創世記45:1~8
横山厚志
主の御名を讃美します。今日、茅ヶ崎教会の皆様と共に礼拝を守ることができますことを心から感謝します。最初に茅ヶ崎教会の桜井牧師とその家族の上に、茅ヶ崎教会の皆様の上に、主の平安が豊かにありますように祈っています。
昨日の夜に桜井牧師より電話を頂きました。自分は礼拝に出ることができませんが、よろしくお願いしますと言うものでした。本当に頭が下ります。桜井牧師より、3月11日は、私に礼拝を担当して欲しかったと言って下さいました。自分に何ができるのか分かりませんが、心から奉仕させて頂きます。今日で東日本大震災が起ってちょうど1年になります。早いものですね。私の心の中では、この出来事を受け止めることが正直できていません。
今日は、創世記45章から、御言葉を語らせて頂きます。いわゆるヨセフ物語です。旧約聖書では、イスラエルの民が神から選ばれていくのですが、ここにはイスラエルの救いが書かれてあります。当時、世界的な大飢饉が起こるのです。大飢饉というのがどのようなものか具体的に分かりませんが、非常に危機的な状況に陥っていくのが書かれてあります。数の少ない民であるイスラエルの人々が、この大飢饉の前で滅びてしまうかもしれない、そのような出来事だったのです。創世記41章の終りの方には飢饉がいかに厳しい状況であるのが書かれてあります。「世界各地の飢饉も激しくなった。」と57節にあります。
創世記42:1~3
42:1 ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、
42:2 「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。
42:3 そこでヨセフの十人の兄たちは、エジプトから穀物を買うために下って行った。
ヤコブが、大飢饉のために我々は死なずに生き延びることができると言っています。そのような状況だったのです。エジプトには食料があるのです。生き延びるための希望がエジプトにあります。ヨセフ物語は皆さんある程度知っておられると思うのですが、この時、ヨセフはエジプトで食料を管理する大臣でした。ヨセフはヤコブの子供です。一緒にいないで、エジプトで大臣として大切な役割を果たしています。なぜヨセフがエジプトにいるのでしょうか。それはヤコブの家族の問題からでした。ヤコブには12人の男の兄弟がいました。それがイスラエルの12部族になっていきます。ヤコブはこのヨセフだけを溺愛してきます。異常なくらいの溺愛です。ヨセフだけに特別の着物をつくっています。ヨセフも父の溺愛が当たり前だと思っていました。父は他の兄弟達の反応を知ることができなくなっていました。それが悲劇につながっていきます。兄弟達はヨセフを憎しみ、穏やかに話すことができなくなっていました。それが殺人につながっていくのです。結果的に兄弟間の殺人にはいきませんでしたが、ヨセフがエジプトに奴隷として売られていくと言う事態になりました。このようにしてヨセフはエジプトに行くことになりました。ヨセフはエジプトで奴隷、囚人として苦しみを受けることになります。
その時にエジプト王が夢を見て、それをヨセフが解くと言うことになりました。ヨセフには夢を解くと言う特別な力が与えられていたのでした。エジプト王の夢とはこれからエジプトに7年の豊作とその後7年間の飢饉が続くと言うものでした。ヨセフは王に夢の意味を解くだけではなく、具体的な解決方法も語りました。それで穀物の管理をする大臣と言う役割を王から与えられたのでした。
世界的な飢饉が広がっていく中で、イスラエルの人々、ヤコブも兄弟達も危機にあり、エジプトに行くことになります。これはイスラエルの生存権をかけたものです。ヤコブの子供達、ヨセフの兄弟達がエジプトへ、ヨセフの元に行くのです。今日読みました聖書の箇所は、ヨセフと兄弟達の関わりが書かれてあります。兄弟達は、目の前にいるエジプト人がヨセフだと知るはずもありません。聖書を丁寧に読んでいくとヨセフはエジプトに奴隷と連れて行かれたのですが、兄弟達はヨセフを見失っています。ヨセフがどうなっているのか、実は知らなかったのです。しかし、殺そうとしたこと、穴に落としたこと、奴隷として売ろうとしていたことは忘れてはいませんでした。
ヨセフは兄弟達が、自分にしたことは忘れることはなかったでしょう。自分がエジプトに来たこと、今まで自分の身に起った苦しいこと、すべてはあの日から始まったのです。時は流れて目の前にいる兄弟達を見て、ヨセフは何も感じていたのでしょうか。それぞれにそれまでにいろいろな出来事があったのでしょう。ヨセフは平静にいることができなくなります。そして兄弟達に、自分がヨセフであることを告げます。「わたしはヨセフです。」その声に兄弟達はヨセフの前で驚きのあまり答えることができませんでした。
創世記45:4~8
ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
45:5 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。
45:6 この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。
45:7 神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
45:8 わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。
ヨセフは今までの出来事を顧みて、「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」「わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、上です。」と語っています。ここで神はイスラエルの人々を救いへと導いています。世界的な大飢饉からイスラエルの人々を救うのです。ここで神が救いへと導いたのが、ヤコブの家族の問題です。
ローマ8:28
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
使徒パウロが、ここで万事が益となるように共に働くということを知っていると語っています。万事が益となると言うことです。考えてみれば今は受難節にあります。イエス・キリストによって私達は救われるのです。イエス・キリストの十字架による救い、神の救いは何によって成就するのでしょう。それは私達の罪ではありませんか。私達の罪がイエス・キリストを十字架につけたのです。しかし、そのことによって、私達の救いが完成していくのです。
東日本大震災、この意味と神の救いとどう関わるのか、今の私には何も言うことができません。分かりません。いつの日か、乗り越えて語ることができるように、祈ります。
祈 り
父なる神。このようにあなたの御言葉を語らせて頂きました。どうか、この僕が語った言葉が、あなたの御言葉として、茅ヶ崎教会の人々に届けて下さい。東日本大震災、被災した人々が希望を持って歩むことができますように導いて下さい。私達も忘れることなく覚え、祈り続けていくことができますように、導いて下さい。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。