2020年6月21日 礼拝説教「三日で建て直す神殿」

イザヤ書56:1~7
ヨハネによる福音書2:13~25

田村博

本日の新約聖書箇所に登場する主イエスのお姿、行動には、少なからず驚きを覚えたりショックを受けたりする方もいらっしゃるかもしれません。福音書を通して伝えられている主イエスのイメージは、温厚で、微笑みを浮かべて、やさしく語りかけてくださるお方というものではないでしょうか。しかし、「神殿から商人を追い出す」と小見出しがつけられ、かつては「宮清め」とも称されたこの場面では、主イエスは「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し」(15節)と、まことに荒々しく、乱暴な行動をなさっているのです。この主イエスの行動は、4つの福音書すべてに記されています。しかもマタイ、マルコ、ルカの3つの福音書では、主イエスが十字架におかかりになる直前、エルサレムに入場されて間もなくという緊迫した場面での出来事として伝えられています。しかし、ヨハネによる福音書では、主イエスが公のご生涯を開始され、最初のしるしをガリラヤのカナの婚礼の席であらわされたその直後に収められているのです。人々にショックを与えないようにするためにあまり目立たないところにそっと収めたというわけではありません。その証拠に、この出来事の最初と最後にあたる13節と23節には、「過越祭」という言葉が繰り返されています。イスラエルの民・ユダヤ人たちにとって「過越祭」は、最も大切な祭の一つです。主イエスも両親、親族と共に過越祭ごとにエルサレムに行き、神殿で礼拝をささげました(ルカ2:41以下)。祭といっても単なるイベントではありません。自分たちは“出エジプト”によってエジプトでの奴隷の状態から脱出してきた民族なのだという、自分たちの原点、自分たちのアイデンティティを確認するという意味がありました。出エジプトの時、小羊の血を門柱と鴨居に塗ることを通して、本来は自分が受けるべき神からの裁きを小羊が代わりに負ってくれ、それゆえに神の裁きが自らの前を通り過ぎる、それが過越の意味するところでした。自分たちの“救い”に直接かかわるとても大切な「過越」という出来事の真ん中に、主イエスのこのショッキングな行動はあるのです。

エルサレム神殿でささげられる礼拝は、その過越祭の中心でした。ところが、その神殿が、こともあろうか「商売の家」になっていたのでした。

 「牛、羊、鳩」を販売していたのは儲けようという動機からではありませんでした(もちろん商売をしているうちに利益を得ていたのは事実ですし、儲けようという思いの強い人たちもいたかも知れません)。遠方からはるばるやってくるのに動物たちと一緒に旅をすることは大変でした。その大変さを和らげるために、親切心から商人たちは、「牛、羊、鳩」を扱っていたのです。両替人もそうでした。当時巷で用いられていたのは、ローマやギリシャの通貨でした。しかし、それは神殿では用いることはできず、イスラエルの民の通貨・シェケルを用いなければならなかったので、両替をしていたのです。いずれも悪意はありませんでした。

 問題は、商売をしていたその場所にありました。

 エルサレムの神殿は、その中心に聖所、至聖所がありました。聖所は、祭司のみが入れる領域であり、至聖所に至っては年に一度、その年の大祭司のみが入ることのできる領域でした。その外側にイスラエルの民の男性が入ることのできる場所があり、イスラエルの民の女性はさらにその外側までしか入ることができませんでした(婦人の庭)。そして、もう一つ外側にあったのが異邦人の庭でした。異邦人とは、イスラエルの民(ユダヤ人)ではない人々です。割礼を受けていない者たち、血縁に加えられない者たち、安息日を守らなくても咎められることのない者たちでした。しかし、エルサレム神殿を訪れた異邦人たちは、何らかの理由で(ユダヤ人たちとの出会いの中で導かれたのかもしれません)、聖書に記されている創造主なる神を知り、信じ、求めるに至った人々でした。そして、異邦人の庭とは、彼らが祈りをささげ、礼拝をささげる場所だったのです。それは、他の場所に比較して、一番広い領域でした。こんなに広いのだから少しぐらいいいだろう、商売をしていた人々の心にはそんな気持ちがスッと入り込んだに違いありません。どうせ異邦人たちの……といった思いがあったのです。

 現在、全米で人種差別反対のデモが起こっています。

キング牧師は、かつて力強いメッセージを人々に届け続けました。

「私には夢がある(I Have a Dream)」

「私には夢がある。いつの日か、この国が立ち上がり、『すべての人間は生まれながらにして平等であることを、自明の真理と信じる』というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢が。」

キング牧師は、単に社会改革運動を推し進めたのではありません。

わたしたちを創造してくださった神は、決して人を分け隔てなどなさるお方ではないという確信を聖書から受け取り、そして人々に語ったのです。

人間の心には、「分け隔て」を肯定したり許容したりする心が、サッと入り込むものです。少しぐらい、とそれをそのままにしてしまうことも起こるのです。

しかし、主イエスは、その部分を決してないがしろにはなさいませんでした。いいかげんにはなさいませんでした。主イエスによって、イザヤ書56章1~7節が成就されたのです。

「主はこう言われる。

正義を守り、恵みの業を行え。

わたしの救いが実現し

わたしの恵みの業が現れるのは間近い。

いかに幸いなことか、このように行う人

主のもとに集って来た異邦人は言うな

主は御自分の民とわたしを区別される、と。

宦官も、言うな

見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。

なぜなら、主はこう言われる

宦官が、わたしの安息日を常に守り

わたしの望むことを選び

わたしの契約を固く守るなら

わたしは彼らのために、とこしえの名を与え

息子、娘を持つにまさる記念の名を

わたしの家、わたしの城壁に刻む。

その名は決して消し去られることがない。

また、主のもとに集って来た異邦人が

主に仕え、主の名を愛し、その僕となり

安息日を守り、それを汚すことなく

わたしの契約を固く守るなら

わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き

わたしの祈りの家の喜びの祝いに

連なることを許す。

彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら

わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。

わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」

 主イエスによってもたらされるまことの救いがここにあります。

 主イエスは、なおも問い続ける人々にこうおっしゃいました。

「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(19節)

 のちに十字架におかかりになる直前、主イエスのことを訴える人々が言った言葉は「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました。」(マタイ26:61他)でした。しかし、主イエスは「この神殿を壊してみよ」とおっしゃったのです。ご自分が「壊す」とはおっしゃいませんでした。ヨハネは、21、22節に「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し…」と記しています。主イエスは、ご自身のお体を「神殿」とおっしゃいました。そして、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」というお言葉は、十字架、復活を通して成就したのでした。

 ところで、なぜ「10日」でも「2日」でもなく「3日」なのでしょうか。

 第一に、人(弟子たち、婦人たち)は主イエスの3日以上の不在に耐えられないことを主なる神はご存知だったからだったかもしれません。第二に、それは「ヨナのしるし」として主イエスご自身がご指摘された旧約聖書の預言の成就、しるしの完成だったからでありましょう。そして、第三に、使徒信条において「陰府(よみ)にくだり」と告白されていますが、主イエスは、何もせずに3日目を迎えたのではないのです。わたしたちそれぞれの周囲には、主イエスを救い主として告白することなく召された親族、知人がいることでしょう。もうわたしたちにはどうすることもできません。しかし、わたしたちがどうすることもできないその人々のことを心にかけ、その人々のところに2日目にくだってくださったのが主イエスなのです。そのことはどうしても必要なことだったのです。

 主イエスは、復活を通して、朽ちることのない「神殿」を建て上げでくださいました。しかも、それは主イエスだけにとどまることではないことを聖書は伝えています。

 コリントの信徒への手紙一 3章には次のような御言葉があります。

「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」(3:9)

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(3:16、17)

 主イエスは、わたしたちを用いて、わたしたちの祈りを用いて、わたしたちの信仰の歩みを用いて、神殿を建て上げてくださるのです。わたしたちが、主イエスの復活を信じますと告白するとき、神の神殿が、一つ、また一つと建て上げられてゆくのです。

※  読むための説教として、当日の内容に一部加筆、省略等の変更を加えています。ご了承ください。

目次