2016年4月3日 礼拝説教「主よ、憐れんでください」

詩編37:23~40
マタイによる福音書17:14~20

櫻井重宣

 本日は2016年度の最初の日曜日です。わたしたちの教会は、毎年、主題と聖句を定めています。今年度は、主題を、「道を備えてくださる神」、 聖句は詩編37:23の「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」にいたしました。神さまが、わたしたちの教会、そしてわたしたち一人一人の歩みの一歩一歩を方向づけ、御旨にかなう道を備えてくださることを信頼し、共に信仰生活、教会生活に励みたいと願ったからです。
 ところで、聖句に取り上げた詩編37は、年老いた詩人が若い人に向かって、長い人生経験からうたった詩です。神さまはどんなに大きな苦しみに直面することがあっても共にいてくださる、災いがふりかかっても砦となってくださることを語り、さらに主に逆らう人が横暴をきわめるようなことに直面しても、神さまを信頼し、正義を語るよう促しています。そして、年老いた詩人は、若い人に未来があることを語り、希望をもって生きるよう励ましています。
 わたしたちの教会は、この聖句に励まされながら、この一年、関わるお一人お一人に、とくに次の時代を担う若い人々に対して、神さまはどんなときにも、砦となってくださることを、どんなに困難に直面しても希望があることを、心を込めて、誠実に証しして参りたいと願っています。

  さて、本日は、マタイによる福音書17章14節から20節の御言葉に思いを深めて参ります。
 祈るために高い山に登っておられたイエスさまが山から下り、群衆が集まっているところに行ったとき、一人の人がイエスさまに近寄り、ひざまずいてこう言いました。
 「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
 お分かり頂けるように、イエスさまのところに近寄り、ひざまずいたのは、てんかんに苦しむ息子を持つ父親でした。この人の息子さんはてんかんの発作がしばしば起こり、水の中でも、火の中でも倒れるというのです。本人はもとより、家族も発作がおこるたびに苦しみ、何とか治してほしいという願いをもっていました。
 わたしがかつて奉仕していた教会に、てんかんで苦しむ方がいました。あるとき、突然発作を起こしました。とても体格の良い方でしたので、大きな音をたてて倒れました。本当に驚き、すぐご家族に連絡し、救急車を呼びました。
 倒れた方がのたうちまわる苦しみ、かけつけたお母さんの苦しみをまのあたりにしたとき、イエスさまの前にひざまずき、「主よ、憐れんでください」と願い出た父親の苦しみが痛いほど伝わってきました。
 おそらく、この父親は病気の息子のために医者という医者に連れて行きました。しかし、治りません。そんなときイエスさまのうわさが聞こえてきました。先立つ4章にこう記されていました。
 「そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところに、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。」
 この父親は、イエスさまはてんかんの者もいやされた、という評判が強く心に響きました。何が何でも、という思いで、息子と共にイエスさまのところにやってきたのですが、イエスさまは祈るために山に行っておられ、お留守でした。
 そのため、留守を守っていたお弟子さんたちに願い出たところ、弟子たちは治そうとはしたのですが、治せませんでした。
 父親も弟子たちも途方に暮れていたとき、
 イエスさまが戻って来られました。父親の切実な訴えを聞いたイエスさまは、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい」、と激しい口調でおっしゃいました。イエスさまのこの激しい口調でおっしゃった言葉は、病気の子を持つ父親に対してです。また、病気を治そうとしたのですが治せず、途方に暮れていた弟子たちに対してです。そしてそれを傍観していた大勢の人に対してです。
 わたしは、イエスさまが、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と激しい口調でおっしゃる姿にハッとさせられます。
 今、わたしたちの身の回りにも家族、とくに子どもさんの病気で苦しむ人たちがいます。あるいは、先週は、二年間も監禁されていた女子中学生のことが報じられました。虐待で苦しむ幼い子どもさんがいます。あるいは、いじめから自ら命を絶つ中学生があとをたちません。

   こうした現実を前にしてわたしたちは途方に暮れ、オロオロしていますが、イエスさまは苦しむ父親、オロオロするほかない弟子たち、傍観者的に見ている人々を前にして、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と激しく憤られるのです。
 イエスさまは、苦しむ人、悲しむ人、病気の人を前にしたとき、はらわたを揺り動かし、からだ全体で、その苦しみ、悲しみ、病を受けとめられる方ですが,ここでも父親の苦しみをからだの最も深いところで受けとめ、病をいやせずオロオロする人々に、また、苦しむ人を前にして傍観している人々に、あなたがたもからだ全体で受けとめるよう促されるのです。さらに、イエスさまは、「いつまで」を繰り返されます。十字架に架けられるまで、その子の苦しみ。父親の苦しみを抱え込もうとされるのです。
 そして、イエスさまは、父親に、弟子たちに、「その子をここに連れて来なさい」とおっしゃいます。父親にも、弟子たちも、子どもと一緒にイエスさまのところに来なさい、というのです。招いておられます。わたしはこのイエスさまの言葉に深い慰めを覚えます。いやされなければならないのは、病気の子どもだけではありません。父親も弟子たちもいやしを必要としています。
 大切なことは、無力を覚える父親、オロオロする弟子たちにその病気の子どもをイエスさまのところに連れて来る、そうした任務をお与えになっていることです。あなたたちも子どもと一緒にわたしのところに来なさい、と招いておられるのです。
 今日の時代のことでいうなら、わたしたち一人一人もいやしを必要とする人間です。苦しむ人と共に、苦しむ課題を携えてイエスさまのところに赴くことが大切なのです。

  18節にこう記されています。
 「そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子どもはいやされた。」
 子どもがいやされ、父親の苦しみもいやされました。
 19節、20節をお読みします。
 「弟子たちはひそかにイエスのところに来て、『なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか』と言った。イエスは言われた。『信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、「ここから、あそこに移れ」と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。』」
 弟子たちにとって病をいやすことは、車の運転方の仕方を尋ねるような感覚なのでしょうか。イエスさまは、病の人の苦しみを共にするためには、御自分の命を注ぎだすことがあっても惜しくない方なのです。
 21節にはこういう文が付け加えられた写本があります。
 「しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。」
 イエスさまは一人の人が苦しんでいるとき、悲しんでいるとき、病んでいるとき、徹夜して祈る方だからです。食を絶ってまで祈る方だからです。それだけではありません。御自分の命まで差し出される方なのです。

  昨日の朝、四竃揚先生が亡くなられました。夕方に四竃先生の御子息からお知らせを頂きました。9年前にわたしたちの教会の伝道礼拝の講師としてご奉仕くださいました。
 四竃揚先生の御尊父、四竃一郎先生は71年前原爆が投下されたときの広島教会の牧師でした。中学生の時被爆した四竃揚先生は、生涯「あの日」のことを証言し続けました。
 5年前の3月11日。東日本大震災で大津波が襲来し、津波によってたくさんの家屋が一掃された後の、惨憺たる瓦礫の山を前にして息を呑んだ四竃揚先生は、70年前の「荒涼たる原爆の焼け跡」の情景が重なったというのです。そして父親の一郎牧師の「あの日」のことを思い起こしました。
 「あの日」一郎牧師は、講話を頼まれ、教会から4キロほど離れたところで、8時15分を迎えました。一郎牧師は、小高い丘から全市を包んでいる猛火を見据えていたのですが、やおら立ち上がり、教会を見とどけるために、罹災者の行列に逆行して市内の中心部に向かって歩み出し、午後2時頃教会にたどりつきました。既に教会堂は倒壊し、激しく炎上していました。
 四竃一郎先生は激しい熱さの中で、祈ろうとしたのですが、「神さま!」と言ったきりで、次の言葉が出て来ませんでした。「神さま!」と呼ぶしか祈るべき言葉を知らなかったというのです。
 そして、5年前の3月11日、四竃揚先生も惨憺たる瓦礫の山を前にして、「神さま!」としか祈れなかったというのです。
 わたしは、四竃一郎先生、四竃揚先生が、「8月6日」、「3月11日」の悲惨な状況を目の前にして「神さま!」としか祈れなかったことと、この父親が、「主よ、憐れんでください」と願ったことと通じ合うものを覚えます。
 目の前の現実は深刻なのに、自分たちは無力で、何もできない。けれども、この現状に対して激しくからだを揺さぶり、体の最も深いところで、この現実を神さまは受けとめてくださる、そういう信頼からの叫び、祈りです。
 四竃揚先生の奥さまは二月に亡くなられましたが、揚先生は、「あの日」のことを証言された夜、うなされるというのです。けれども、うなされるような現実を神さまは受けとめてくださるという信頼から、被爆後70年間、四竃揚先生は被爆証言を続けられたのです。
 わたしたちも思いがけない現実にこの一年直面するかもしれませんが、神さまが一歩一歩を支えてくださることを信頼して歩んで参りたいと願っています。 

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