2018年2月4日 礼拝説教「ペトロの否認」

詩編116:1~19
マタイによる福音書26:69~75

櫻井重宣

ただ今御一緒に耳を傾けたマタイによる福音書26章69節から75節にはイエスさまの筆頭弟子ともいうべきペトロが三度イエスさまを知らない、イエスさまと関係ないと言ってしまったときのことが記されています。わたしもそうですが、イエスさまに従って行こうと願っているものにとって、この箇所は胸がしめつけられるような、いたたまれない、そうした思いをさせられる箇所です。

 昨年秋の伝道礼拝では、岡崎晃先生から「愛の眼ざし」と題してルカによる福音書を通して、三度イエスさまを否んだペトロについて感銘深い説教を伺いましたが、今日はマタイによる福音書を通してイエスさまのペトロに、そしてわたしたちに注がれる愛の眼ざしに思いを深めて参りたいと願っています。

 冒頭の69節をお読みします。

《ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。》

ペトロはイエスさまが逮捕されたとき、いったんは他の弟子たちもそうでしたが、イエスさまを見捨てて逃げてしまったのですが、イエスさまの裁判の成り行きを見ようとして遠く離れてですが、イエスさまに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、下役たちと一緒に座っていました。そこへ一人の女中がペトロに近寄って来て「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と何気なく言ったのです。  そうしますと、70節、《ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」》と言ったのです。一人の女中が何気なく言ったことを、ペトロは皆の前でそれを否定しています。

ペトロは逮捕され、大祭司から直接お前もイエスの弟子か、と問われたら、そうです、と胸を張って答えたかもしれません。しかし、思いがけなくそばにいた女中さんから一対一で聞かれたとき、女中さんに対して「違う」と答えてしまったのです。それだけではなく、皆の前で「この女の人が何のことを言っているのか、わたしには分からない」と答えたのです。

 前にもお話ししたことがありますが、戦時中、わたしの父は岩手県の教会の牧師でした。戦争が始まろうとした頃から教会の隣の貸家は警察が借り受け、教会の様子を見張り、お客さんが来たとき、とくに宣教師が来たとき、近所つきあいの延長のように普段着で、下駄履きで、牧師館を訪ねてきては、今日のお客さんはどこから来たのか、櫻井さんの家とどういう関わりがあるのかと質問し、父や母は答えに苦慮したそうです。わたしたちは神さまの愛をもっと多くの人に伝えたい、伝道したいと願っていますが、身近な人や家族に伝道することは本当に難しい事を思わされます。ペトロがそばにいた女の人から急に言われたとき、あの人を知らないと皆の前で言ってしまったことはペトロだけの弱さではなく、わたしたちに共通する弱さです。

71節と72節。《ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。》

 二度目も女中さんです。一回目とは違うほかの女中さんです。その人から「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言われたとき、ペトロは「そんな人は知らない」と誓って打ち消しました。否定の仕方が強くなっています。

 73節と74節。《しばらくすると、そこにいた人々が近寄って来て、ペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。」

最初と二回目は女中さんから一対一で言われたのですが、今度はそこにいた何人か分かりませんが複数の人々から、お前もあの連中の仲間だ、言葉遣いでそれが分かると言われたとき、ペトロは、呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と言ったのです。わたしは東北人ですから言葉遣いで分かるというのは他人事ではありません。

 この74節は、本当に強いいまわしです。柳生直行先生は、「そんな人は見たこともない。ほんとうだ。もし嘘だったら、神に呪われてもいい。」と訳し、塚本虎二先生は「『そんな男は知らない。これが嘘なら呪われてもよい』と、幾度も呪いをかけて誓った」と訳しておられます。一回目、二回目、三回目と否定の言葉がだんだん強くなっていったことが分かります。

『沈黙』などの小説で有名な遠藤周作さんは、切支丹弾圧のことをよく調べた方ですが、遠藤さんが繰り返しおっしゃっていることは、いったん転んだ切支丹は切支丹を弾圧する側になるということです。ここでペトロが否定の言葉が強くなっていることに通じます。

ペトロがだんだん深みに入っていったとき、鶏が鳴きました。

 75節。《ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。》

 最後の晩餐を終え、イエスさまが祈るためにゲッセマネに行く途中、イエスさまが「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」とおっしゃったとき、ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言いました。そのとき、イエスさまはペトロに「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に,三度わたしのことを知らないと言うだろう。」とおっしゃいました。それに対してペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言い、弟子たちも皆同じようなことを言いました。

 鶏が鳴いたとき、ペトロが激しく泣いて思い出したのは、わずか数時間前のこのイエスさまのこの言葉です。イエスさまはペトロの弱さをご存じでした。しかもただご存じだけでなく、今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく、とおっしゃったあと、わたしは復活した後、あなた方より先にガリラヤに行く、とおっしゃったのです。ガリラヤはペトロたちがイエスさまに最初に出会ってから三年間過した地方です。そのガリラヤでもう一度会おうというのです。ペトロは弱さをさらけ出してしまったわたしともう一度ガリラヤで会おうとおっしゃったことを想い出し、激しく泣いたのです。

ルカ福音書の言葉で言うなら、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たち、原文ではあなたの兄弟たちを力づけてやりなさい」、です。

 どんなに弱さをさらけだしても、もうあなたはだめだ、失望した、と突き放すのではなく、もう一度ガリラヤで会おう、どんなに弱さをさらけだしても、あなたの立ち直りためにわたしは祈っている、あなたが立ち直ったら、弱さを持っているあなたの兄弟たち、教会の仲間を力づけてやって欲しいというのです。

 今は全国のかなりの地で見ることができるようになりましたが、古代ハスとか大賀ハスという夏が近づくと大きな花を咲かせるハスがあります。秋田の公園にもありました。本当に美しいハスです。戦後まもない1951年、今から66年前ですが、大賀一郎という植物学者が千葉県の検見川で発掘された丸木舟についていたハスの実を三つ見つけ,それを咲かせたのが大賀ハス、古代ハスです。大賀先生の研究によると二千年前のハスの実でした。二千年前というとイエスさまの時代です。

 実は大賀一郎先生は内村鑑三先生のご指導を受けたキリスト者です。大賀先生は『ハスを語る』という御自分の著書の序にこういう文を書いています。

「苦難の道は人生である。わたしは七十余年この地に生を受け、よき師とよき友にまもられて滅ぶべき身を支えられ、あえぎつつようやくここまでたどりついたが、わたしにとってそれは実に荒れ野であった。昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれた。」と書いておられます。

 そしてこの本の第一部は「ハスを語る」で、第二部は「わが師・わが友」で、そこに内村鑑三先生との出会いが記されています。大賀先生にとって内村先生は十字架の福音を明白に示してくださった先生でした。内村先生は大賀先生に、「天国に行って、イエスさまにお目にかかるときのお土産は、伝道によって得た砕かれた魂だ」、「いかなる教育も、いかなる学術研究も、伝道には及ばない」と、繰り返しおっしゃったそうです。

大賀先生は内村先生からよく叱られたそうです。『大賀はだめだが、福音はえらいんだ』、と。大賀先生はこの内村先生のお叱りの言葉に本当に慰められた、とおっしゃっています。

 皆さんの中にもお読みになった方がおられると思いますが、今から50年前ですが、婦人の友社から『聖書の人々』という書が出版されました。聖書に登場する旧約から新約まで40人をその当時の牧師やキリスト者が書いています。昨年亡くなった日野重明先生、「医者ルカ」を書いています。

実は、その書でペテロのことを書いているのが大賀一郎先生です。8頁の短い文ですが、福音書に記されるペテロにことを書き記し、最後に大賀先生はこう書いておられます。

 「ペテロは生来心弱く、ただイエスの霊を受けて強くなったのである。ここにイエスを仰ぐ信仰の要があるのではないか。そしてイエスはこのペテロを終わりまで忍んで愛し給うた。我らもまたペテロのごとく、聖霊にひたって深く罪を悔い、清き余生を過したいと祈るものである。」

 すなわち、ペテロはだめだが、そのペテロを愛する方がおられる。そのペテロのために十字架の死を遂げた方がおられる。そこまでしてペテロを愛する方がおられる。こうした神の愛がペテロに注がれている。ペテロはだめだが、福音はえらい、そうした信仰で大賀先生はペテロを書き記されるのです。

こうした信仰は「わたしは主を愛する.主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。」という詩編116の詩人の祈りに通じます。どんなに嘆かざるを得ないときにも、嘆きの深みで、主よ、助けてください、と願うと、神さまは耳を傾けてくださる、神さまはそういう方だ、だから生涯、主を呼ぼうというのが聖書の語ることです。

大賀先生とほぼ同じ世代に高倉徳太郎牧師がおられます。50歳にならずに亡くなりました。高倉先生が信濃町教会でされた最後から三つ目の説教が、このペトロが三度イエスさまを知らないといってしまったこの箇所の説教です。今から80年以上前の説教ですが、実に感銘深い説教です。教会はどういうところかというと、立ち帰った者が支え合うところだ。キリストはただペテロが立ち帰るだけでなく、立ち帰ったペテロが同じような弱さを持つ兄弟たちのために祈り、励ました、その立ち帰ったものが集まっているのが教会だ、だれが正しい、立派だ、そんなことは問題ではない。イエスさまはどの人の立ち帰りをも願って十字架の死を遂げた。そうした立ち帰った者の群れが教会だ、と語っておられます。

 まもなくイエスさまの十字架の苦しみを覚えるレントの期間を迎えます。わたしたち一人一人神さまの前に弱さ、破れを持っています。大賀一郎先生が内村鑑三先生から言われた言葉でいうなら、だめな人間です。けれどもそのだめなわたしたちのために神さまは独り子イエスさまをくださり、そのイエスさまはだめなわたしたちのために十字架の死を遂げて下さったのです。そのえらい福音が、だめなわたしたちを包み込んでいるのです。だから、大賀先生は、大賀はだめだが,福音はえらいという言葉に慰められたのです。

 わたしたち一人一人、そのことを感謝し、神さまを心から賛美しましょう。

目次