牧師室の窓から 2019年7月

✩7月14日は元・日本基督教団総会議長の鈴木正久牧師が召されて50年の記念の日でした。鈴木牧師は1966年の教団総会で議長に選出され、1967年3月26日に、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を議長名で公にし、1969年2月には、沖縄キリスト教団と日本基督教団が合同し、合同議定書を交換しました。1969年3月、わたしは東京神学大学を卒業しましたが、その卒業式で日本基督教団を代表して祝辞を述べたのが鈴木正久牧師でした。また3月末天城山荘で、4月から日本基督教団の教師となる新任教師オリエンテーションが行われましたが、その会で鈴木牧師は右手を高く上げ、力強く福音を語って欲しいと励まして下さいました。けれどもそれから一ヶ月もたたないうちに鈴木牧師は肝臓癌の末期と診断され、大きな衝撃を受けた鈴木牧師でしたが、最後の書となった『主よ、み国を』の巻頭に、「わたくしは今、わたくしのこの世の生活の終わりに立っています。・・・しかし今は、このことについても『神のなされることは、皆その時にかなって美しい』(伝道の書3・11)ことを覚え、わたしの生活の頂点として、主とそのみ国をこのように深く真剣に思う時を与えられる恵みに感謝しております」と記し、57歳の生涯を終えました。

✩鈴木正久牧師は、当教会を長年牧された木下芳次牧師の先輩でした。わたしたちの教会がブロックを一つずつ積んで、会堂建築に励んでいたとき、ようやく礼拝ができるようになった礼拝堂で、1955年10月の伝道集会では「躓きの福音」と題し、1956年10月の特別伝道集会では「神と共なる喜びの生活」と題し、1958年3月の特別伝道礼拝では「見えざる神を信ず」と題して説教してくださいました。こうした鈴木正久牧師の励ましもあり、1952年に着工した会堂建築の献堂式を1962年11月に行うことができました。木下牧師が1965年6月から一年余ドイツに留学しましたが、そのことを薦めてくださったのが、その数年前にドイツに留学した鈴木牧師でした。

✩本年の7月14日は日曜日でした。わたしが伝道者として50年間歩み続けることができた背景に、そして茅ヶ崎教会の今日までの歩みの背景に鈴木正久牧師の励ましがあったことを心深く覚えさせられた主の日でした。

目次