牧師室の窓から 2018年2月

☆2月10日、茅ヶ崎香川教会の吉田宗平さんが召されました。87歳でした。吉田宗平さんは戦争末期の1945年4月1日、まもなく15歳になろうとしているとき当教会で洗礼を受けられました。

 吉田宗平さんの三人のお姉さんはいずれもキリスト者です。一番先に洗礼を受けたのは二番目のお姉さんの充子(よしこ)さんです。1935年12月に女子聖学院で洗礼を受けました。充子さんは結核を患い、転地療養ということで1939年12月に長姉の正(まさ)さん(結婚されて宮崎正さん)と妹の弘子さん(結婚されて小島弘子さん)と三人で茅ヶ崎に住むようになりました。ご両親が亡くなっていたので、中国から帰還したお兄さんが小学生であった宗平さんを連れて関西に赴任したそうです。吉田三姉妹が茅ヶ崎に住むようになって二ヶ月後、茅ヶ崎教会で伝道集会があるとの誘いを近所の老婦人から受け、正さんと弘子さんは出席して心を動かされ、その後礼拝に出席するようになりました。そしてその年1940年11月3日、充子さんが転入し、正さんと弘子さんが洗礼を受けました。その日の受洗者は8人で、その一人が馬場芳春さんです。

 吉田宗平さんが召されたということであらためて『六十年史』を読んで考えさせられたことがいくつかありました。それは「敵国宗教」として伝道が困難な戦時下に、茅ヶ崎教会では受洗者が多かったことです。1940年11月3日に8名、1940年クリスマスに1名、1941年9月に2名、1942年9月に3名そして幼児洗礼2名、1942年のクリスマスに2名、1943年2月に1名、4月に3名、1945年4月に吉田宗平さんをはじめ4名、5月に3名と幼児洗礼3名、7月に3名と受洗者が相次ぎました。宮崎正さんは『六十年史』に「時代は戦時下であり、個人としては自由もなければ何の計画も立てられないお先真っ暗であったが、教会は私たちにとって唯一のよりどころとなっていた」と記しています。そして、その困難な時代に洗礼を受けた吉田家の方々に信仰が継承され、遺族席には叔父さんの死を悼んだキリスト者が何人もおられました。

 ドイツの元大統領のヴァイツゼッカーは「心に刻むというのは、歴史における神のみ業を目のあたりに経験することです。これこそが救いの信仰の源であり、この経験こそ希望を生みだす」と語っています。茅ヶ崎教会の戦時下の歴史を「心に刻む」ことの大切を思わされた吉田宗平さんの死と葬儀でした。 

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