2019年7月7日 礼拝説教「罪人を招くため」

エレミヤ書17:5~8
マルコによる福音書2:13~17

櫻井 重宣

ロシアの文豪ドストエフスキーの『白痴』という小説にこういう一節があります。

 「わたしの絵では、キリストのそばに小さな子どもをひとり残しておくことにします。その子どもはキリストのそばで遊んでいるのでございます。ことによると、子どもがまわらぬ舌で話しかけているのを、キリストがじっと聞いておられたかもわかりません。でも今は黙って物思いに沈んでおられます。その手を置き忘れたかのように何気なく、子どもの明るい髪の毛の上にのったままでございます。キリストはじっと遠く地平線をながめておられます。」

 ドストエフスキーは、イエスさまがどういう方かを絵で描こうとするとき、イエスさまのそばに子どもがいる、イエスさまは、どの人の苦しみ、悲しみ、痛みを共にされる方だ、とくに悲しみ、淋しさを覚える子どものそばにはいつもおられる、そういうイエスさまを描きたいというのです。

 今、耳を傾けたマルコによる福音書2章の13節にこう記されています。

 「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。」

 福音書を書き記したマルコは、イエスさまという方は苦しんでいる人、病気の人、悲しんでいる人がいるとどこまでも訪ねていったが、そのお仕事が終わると、またイエスさまの伝道の拠点であるガリラヤ湖のほとりに戻って来られる。イエスさまが戻って来られたことが分かると、一人、二人と、イエスさまのところに集まって来る、イエスさまは、その人たちとひざとひざを突き合わせるようにして、神さまはこういうお方だ、神の国こういうところだとお話しされた、ガリラヤの人にとってイエスさまはそういう方として親しまれていた、そのことを伝えようとしているのです。

 わたしたちもそれぞれ、わたしにとってイエスさまってどんな方か、絵を描いて見ることはとても大切で、イエスさまを身近に覚えることができるかと思います。

14節を見ますと、イエスさまは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、収税所に座っていたレビを見かけ、レビに「わたしに従って来なさい」と声をかけますと、レビは立ち上がってイエスさまに従いました。
 漁師であったペトロやアンデレを招いたときもそうでしたが、ここでも収税所に座っていたレビに「わたしに従ってきなさい」と声をかけると、レビは立ち上がってイエスさまに従いました。ここには、レビは自分の仕事に悩んでいたとか、仕事に限界を感じていたということはなに一つ書いてありません。イエスさまが、ついてきなさいと声をかけると、レビは立ち上がってイエスさまに従ったというのです。

 レビは税金を徴収する徴税人でした。当時ユダヤの国はローマの支配下にありました。ですから、通貨はローマのお金です。税金もローマから、この地方は総額でいくらということを示され、ローマから委ねられた徴税人が徴収します。ユダヤの人々は、ローマの支配を快く思っていなかったので、徴税人はローマの手下のように思われ、嫌われました。しかも徴税人は、ローマから地域単位で請け負っていたので、少し余分に徴収し、それを自分のポケットに入れてしまう徴税人もいたようです。徴税人のザアカイはイエスさまにお会いしたあと「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言っていますので、だましとったりする人もいたものと思われます。

ローマに支配されているユダヤ人の苦しみということで思い起すのは、60年近く前、わたしは神学校に行く前に一般の大学で学びましたが、大学1年の時、学生寮の4人部屋の一人が沖縄の方でした。沖縄の返還前でしたので、その方は、自分たちはパスポートがないと東京の大学に来ることができない、沖縄ではお金もドルだ、車も右側を走っている、その気持が分かるかとよく言われました。

ところで、イエスさまに「わたしに従いなさい」と言われ、立ち上がってイエスさまに従ったレビが、15節を見ますと、「イエスがレビの家で食事の席についておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである」とあります。

イエスさまに出会ったザアカイは大きな喜びを覚えましたが、レビもそうでした。多くの人を食事の席に招きました。とくに深い思いにさせられるのは、多くの徴税人や罪人を食事に招いたことです。しかもここで「食事の席につく」というときの言葉は、寝そべるという意味の言葉です。ユダヤの人々はくつろいで食事をします。寝そべるようにゆったりとした気持で食事をします。ですから食事に招くのは本当に親しい人たちです。もっと言うなら親しい人しか招きません。

ここで罪人というのはユダヤの人たちが大切にしていた律法を守れなかった人たちです。生活の貧しさからパンを一ヶ盗んだだけでも、罪人とレッテルを貼られてしまいます。レビがイエスさまと共に大勢の徴税人や罪人を食事の席に招いたということは、イエスさまの心を心とするふるまいでした。

 けれども16節に「ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事されるのを見て、弟子たちに、『どうして彼は徴税人や罪人と一緒にされるのか』と言った。」と記されています。ルカ福音書には、今日のような光景を見て、イエスさまは「大飯食らいで大酒のみだ、徴税人や罪人の仲間だ」と言われたことが記されています。

  17節をごらんください。「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」

 これはいうまでもないことですが、イエスさまは丈夫な人、正しい人を招かれなかったということではなく、どの人もイエスさまの目から見れば病んでいる、罪ある人間であるということです。ですからどの人も病人として、罪人として招かれたのです。

 先ほど預言者エレミヤの言葉に耳を傾けました。

 『主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし

  その心が主を離れ去っている人は。彼は荒れ地の裸の木。

  恵みの雨を見ることなく、人の住めない不毛の地 

炎暑の荒れ野を住まいとする。

祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。

彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り

暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。

干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない。』

カール・バルトはこの個所をテキストにして1934年に説教しています。その説教にこういう一節があります。

「その人自身の神信頼ではなく、その人の罪認識と謙遜の深さではなく、主に身を委ねる、その熱心さでもなく、主ご自身である。この主ご自身に一切はかかっているのである。わたしたちが頼みとするというのではなく、彼が、主イエス・キリストがわたしたちの頼みなのである。この事実こそわたしたちを幸いなものとする」

この説教が語られた1934年はナチスが横暴をふるい始めた時代でした。どんなに迫害されても、頼みとするわたしたちではなく、イエス・キリストがわたしたちの頼みなのである、そのことを聖書が語っているというバルトの説教はその後、第二次大戦に入り幾多の苦しみに直面した多くの人が励まされました。

レビが、わたしに従いなさいと言われたとき、すぐ立ち上がったのは、自分のすべてを抱え込んでくださる、どんなときにも愛であり、真実である、そういう方に招かれたからです。

一年前の『こころの友』に、横田早紀江さんが紹介されていました。横田さんは日本福音キリスト教会連合中野島キリスト教会の会員です。

1977年11月、新潟で13歳の長女のめぐみさんが拉致され 横田滋さんと早紀江さんご夫妻はひたすらめぐみさん捜しました。何のてがかりもなく途方に暮れていたとき、早紀江さんは知人から聖書を贈られました。しばらく手にする気も起きなかったそうですが、ある日、読み始めてみると、引き込まれ、読み続けました。

「人知の及ばない神が、人間の喜びも悲しみも飲み込んでおられる。わたしの人生も、めぐみの人生も小さな人間にはどうすることもできないのだから、神さまにお任せするしかない」と、示され、1984年、めぐみさんが20歳のとき洗礼を受けました。そして、「恐れないで、ただ信じなさい」とある聖書の言葉を信じ、再会を信じて待つことにしたというのです。

夫の滋さんは、自分は宗教に頼るつもりはない、一番苦しんでいるのは、めぐみなのだから、自分が宗教によって救われるわけにはいかない、とおっしゃっていたそうです。けれども、体調がすぐれなくなり、自分の弱さと向き合った滋さんは85歳のとき洗礼を受けたそうです。

 弱さのあるもの、破れのあるもの、苦しみを持つものをそのままで抱え込んで下さる方、招いてくださる方に、横田滋さんは身を委ねたのです。

最近、苦しみを抱える中学生が自ら命を絶ったり、小さな子どもさんが親による虐待で亡くなるという事件、さらに人間関係が難しくなるとすぐ相手の命を奪うという事件が相次いでいます。わたしたちは、もっとこういうイエスさまがおられることを証しする責任があるのではないでしょうか。イエスさまはあるがままのわたしたちを招き、わたしたちに命を、愛を差し出してくださる方なのイエスさまを証ししていきましょう。

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