イザヤ書35:5~10
マルコによる福音書7:31~37
櫻井重宣
今年はオリンピックとパラリンピックが日本で行われるということで、毎日のようにそのことのニュースが報じられています。とくにパラリンピック開催ということで、障がいを持つ方々のことに関心が持たれていますが、実は先ほどお読み頂いたイザヤ書35章は今から2700年も前に預言者イザヤが預言した言葉です。そこにはわたしたちが待ち望んでいるメシア、救い主がこの世界においでになったとき、障がいのある方々が苦しみから解放されることが預言されています。
イザヤはこういうことを預言していました。
「そのとき、見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。
そのとき 歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧き出で 荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり
乾いた地は水の湧くところとなる。」
救い主が到来することにより、生まれつき目の見えない人、耳の聞こえない人、歩けない人、口の利けない人に光が注がれ、いやしが与えられ、新たな歩みへと踏み出すことが預言されています。さらに今の時代、緊急の課題となっている環境問題のこともイザヤは語っています。預言者イザヤが今から2700年も前に、救い主の到来を待ち望み、こうした預言をしていることにわたしたちは大きな驚きを覚え、イザヤの預言に耳を傾けることの大切さを思わされます。
預言者イザヤから700年後、今御一緒に耳を傾けたマルコによる福音書7章31節~37節には耳が聞こえず口の利けないという生まれつき二重の苦しみを持っていた人にイエスさまが御自分の全存在を傾けて関わったことが記されています。
冒頭の31節にはこう記されています。
「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来た。」
ティルスとかシドンという地方はユダヤの地方の西側、地中海の北側です。デカポリス地方はヨルダン川の東で、ガリラヤ湖の東南の一帯です。イエスさまがこの地方にやってきたとき、32節を見ますと、「人々は耳が聞こえず、舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるよう願」いました。
実は、先立つ5章でイエスさまが嵐をついてガリラヤ湖を渡り、ゲラサ人の地、デカポリス地方に行ったとき、悪霊に取りつかれた人を癒されたことが記されていました。けれども、この人が正気になるのとひきかえに豚二千匹が湖になだれ込み、湖の中でおぼれ死んでしまったので、町の人は、一人の病が癒され正気になったことを喜ぶどころか、豚の損失を惜しみました。そしてイエスさまにこの地方から出ていってもらいたいと願い出て,イエスさまはまた舟に乗って、カファルナウムに戻りました。舟に乗るとき、この正気になった男の人はイエスさまと一緒に行きたいと願ったのですが、イエスさまはその人に自分の家に帰り、身内の人に、神さまがあなたを憐れみ、あなたにしてくださったことを知らせなさいと言って、ついてくることをお許しになりませんでした。正気になった人は「立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく 言い広め始め」ました。言い広めるという語は、伝道するという言葉です。ですから正気になった人はデカポリス地方で伝道し、イエスさまのことを宣べ伝えたのです。
5章からどのくらい日数がたったのでしょうか。イエスさまがこのデカポリスのガリラヤ湖の海辺の町にやってきたとき、人々が、耳が聞こえず、舌のまわらない人を連れて来て、イエスさまに手を置いてくださるよう願い出たのです。イエスさまが最初においでになったときは、豚の損失を惜しみ、イエスさまにここから出て行って欲しいと願いでたのですが、正気になった人の伝道で、イエスさまが次においでになったとき、この地方の人々はイエスさまを迎えるだけでなく、イエスさまのところに生まれつき二重の苦しみを持っている人を連れて来て、癒して欲しいと願い出ているのです。町の人々のイエスさまへの関わり方が変化しています。
33、34節にはこう記されています。
「そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして天を仰いで深く息をつき、その人に向かって。『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。」
イエスさまは、その二重の苦しみを持つ人を群衆の中から連れ出しました。その人に一対一で向き合い、全力で相対されます。
インドでよい働きをしたマザー・テレサさんはイエスさまに励まされ、一対一で人に関わることを大切にされました。こういうことを書いています。
「ものごとを大規模にやるという方法に、わたしは不賛成です。わたしたちにとって大切なのは、ひとりひとりです。ひとりの人を愛するようになるには、その人とほんとうに親しい間柄にならなければなりません。・・わたしは一対一というやり方を信じています。」
イエスさまは生まれつき二重の苦しみを持つ人に一対一で関わりました。ご自分の指をその人の両耳に差し入れます。イエスさまは御自分の右手の指をその人の左の耳に、左手の指をその人の右の耳に入れるのです。それから唾をつけてその人の舌に触れられます。当時、唾は病をいやす要素があると考えられていました。8章にも、目の見えない人の目に唾をつけていやされたことが記されています。
唾をつけてその舌にふれた、ということはどういう仕草かはっきりしないのですが、御自分の舌をその人の舌にふれ、つばでその人の舌をうるおしたということでしょうか。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」、開けとおっしゃったのです。イエスさまがご自分のすべてを注ぎ出して、全力で、生まれつき目が見えない、口が利けない人に関わっていることを知ることができます。
矢内原忠雄先生は学生時代に内村鑑三先生に出会い、イエスさまを信じるようになった人です。矢内原先生がマルコ福音書の説き明かしをまとめた『イエス伝』という本がありますが、今日のこの個所をこう説き明かしておられます。
「息をつく、とあるのは呻くという言葉です。言語をなさざるほどの深き嘆きです。イエスさまはかかる霊魂の呻きをば、この二重苦の者に向かって洩らしたもうた。そして心の底にまで通れよと言わんばかりに、両耳深く指をさし込まれたのです。『エパタ!』感慨こもれる御言の余韻が今なお私どもの耳をうつ。命令のような懇願のような、怒っているような泣いているような、励ましているような憐れんでいるような、その御声が!」
わたしは、矢内原先生のこの説き明かしにいつも心を動かされます。
35節以下を読んでみます。
「すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めされた。しかし、イエスが口止めされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。『この方のなさったことはすべてすばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。』」
ここでも「言い広める」は伝道するという意の言葉です。生まれつき聞こえない、話せないという苦しみを持つ人にイエスさまが御自分のすべてを注ぎ込むようにして関わる、そのイエスさまの姿に心打たれた人々が、神さまがどういう方かを言い広めているのです。^
わたしたちの国で障がいのある方を励ました一人に、戦前そして戦後、3度にわたって日本に来られたヘレン・ケラーの名を挙げることができます。目が見えない、耳が聞こえない、口が利けないという三重の苦しみをもった方でした。
ヘレン・ケラーが書いた『わたしの生涯』という本があります。生まれつき幾つもの苦しみを持つヘレン・ケラーが豊かな生涯を歩み出すことができたのは、家庭教師のサリバン先生との出会いがあったからです。
ヘレン・ケラーは自分の生涯を語るとき、サリバン先生の存在ぬきにして考えられないので、この本の初めから終わりまで、サリバン先生のことを書き記しています。サリバン先生との最初の出会いについて、ヘレン・ケラーはこう記しています。
「私の生涯を通じて忘れることのできぬいちばん重大な日は、先生のサリバン女史が来て下さった日であります。私はこの日を境とした、二つの生涯の間の比べようもない大きな相違を思うとき、自分ながら驚かずにはいられません。それは1877年の3月3日、私が満7歳になる三ヶ月前のことでありました。
・・・
私は近づいて来る足音を感じましたので、それが母だとばかり思い込んで、両手を差し出しました。だれかがそれを捕えました。そうして次の瞬間には、私は私の先生―私の心の目をあらゆるものに向かって開いてくださるため、いいえ、それよりも何よりも私を愛するために来てくださったーそのかたの、両腕の中につよくつよく抱き上げられていました。」
ヘレン・ケラーは、サリバン先生との最初の出会いで、「何よりも私を愛するために来てくださった」ことが分かったというのです。
今日の箇所に記される耳が聞こえず、舌が回らないという生まれつき二重の苦しみを持った人は、イエスさまと出会い、イエスさまが自分の耳にイエスさまが指を差し入れ、唾で舌を触れ、エッファタと呻くようにおっしゃり、そのとき耳が開き、舌のもつれが解けたとき、イエスさまがどれだけ自分を愛して下さったかを知ることができたのです。
イエスさまはわたしたち一人一人にもそうです。わたしたちの存在をまるごと愛され、最後的にイエスさまは十字架の死を遂げてまでわたしたちに命を与えてくださったのです。