2009年8月2日 礼拝説教「見張りの使命」

エゼキエル書33:1~11
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5:1~11

櫻井重宣

 今日は平和聖日です。日本基督教団は1963年に8月第一日曜日を平和聖日として制定しました。それ以来、8月第一日曜日に全国の教会で平和を祈りつつ礼拝が捧げられています。8月第一日曜日が平和聖日として定められたのは、6日が広島、9日が長崎の原爆記念日、15日が敗戦記念日という平和を考える象徴的な日を控えているからです。
 わたしは毎年、8月に旧約の一つの書を選んで、その書を通して、聖書の語る平和に耳を傾けることにしております。今年は皆様とご一緒に預言者エゼキエルの語ることに耳を傾けます。

 預言者エゼキエルという人は戦争の苦しみを肌で味わった人です。紀元前597年、ユダヤの国はバビロンという大きな国との戦争で敗北しました。そして  国の多くの人々がバビロンに捕虜として連れて行かれました。エゼキエルは祭司の子でしたが、若い彼もバビロンに連れて行かれました。587年、ユダヤの国は再びバビロンと戦い、エルサレムが陥落したのですが、そのニュースをエゼキエルはバビロンで聞いたのです。エゼキエルが預言者として立てられたのは捕虜して連れて行かれたバビロンの地でした。エゼキエルはバビロンで預言者として、二十数年活躍したものと思われます。  
 このエゼキエルに神様が求めた働き、使命の一つが「見張りの務め」でした。以前は、消防士の大切な職務は望楼の上から火事が起きていないか、監視することでした。わたしが生まれたのは岩手ですが、町に消防署がありました。中学に入ってまもなく望楼が新しくなりました。30メートル以上あったのではないかと思います。消防士はその望楼の上で、24時間交替で見張ります。冬は猛烈な寒さで防寒服を着て見張ります。望楼が新しくなってまもなく、一般公開され、友達と面白半分に行って、望楼の上まで登ったとき、望楼の勤務がどれほど過酷なものであるかということと本当に大切な働きであることを思わされました。今は電話の時代で、望楼の見張りは無くなりました。

  ところで、エゼキエルが何を見張ったかと言いますと、戦争の危機を敏感に察知することです。先ず、見張りの務めがどういうものかが語られます。
 33章1節から3節をお読みします。
 ≪主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。わたしがある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する。≫
 国に向かって剣を送る、すなわち戦争の危機を察知した見張りは角笛を吹いて民に危機を知らせるというのです。
 次に4節と5節です。≪角笛の音を聞いた者が、聞いていながら警告を受け入れず、剣が彼に臨んで彼を殺したなら、血の責任は彼自身にある。彼は角笛の音を聞いても警告を受け入れなかったのだから、血の責任は彼にある。彼が警告を受け入れていれば、自分の命を救いえたはずである。≫
 角笛を聞いても警告を受け入れなければ、責任は警告を受け入れなかった人にあるというのです。
 6節を読みます。≪しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。≫
 もし、見張りがその使命を果たさないで、だれか一人でも死んでしまうようなことが起こったなら、その死んだ人が罪ある人かどうか問うことなく、見張りに責任があるというのです。
 見張りにこうした使命と責任があるとした上で、神様はエゼキエルにこう語ります。7節以下です。「人の子よ」というのは神様がエゼキエルに呼びかけるときのいいまわしです。ですから、「エゼキエルよ」、ということです。
 7節から9節を読みます。≪人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。わたしが悪人に向かって、「悪人よ、お前は必ず死なねばならない」と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るように警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。≫
 エゼキエルを見張りの務めに任じるということは、こういうことだと言うのです。すなわち、悪人に対してその道から離れるように警告しなければならない、警告しないで、悪人が自分の罪のゆえに死んだなら、その血の責任は見張りの者にあるというのです。
 そして10節と11節にこうあります。 ≪人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。≫
 イスラエルの民に悪しき道から立ち帰ってほしい、翻って生きて欲しい、エゼキエルよ、あなたに見張りの使命を与えたのはそのためだ、と神様は切々と語るのです。
 すでに18章で、神様はエゼキエルにこう語りかけていました。≪イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ、と主なる神は言われる。≫

 毎年、平和聖日に『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』を週報に挿入しています。日本基督教団の「戦争責任告白」です。この戦争責任告白に「わたしどもは『見張りの使命』をないがしろにいたしました」という一節があります。この「見張りの使命」というのは、今日学んでいるエゼキエルの用いた言葉です。
 家永三郎という日本史の先生がおられました。わたしが神学校に行く前、一般の大学でこの先生の日本史の授業を聞き、戦争責任ということを本当に深く考えさせられました。今から24年前、その家永先生が『戦争責任』という本を出版されました。その本の冒頭に、戦後40年たっているのにどうして戦争責任を論じるのか、ということで家永先生は四つのことを記していますが、第一にあげたのは、戦争で受けた悲しみ、苦しみ、痛みを負い続けている人が今なおいる、ということでした。そして戦争で受けた悲しみ、苦しみを負い続けている人として、広島や長崎で被爆した人のこと、中国の残留孤児、若くして夫を亡くした人、アジアの地で苦しみを負い続けている人等、多くの人々を列挙します。
 家永先生の指摘のように、8月になりますと、新聞の歌の欄や投書に戦争の悲しみ、痛み、苦しみが記されます。
 一か月ほど前の新聞に、大江健三郎さんが最近亡くなった一人のジャーナリストのことを紹介していました。そのジャーナリストは、世界は原爆を威力として記憶しているのか、人間の被った悲惨として記憶しているか、と大江さんに質問したというのです。その人は、原爆は人間の被った悲しみとして記憶して欲しいということを大江さんに訴えたのです。わたしも、原爆は人間の被った悲惨という受けとめが本当に大切な受けとめだと思います。
 一昨日は、プロ野球の選手だった張本勲さんのことが紹介されていました。張本さんは、5歳のとき被爆しました。6歳上の姉さんが、勤労奉仕に従事している時、野外で被爆しました。数日後、全身ケロイドのお姉さんが担架で戻ってきました。熱いよ、痛いよと叫びながら死んでいったお姉さんの叫びそしてお姉さんが死んだときのお母さんの号泣は今でも耳にこびりつき、原爆資料館に入れなかったというのです。

 実は、家永先生は、『戦争責任』という書で、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を高く評価しています。
 紹介しているのは、この部分です。

 「わたしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さと過ちにもかかわらず働かれる、歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものです。
 『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
 しかるに、わたしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外に向かって声明いたしました。
 まことにわたしどもの祖国が罪を犯したとき、わたしどもの教会もまたその罪に陥りました。わたしどもは『見張り』の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞に心からのゆるしを請う次第であります。」
 

   家永先生の心を打ったこの箇所には、戦争によって被った悲しみ、苦しみ、痛みを負い続けているお一人おひとりのことが鈴木正久先生の思いにありました。
 1960年代後半から、韓国の牧師たちが日本に留学し、神社参拝を強要されたことを訴えました。沖縄戦のとき、沖縄には牧師が一人もいなかったことが分かりました。ホーリネス教会が弾圧されたとき、教団の多くの教会はホーリネス教会の痛み、苦しみを共にしませんでした。また、アジアの教会に、日本基督教団から、この戦争を肯定する書簡を送っていることが判明しました。
 鈴木正久先生は、第二次大戦下に教団の責任を「わたしどもの」あやまちとして受けとめています。戦時下の教会は、戦争のゆえに苦しみを覚えている人の苦しみ、悲しみを覚えている人の悲しみを共にしなかった、その人々は戦後もその苦しみ、悲しみを今なお負い続けている、本当に申し訳ないという思いで、この告白を表明したのです。戦時下に「見張り」の使命をないがしろにしたので今なお多くの人々に苦しみを負わせている、という思いがこの告白の表明に至ったのです。

   ところで、最後に心に留めたいことは、「見張り」の使命を与えられたエゼキエルは、高い望楼ではなく、「城壁の破れ口」に立つよう神様から促されていることです。13章にそのことが記されています。「破れ口」というのは城壁や堤防で一番弱くなっている箇所です。堤防が決壊するときは、そこから決壊します。オランダの少年が身を挺して堤防の「破れ口」を守り洪水の危機を救ったことが教科書に載っていました。
 エゼキエルは、「破れ口」に立って、見張りの務めを行ったのです。まさに、この世界の破れ口に立って、この世界を支えているイエス様を証しているのがエゼキエルです。

 アウグスティヌスの晩年 ヴァンダル族が暴挙をほしいままに攻めてきたとき、司教はどうすべきか、という質問がアウグスティヌスに届けられました。アウグスティヌスは返書にこう認めました。
 「司教はいかなるときにも住民を見捨てたり、教会を放置すべきではありません。司教は人々のために苦悩を負い、生命を賭して働くべきです。会衆のために殉教することがあっても、愛に生き、愛に死ぬべきです。人間が一人でも町にいるかぎり、そこにとどまり、主の力により、その人に罪の赦しを語り、慰めと励ましを与えるよう努めてください。最後の一人になるまで、愛をもって仕え、愛によって生きてください」 

 「破れ口」に立つというのは、アウグスティヌスがこの手紙で書き記している姿勢です。今日の時代、社会は病んでいます。私たちは、どんなときにもイエス様がこの時代の、そして社会の「破れ口」に立って、執り成していてくださることに励まされ、見張りの使命をと祈るものです。

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