2009年9月6日 礼拝説教「イエス・キリストの証人」

アモス書3:1~2
使徒言行録22:1~30

櫻井重宣

 パウロはアンティオキア教会の祈りに押し出されるようにして伝道旅行を3回行っています。それだけでなく、最後には囚人としてローマに連れて行かれました。今、お読み頂いた使徒言行録20章17節以下は、パウロの第三回目の伝道旅行の記事です。パウロは投獄と苦難が避けられないエルサレムに旅立とうとしています。教会の人々はパウロにエルサレム行きを思い止まって欲しいと願うのですが、パウロはたとえ殉教が予測されるとしても行こうとします。最後的には共に涙しつつ祈り合う、そのことが記されています。こうした経緯から、パウロの今日の箇所はパウロの遺言だと言う人もいます。
 今日の箇所の少し前の20章の2節と3節に「ギリシャに来て、そこで三か月過ごした」とあります。実は、この三か月のギリシャ滞在中に、パウロはローマの教会に宛てて手紙を書きました。それが、今私たちが手にしているローマの信徒への手紙です。今日の箇所を深く理解するために、15章22節以下をご覧いただきますと、そこにはパウロが是非ローマに行きたい、そしてローマからイスパニアに行きたいというパウロの伝道計画が記されています。しかし、その前にエルサレムに行くというのです。ギリシャの西がローマです。イスパニアはもっと西です。ですから、ギリシャからローマに行けば、すぐ行くことができるのですが、パウロはギリシャの東、エルサレムに行って、エルサレムからローマに行くというのです。私たちの身近な表現でいうなら、横浜から沖縄に行きたいが、まず北海道に行かなければならない、そして北海道から沖縄、台湾に行く、そういう計画です。そのことを書き記したパウロは、30節から33節でこう言うのです。
 ≪兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように。こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。≫
 ここで、「神に熱心に祈ってください」というのは、原文では「一緒に神への祈りにおいて戦って欲しい」です。ユダヤの不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに受け入れられるように、そしてローマに行って皆さんとお会いし、憩うことができるように、というのです。エルサレムに行くのは、アジアの教会で飢饉に苦しむエルサレム教会のために集めた献金を届けるためです。けれどもパウロが異邦人に伝道しているということで、エルサレムにはパウロの命を狙う人々がいたのです。そこで、不安を覚えたパウロはローマの教会に祈って欲しいと願い出たのです。ローマの教会にはパウロはまだ行ったことがありません。けれどもそのローマの教会に一緒に祈って欲しい、祈ることにおいて共に戦ってほしい、あなた方の祈りに支えられ、エルサレムに行きたいというのです。


 今日の使徒言行録に記されているパウロはそうした不安を、弱さを覚えていたときです。使徒言行録に戻り、先ず17節を読みます。
 ≪パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。≫
 エフェソとミレトスは、直線で60キロです。茅ヶ崎か東京駅までが60キロです。東海道線で行けば1時間ですが、歩けば2日かかる距離です。エフェソに人をやって、パウロ先生がエルサレムに旅立とうとしている、ミレトスでお会いしたいと言っている、そうしますと、そのことを伝え聞いたエフェソの長老たちがミレトスまでやって来たのです。
 18節から21節を読みます。
 ≪長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシャ人にも力強く証ししてきたのです≫
 どういう思いで、どういう姿勢で、アジア州において伝道し、教会を形成するために力を尽くしてきたかを語るのです。19節の「自分を全く取るに足りない者のように」というのは、謙遜の限りを尽くすという意です。謙遜の限りを尽くし、涙を流し、数々の試練の中で主に仕えてきたというのです。パウロはいくたびも涙を流しました。コリント教会への手紙の中に、だれかが弱っているなら、わたしも弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか、と書き記しています。宮澤賢治の『雨ニモマケズ』にも「ヒデリノトキハ、ナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ」とあります。まさにパウロの姿勢です。
 涙を流し語ったことは、神様に対する悔い改めと主イエスに対する信仰です。独り子を下さるほど愛してくださる神の前に悔い改めよう、十字架に赴いてまでも私たちの罪を抱え込んでくださる主に対して、誠実であろうと涙を流しつつ語ったというのです。


 次に22節から24節です。
 ≪そして今、わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。≫
 先ほどのローマの教会への手紙と合わせて読むと、パウロの思いが本当によく伝わってきます。待っているのは投獄と苦難であっても、エルサレムで語るのは神の恵みの福音だ、その任務を果たすことができたなら、殉教することがあってもいいというのです。伝道者パウロの気魄が伝わってきます。伝道者のはしくれであるわたしは襟を正される思いです。
 それでは25節から31節をお読みします。
 ≪そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなた方一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こし、目を覚ましていなさい。≫
 パウロは、自分はだれに対しても福音の語ってきた、どうか、エフェソの教会の長老たち、あなたがた自身と群れ全体に気を配って欲しい、教会に連なる一人ひとりは神様がイエス様の十字架の死と復活によって御自分のものと宣言された人たちの集い、共同体だ、その群れを世話するためにあなたがたをたてたのだ、教会に連なる一人ひとりの重みを知って欲しい、その群れの世話をするためにあなたがたを立てるのだ、教会を迷わす人が外からだけでなく内からも出てくるに違いない、三年間あなたがた一人ひとりに夜も昼も涙を流しながら教えてきたことを思い起こして欲しいというのです。
 この箇所は、牧師や役員の任職式に際し、よく読まれます。本当に厳粛な思いにさせられる箇所です。
 32節から35節です。
 ≪そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」≫
 パウロは自分が去った後、神と神の恵みの言葉にあなたがたを委ねるというのです。この言葉はあなたがたを造り上げ、恵みを受け継がせることができるというのです。
 パウロはコリントの教会への手紙で、繰り返し「造り上げる」ことを言います。神様、そして恵みの言葉は崩す、壊すのではなく共同体に造り上げるのです。そして恵みの言葉を受け継がせるというのです。


 こうして、パウロが遺言をエフェソの教会の長老たちに語ったところ、36節以下にこうあります。
 ≪このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。≫
 初代教会にはこういう祈りの交わりがありました。

 わたしは今日のこの箇所に特別な思いがあります。わたしは1969年3月に神学校を卒業し、最初の任地として名古屋の御器所教会に赴任しました。主任牧師は土岐林三牧師で、わたしは伝道師、担任教師でした。3年という約束で経験豊かな土岐牧師から本当によきご指導を頂きました。3年間の働きを3月19日の日曜日で終え、4月から同じ名古屋の鳴海教会に赴くことになっていました。最後の日曜日19日に日付が変わってまもなく土岐牧師が急性心不全で亡くなりました。そのため一週間辞任を延期し、葬儀を執り行い、3月26日が文字通り最後の日曜日で、わたしが説教することになりました。そのとき示されたのが今日の箇所でした。牧師が亡くなって途方に暮れている教会の皆さんと共に、土岐牧師がどのようにふるまってこられたかを思い起こしました。そして土岐牧師が神の恵みを力強く証し、走り通したことを覚え、私たち一人ひとり、神様とその恵みの言葉に委ねられたことに思いを深めようと語りました。この箇所が本当に迫ってまいりました。
 今年の夏は、近い将来伝道者として歩み出そうとしている神学生の田名さんをお迎えしました。私は、田名さんに毎日のように、牧師になったとき、大切にして欲しいことをお話ししました。そして、田名さんに伝道者として歩むということは決して平板な道でない、人知れず苦しみがあることをお伝えしました。けれども、イエス様も十字架を担って歩んだので、どんなに重い十字架であって負い続けて欲しい、そこに伝道者としての光栄があることをお話ししました。
 私は3年前、広島教会に在任中二人の青年を神学校に送りました。二人とも来年卒業します。うれしいという思いより、いよいよ厳しい道に派遣されることを思うと胸がしめつけられるような思いすらします。けれども、どんなに困難な道であっても教会の皆さんに祈って頂き、何よりも十字架の主、復活の主に励まして頂きながら教会に仕えて欲しいと祈っています。
 これは伝道者だけでなく、みなさんお一人お一人もそうだと思います。イエス様に従って歩めば、幸せいっぱいということではありません。むしろイエス様に従おうとするゆえにいろんな苦しみに直面します。けれども、その道を歩み続けるとき、他では得られない喜びがあります。光栄があります。

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