牧師室の窓から 2016年7月

★26日未明、相模原の障害者施設で重度の障害を持つ多くの人々が殺され、傷つけられる という衝撃的な事件が起きました。ここ数年その施設で職員として働いていた青年が加害 者でした。その青年は「障害者なんていなくなればいい」という考えをもっていたことを知 り。今回の事件の深刻さを思わされます。
 恩師の熊沢義宣先生がドイツのベテルにあるコロニーをはじめて訪問したとき覚えた衝 撃をこう記しています。
 「重症の男子の施設に入った時のことである。部屋の両側に五つほどのベッドが並んで、 そこに重症の人々が横たわっていたのだが、一番奥のベッドには、焦げ茶色で長さ50セ ンチくらいのまるでちょうど丸太のようなものが横たわっていた。次第に近づいていくと それはまぎれもなく人であることがわかった。案内してくれたかなり重度の脳性麻痺の人 は、『この人こそわがベテルの宝なのです』と言った。大変申し訳ないが、わたしはこれを 聞いたとき、とても不愉快な気持ちがしたことは否定できない。しかし、その後、このベ テルが第二次大戦下、ヒトラーが障害者に与える食料を、戦争を推進するための人々のた めに用いようとして障害者を安楽死させ、施設を閉鎖するように命令した時、所長ボーデ ルシュヴィンク牧師をはじめベテルで働いていた人々は『障害者を殺害するなら、まず、 われわれを殺してからにしてほしい』と言って、文字通り捨て身で障害者守り通したので、 ヒトラーも自分の方針を貫くことができなかったことを知った。障害者を宝と考えて、生 命がけで守ってきたという事実が、『この人こそわがベテルの宝です』という言葉の背後に あったのである。」
 今の時代、能力があるかどうか、役に立つかどうかが優先されていることがこの事件の 背後にあるとすれば、本当に深刻です。わたしたち一人ひとりが問われていることを思わ されます。

  ★25日(月)と26日(火)、わたしども夫婦は三浦淑姉の埋骨と三浦家の墓地に埋骨されていた7名の遺骨を秋田楢山教会墓地に埋骨するため秋田に行ってきました。三浦家の墓地は無くなりましたが、7人の生涯と死を通して証しされた「神は愛なり」「インマヌエル」の信仰を大切に秋田と茅ヶ崎で受け継いでいきたいとの思いを深くしました。

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