牧師室の窓から 2010年12月

★八木重吉に『私の詩』という詩があります。 
「裸になってとびだし 基督のあしもとにひざまずきたい
しかしわたしには妻と子があります すてることができるだけ捨てます
けれど妻と子をすてることはできない 
妻と子をすてぬゆえならば 永劫の罪もくゆるところではない 
ここに私の詩があります これが私の贖(いけにえ)である。
これらは必ずひとつびとつ十字架を背負うている
これらはわたしの血をあびている
手をふれることもできぬほど淡淡しくみえても
かならずあなたの肺腑へくいさがって涙を流す」

 この詩の少し前に『妻に与う』、『桃子よ』、『陽二よ』という詩で、「妻よ わたしの命がいるなら—— 妻よわたしはだまって命を捨てる」、「—-桃子 お父さんの命が要るときがあったら いつでもおまえにあげる」、「—-陽二よ お父さんはおまえのためにいつでも命を投げ出すよ」と詩う重吉ですが、この詩で「妻と子を捨てることはできない」と詩うのです。
 クリスマスは、神さまが「捨てることができない」独り子を、争いの絶えないこの世界に、希望を見出すことが困難なこの世界に、最も貧しいかたちで贈って下さった日です。神さまの側に苦悩があります。そこに神さまの栄光、神さまの神さまらしさがあり、地に平和があることを天使は羊飼いに告げています。 

★今から27年前の春、小生が在任していた秋田楢山教会は、秋田の東南に位置する「桜」で開拓伝道に着手しました。5月に小さな一軒家を借り、月に一度の礼拝と祈祷会、毎週火曜日の午後、児童文庫を行いました。12月に「桜」の地で最初のクリスマス礼拝を行いました。思いがけず、その礼拝に児童文庫にきていた3名の小学生の女児が出席しました。その3名の姿を見たとき、あたかも小さな天使たちが出席してくれたような大きな喜びと感動を礼拝出席者一同覚え、忘れられないクリスマスとなりました。
 19日(日)午後、行なわれた教会学校クリスマスに、道路側に掲示した教会学校クリスマス案内板を見て、ご近所の子どもさんたちが3名出席しました。その礼拝には、教会学校の生徒、その友人、教会員のお孫さんに加え、近所の3名、天使の出席は22名でした。大人と教師を加えると44名の出席でした。天使たちの出席は大きな励まし、喜びとなりました。

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