牧師室の窓から 2020年5月

☆新型コロナウイルス流行のため、神奈川県では緊急事態宣言が継続しています。そのような中ではありますが、教会員および関係者の皆様の祈りとご協力により、今日の歩みが支えられていることを、何よりも主に感謝いたします。様々なご事情の中でその場その場で礼拝をおささげしている方々の上に、主の格別なお守りがございますようにお祈り申し上げます。

☆政府やマスメディアにより「新しい生活様式」という表現が用いられ推奨されています。感染防止の3つの基本として、①身体的距離の確保、②マスクの着用、③手洗い、があげられていますが、しっかりとした科学的根拠に基づいて行動選択をしなければ、恐ろしくて一歩も外に出られない、あるいは他人を誹謗中傷して傷つけても何も感じないといった心理状態に追い込まれる危険性もあります。気をつけたいものです。わたしたちが本当に選択しなければならない「新しい生活様式」の「核」にすべきものとは何なのでしょうか。

☆わたしの愛読書のひとつにレイチェル・カーソンの『沈黙の春』という本があります(新潮文庫1974年・原著は1962年)。その書き出しは、のどかな春の風景の描写から始まります。ところがある時、聞こえるはずの鳥のさえずりが聞こえず、命の息吹が感じられない、静まり返った春が訪れるのです。レイチェルは、それは単なる空想ではなくて大量の農薬使用がもたらす現実であることを、科学的根拠を示しつつ警告しています。製薬会社の激しいバッシングを生みつつも、米国の環境保護庁の誕生(1970年)のきっかけとなった貴重な一冊です。その最終章のタイトルは「べつの道」とつけられていて次のような文章で始まります。

「私たちは、いまや分れ道にいる。…(中略)…長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍であり破滅だ。もう一つの道は、あまり<人も行かない>が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。」

その時、レイチェルが対峙していたのは「大量の農薬使用」でありましたが、彼女は、その根底にある人間の心理と欲望をしっかりと見つめています。それは「大量生産・大量消費」という出口のない循環に、人がいかにいとも簡単に入り込んでしまう存在かというものです。便利さ、速さ、経済性のみに価値基準を置く歩みの「行きつく先は、禍であり破滅」に違いありません。わたしたちがその点をもう一度見つめなおし、行動するならば、「新しい生活様式」とは何かという問いかけにも重要な示唆が得られるのではないでしょうか。

目次