきたのが、直前の15節でした。先週の聖書箇所の一番最後の節です。「永遠の命」という御言葉は、このヨハネによる福音書になんと17回も出てきます。マタイでは、3回、マルコでは2回、ルカでは3回ですので、ヨハネによる福音書は突出しています。しかも一箇所にまとめて出ているのではありません。いろいろな角度から、いろいろな言葉と共にこれからもう15回も出てくる「永遠の命」です。それゆえ、本日だけで、そのすべてを知ることは無理です。しかし、今日の箇所でなければ知ることのできないことを、しっかりと受けとめてみたいと思います。

「神は、その独り子をお与えになったほどに」

「独り子」という言葉には、他の存在で取り替えることのできない、かけがえのない存在であるという思いが込められています(ヨハネ1:14、18参照)。しかも「神」ご自身の「唯一の子」です。神は、造られた存在(被造物)ではありません。すべてのものをお造りになったお方であり、神こそ「永遠」なるお方です。その神の「独り子」であるがゆえに、「独り子」も同様に「永遠」なるお方なのです。つまり、「永遠」なるお方が、わたしたちが生きるこの被造物からなる限界だらけのこの世に存在し、とどまってくださるというのです。それは、主なる神が、限界だらけのこの世を見捨てることをなさらず、大切な存在だと心にかけてくださり、愛してくださったゆえです。そして、そこには明確な目的が示されています。

その「独り子」なるお方と出会う者が、「滅び」という限界のある世界にとどまるのではなく、「永遠の命を得る」というのです。

「独り子」なるお方であるから、主なる神と等しい唯一のお方であるから、主なる神が永遠であられるように永遠である、というならわかります。しかし、そこにある意味で考えられないような、とてつもない常識の崩壊がもたらされたのです。しかもそのことを、「独り子を信じる」という、ただこの一点のみによって成就するというのです。“限界”だらけの“時”の中で「滅び」に至らせるのではなく、「永遠の命」という想像もできないような大きな恵みに与からせるというのです。

「永遠」という時が、いかに広いものであるかということを、本日示されている旧約聖書のヨセフ物語も教えています。ヤコブの12人の息子の中の一人であるヨセフは、父ヤコブの寵愛を受けていたがゆえに、兄弟たちの妬みを買います。そしてとうとう売り飛ばされてしまうのです。兄弟たちにしてみれば、自分たちの目の前から、目障りな存在がいなくなりせいせいしたというところでした。一方ヨセフは、遠いエジプトの地に奴隷として売り飛ばされ、明日の命もわからないような状況でした。しかし、そのエジプトの地で、共にいてくださる主なる神の御力により、とうとうエジプトの王に等しいような権力をもつものとなるのです。そして、全世界を飢饉が覆った時、その知恵と権威によって蓄えていた食物を、人々に提供します。エジプトに食物があるという噂を聞いてその食物を買いに来た兄弟たちとの再会の場面が、さきほど読んでいただいた箇所でした。

「命を救うために、神がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになったのです。…あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」(5~8節)

わたしたちは、「時」「出来事」の一部分しか見ることのできない存在です。そして、その限りある「時」の中で最善、ベストと思うことを選択します。だれがヨセフをエジプトに先に送り込んで、飢饉のために備えさせようなどと考えるでしょうか? 

「永遠」とは、限りない広がりをもった、「時」です。わたしたちの認識をはるかに超えた世界です。その「永遠」の命、限られた区切られた命とはまったく異なる「永遠の命」を、わたしたちにもたらしてくださるという、すばらしい約束がここに宣言されているのです。

しかし、ここで一つ考えなければならないことがあります。

実は、長い「時」を考えるより、短い「時」のことだけを考えているほうが、人間にとって、ある意味、過ごしやすい面があるのも事実です。

わたしはかつて、自分の歩んでいる「時」を短い区切りで考えていた時期がありました。永遠についてなど、考えもしませんでした。ところが、その短い「時」がどこにつながっているのだろうか、と、より長い範囲で考え出した時、はたと前に進めなくなるという経験をいたしました。それは、大学1年生の時でした。

振り返ると、高校受験、大学受験と、短い目標を定め、それを挫折なくクリアするという歩みを続けていました。そして、少年時代から興味をもっていた生物学を学ぶことのできる第一志望の大学に入学できたのです。しかし、そこではたと考えたのです。その学びの先に、何があるのだろうか、見ようとすればするほど、混沌としたものしか見えなくなってしまいました。とうとうせっかく入った大学を辞めようとまで考えました。助教授の先生のところに相談に行きました。思いを話したところ、「辞めるのはいつでもできるから、休学にしてみては」と提案され、1学年が終わったところで休学届けを出しました。それからは、坂道を転げ落ちるように、勝手な行動に身を置き始めました。ちょうどそのころ両親がそろって教会で洗礼を受けました。詳しい話を聞いたわけではなかったのですが、わたしは猛烈に反対しました。両親ともそれぞれ何らかのキリスト教との接点があり、求道を始めて共に50歳近くになって決断に至ったわけですが、わたしにはほとんど教会との接点はありませんでした。父やいとこに連れられてほんの数えるほど教会学校に行ったことがあっただけでした。わたしは「信仰など、弱い者の持つものだ」と言い放ち、インド哲学の本を買ってきてはかじり読みをして、そのにわか知識をもって議論をふっかけたりしていました。生活は、いよいよめちゃくちゃになってゆきました。当時はディスコなどが流行っていたのですが、夜になると六本木のディスコに週何度も出かけ、家に戻らないことを繰り返し、とうとう家を飛び出してしまいました。おそらく想像はできないかもしれませんが頭にはパーマをかけて、夜中には、大きな音をたてて都心の道を走り回るようなこともして、多くの人を傷つけ、迷惑をかけ、心配させてそれを何とも思わずに過ごしていました。

「時」をなるべく細かく切り刻んで、その瞬間さえよければよい、と考えていたのです。長い「時」と向かい合うことから逃げていたのでしょう。同時に、光を避けて、闇の中に逃げ込もうとしていたのです。

しかし、そのような滅茶苦茶な生活を長く続けられるわけがありません。体を壊して入院、手術となりました。腸の癒着が手遅れになりかけていて、あぶないところでしたが、一命はとりとめました。(そこで終わっていたら、今、ここにいないのですが。)病室で真っ白な天井を見上げながら、ふと考えました。「自分は、今まで自分の思ったことは何でも自分の力でできると思っていたが、自分の体さえどうすることもできない者だったんだ」と、当たり前のことなのですが、その時、初めてその当たり前のことに気づいたのです。その時、ちょうど外科の病棟が満室で、内科の病棟に入院していたため、看護師さんも比較的のんびりとした雰囲気でした。ある日、佐藤さんという一人の看護師さんが話しかけてきました。「看護師というのは、なかなか大変なものだ。北海道から出てきて看護師になったのだけれど、ある時、仕事に疲れ、人間関係にも疲れ、もうやめてしまおうと思ったこともある。それどころかもう死んでしまいたいと思っていた。でも一人の人と話をしたことで、その死んでしまおうという思いがなくなってしまった。」という話しでした。そしてその「一人の人」の名前を聞いた時、どこかで聞いたことのある名前だと思いました。それは、両親が通っていた教会の牧師だったのです。彼女はクリスチャンではなく、教会に通っていたわけでもなかったのですが、牧師が一時体を壊して入院していて、その時に、患者として出会ったのでした。わたしは思いました。「人が死のうとまで考えていたのをなくならせてしまうのには、何かがある。退院したらちょっと教会に行って、その何かとは何なのか探りに行ってみよう」と。そして、退院して、初めて、教会へと行ったのです。その半年後のクリスマスには洗礼を受けていました。そして、その3か月後の春には、大学に復学したのでした。

「時」を短く刻むこと「闇」の中に逃げ込もうしていた自分に、主なる神はこの出来事を通して気づかせてくださいました。「時」を短く刻む必要などないのだ。長い「時」から目を背ける必要もないのだ。そして、「闇」から「光」へと目を向ける一本の道を示してくださったのです。

なお、その後、どのようにして牧師となったか(続き)については、来週お話したいと思います。

最後に、二つのことをこの聖書箇所から受けとめたいと思います。

第一は、2回繰り返されている「愛する」という言葉です。皆さんのお手持ちの聖書に2回発見できますでしょうか。新共同訳聖書をお持ちの方は、1回しか発見できないと思います。16節「愛された」これは、アガペーの愛として有名な言葉で、動詞ではアガパオーです。無条件な、命をかけての真剣な愛です。その同じアガパオーが19節にもあるのです。「好んだ」と訳されていますが、これは「アガパオー」が用いられているのです。

「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。」

単に、こちらの方がいいと気軽に闇をよく思ったというのではなく、神が無条件・命がけで人を愛してくださったような、そんな思いを「闇」に対して抱いていたのだということをこの聖書の箇所は示しているのです。口語訳では、両方とも「愛する」と訳していましたし、新しい聖書協会共同訳でも「愛する」という訳に戻っておりますが、これは大切なことです。わたしもそのように「永遠」という“時”を見ようともせず、あえて細切れになった“時”の方を愛し、「光」を避け、「闇」に逃げ込もうとしていました。

もう一つ心に留めるべきことは、「神に導かれて」(21節)です。

神ご自身が、わたしたちが「闇」の中にとどまることを良しとされないのです。「神に導かれて」は、他の多くの訳では「神にあって」と訳されています。「闇」に居心地のよさを見い出し、とどまろうとするようなわたしたちであるにもかかわらず、主なる神が独り子を遣わしてくださり、「導いて」くださいます。わたしに「看護師の佐藤さん」との出会いを与えてくださったように、主は、わたしたち一人ひとりにいろいろな出会いを与えてくださり、いろいろな方法で語りかけてくださいます。

主なる神は、人生の同伴者としてご一緒してくださり、導いてくださるのです。そして、永遠の命にあずからせてくださいます。



(7月5日の続き・7月12日説教より一部抜粋)

先週、主がこのわたしをどのようにして救いへと導いてくださったのか、証しをお話させていただきました。月報にも掲載の予定ですので、もし先週、お聞き逃しの方は、それをご覧いただければと思います。本日は、その続き、どのようにして献身へと導いてくださったのか、についてお話ししたいと思います。

19歳の時、教会に行ったわたしは、その年のクリスマスに洗礼の恵みにあずかりました。その3か月後には休学していた大学にも復学しました。教会では、もうひとつ大きな出会いがありました。それは、妻・愛美との出会いです。彼女は、小さい時から両親と共に教会に通っていました。第一印象は、(俗な言葉でいえば)「自分のようなものは決して手を出してはならない」というものでした。自分とあまりにも異なる、清らかな存在に見えたのです。にもかかわらず、やがて、少しずつ話すようになり、お付き合いをするようになり、とうとう結婚に至りました。その詳しいいきさつについては、省略いたしますが、彼女はまだ大学生でしたが、彼女のお母さまが癌で召されるという困難の中で、その困難を一緒に乗り越えたいという思いもどこかにあったかと思います。やがて、お父さまが、献身し、神学校へ行き始めました。50歳を超えていましたが、それまで携わっていた損害保険の代理店の仕事一切をたたんでの献身でした。わたしにはとても輝いて見えました。いつしかその生き方に憧れに似たような思いを抱くようになりました。婚約中、自分も献身して牧師になりたいと、彼女に話したことがありました。彼女は、「とんでもない」と猛反対でした。彼女なりの人生観があったのでしょう。「どうしてもというならば、結婚はやめよう」というところまで至りました。そこで、「献身する」と意思を貫き通したのではなく、「それでは牧師になることはやめる」ということになったのです。無事、結婚できました。思い返してみれば、それは単なる義父の姿への憧れにすぎず、召命も何もまったくないものでしたので、反対されて当たり前のことでした。

やがて、妻が身ごもりました。そのころわたしは、大学院を卒業後、東京コンピュータ専門学校というキリスト教主義の専門学校で一般教養の数学、生物といった科目の教師をしていました。妻がみごもったことは、とてもうれしかったのですが、今思うと、自分のことで精一杯で妻の立場に立ってあまり考えていませんでした。そのような中で、妊娠9か月の時、とうとう死産してしまいました。

産科の病棟というのは、その時の二人にとってとてもつらい場所となりました。壁一つ隔てたところで、おめでとうと笑顔で挨拶が交わされているのに、いつ見ても、妻の目は真っ赤でした。わたしは、妻の前では、「自分がしっかりしなくては」という思いから、なるべく気丈に振る舞っていました。職場の同僚も心のこもった慰めの声をかけてくれました。しかし、夜になり一人家にいると、いろいろな思いで頭の中がいっぱいになりました。「あのとき、ああしていれば、このようなことにならなかったのでは」と暗闇の中で、うごめいているような感じでした。そんなことが1日、2日と続き、3日目のことです。暗闇の中で、まったく希望の光が見いだせず、「あのとき、ああしていれば」と自分を責め続けていました。まさに闇でした。しかし、その真っ暗闇の中で、一つの声のようなものが自分の中に響いてきました。実際に聞こえた声というより、突然、自分を超えたところから、上から届けられたように感じたのです。「十字架を見上げよ。お前の罪はもうそこ(わたし自身)にはない。あそこ(十字架の上)にあるのだ。」 その言葉に従い、十字架を見上げた時、心に光がサッと差し込んだような思いがしました。洗礼を受け、救いに与かっていたものの、十字架の意味をその時に初めて知らされたような気がしました。自分の罪の大きさ、自分ではどうすることもできないその重さと、それを十字架の上に持って行ってくださったその恵みの大きさを知った時、次から次へと涙があふれてきました。しばらくその場で、泣き続けました。しばらくして、このような大きなことをなしてくださった、ご自分の命さえ十字架の上に捨ててくださった主イエスのために、自分は何をすべきなのか、そう考えた時、真っ先に示されたのが、牧師になりたいという思いを捨てようということでした。その場で祈りました。「わたしは生涯、二度と、牧師になりたいと言いませんし、その思いをすべて捨てます。」と。同時に、不思議なことですがこう、付け加えて祈らされました。自分の思いではなく、自分でもわからずに祈らされたといったほうが正確です。それは、「ただ、妻の口を通して牧師になるようにと命じられるならば従います。」それは、当時、ありえないことでした。

それからしばらくして、妻が退院しました。退院した夜。実家の一室で、話しをしていたときです。妻が、突然言いました。「牧師になって。」と。ヨハネによる福音書12章24節の「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」という御言葉を開き、「一粒の麦が多くの実を結ぶ」のだから、というのです。あまりにも突然のことに、今度はわたしが反対しました。しかし最終的には、その場で、共に祈りました。9か月で産声をあげることなく召された女の子を「一麦」と書いて「ひとみ」と名付けました。日本国籍はありませんが、天国にはちゃんと国籍があると信じています。そして、その翌年の冬、神学校に願書を出し、春から通い始めたのです。わたしが1年生で、義父が4年生でした。また、実は、妻は小学生の時、交通事故で腎臓を一つ失っているので、医者からは子どもを産むのは一人だけと宣告されていました。しかし、その後このように3人の子どもを授かり今日に至っています。

主イエスは「天から来られた方」です。どんな絶望と思われるところも希望に変える力をお持ちでいらっしゃいます。それは、「天から」「上から」、その希望をお届けくださるからです。洗礼者ヨハネは、30節にあるように「わたしは衰え」というような状況でさえ、「天から」もたらされたものは消えることはない、永遠に続く、と大胆に語っているのです。

「天から」「上から」とは、決して超自然的な出来事やショッキングな出来事を通してのみ与えられるのではありません。洗礼者ヨハネは、「花婿の介添人」にとどまるという一見地味な中に身を置き続けました。そのシンプルさの中に、大切なものがあるのです。彼は、たとえ自分の身が滅びても変わらないものがあるという証しに徹したのです。

「天から来られる方」主イエスが、一人ひとりにくださる「永遠の命」は、このような喜びと一つなのです。わたしたち一人ひとりに、そのような「天から」の恵みをくださるのです。

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