エレミヤ書5:1~3
マルコによる福音書15:33~41
櫻井重宣
イエスさまがお生まれになるおよそ600年位前,もう少し厳密にいいますと、紀元前627年、アナトトというエルサレムの近くの村の祭司の息子で、二十歳前後の若いエレミヤが預言者として召されました。エレミヤはそれから40数年という長い年月、預言者として歩み続けました。
エレミヤが預言者として活躍した40数年は ユダの国にとって激動の時代でした。若い旧約学者で,数年前にわたしたちの教会にもおいで頂いた左近豊先生は「滅びの坂を転げ落ちるようにして国を失い,故郷を失い、神の約束を見失った」時代であったとおっしゃっています。具体的に言いますと、エレミヤが預言者として活動を始めた頃は国に危機は迫ってはいても,現実のものとなっていなかったのですが、預言者になって20数年後、バビロンとの戦いに二度敗れました。最初の敗戦は紀元前597年でした。たくさんの人が戦争で亡くなり、国土が荒らされ、さらに多くの人が捕虜としてバビロンに連れて行かれました。それから10年後、再びバビロンと戦争しました。二度目の戦いでは国土が荒らされただけでなく、イスラエルの民が大切にしていたエルサレムの神殿も壊滅しました。王さまは捕らえられ、バビロンの軍隊は王さまの息子たちを王さまの目の前で処刑し、その後王さまの目を潰し、バビロンに連れて行ったのですき。第一回目の敗戦から10年目の紀元前587年でした。エレミヤはバビロンに負けるという苦しみを二度も経験したのです。
そうした時代に生きたエレミヤが預言者としてどういうことを語り、行動したかということは、召命を受けた時のことが大きく影響しています。
神さまはエレミヤに、「わたしはあなたを母の胎から生まれる前に 聖別し 諸国民の預言者として立てた」、と言いますと、エレミヤは「ああ、わが主なる神よ わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と言います。しかし、神さまはエレミヤに「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ 遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」と言われたのです。すなわち、神さまは、エレミヤに命じたことをすべて語るようにと命じたのです。
さらに深い思いにさせられるのは、神さまが手を伸ばして、エレミヤの口に触れ、神さまの言葉を授けたのは、「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し あるいは建て、植えるため」だ、とおっしゃったことです。エレミヤ、あなたを預言者として立てるのは、この国を抜き、壊し、滅ぼし、破壊することを伝えることだ、けれどもそれが最後的な目的ではなく、建て、植えるためだ、とおっしゃったのです。
今わたしたちはレントの日々を過ごしているわけですが、本日は預言者として歩み始めたエレミヤの若い頃のことを学びつつ、イエスさまの十字架の苦しみに思いを深めたいと願っています。
先ほど、エレミヤ書5章に耳を傾けましたが、すぐ前の4章に、今は安泰だ、平和だと思っているユダの町の人に、エレミヤは神さまから、ユダの国は、北から災いが迫ってきている、包囲する者が押し寄せようとしていることを語るように促されました。
この神さまの言葉に、真実なものを覚えたエレミヤは「わたしのはらわたよ、はらわたよ、わたしはもだえる。心臓の壁よ、わたしの心臓は呻く。わたしは黙してはいられない」、と体全体で国の危機を受けとめます。4章19節に記されています。このエレミヤに神さまが命じた言葉が5章1節です。
「エルサレムの通りを巡り よく見て,悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか 正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。」
通りを巡れ、見よ,悟れ,尋ねて見よ 一つ、一つの文が全部命令形で記されます。正義を行い、真実を求める者が一人でもいるか、通りを巡りなさい、よく見なさい、悟りなさい、広場で尋ねてみなさい、一人でもいれば、わたしはエルサレムを赦すというのです。神さまがこうしたことをお命じになったのは、エルサレムを赦すためです。
エレミヤは、路地一つ一つを巡り、真実を求める人を探そうとしました。広場で一人一人探そうとしました。けれども、口先で「主は生きておられる」と言う人がいるのですが、偽りの誓いです。エレミヤは正直に神さまに申し上げました。
「神さま、あなたの目は真実を求めておられるではありませんか。彼らを打たれても、彼らは痛みを覚えず 彼らを打ちのめされても 彼らは懲らしめを受け入れず その顔を岩よりも固くして 立ち返ることを拒みました」、と。
エレミヤは、神さまがこの地上の不正義を裁く、そのことだけを語るように促されたのであれば、苦しむことや悩むことがなかったと思うのですが、どんなに不正義、不真実がはびこった世界、人であっても、神さまは最後的に建てる方だ、植える方だ、赦す方だ、そのことを語らなければならないときにとまどい、苦しむのです。
エレミヤを描いた絵でもっとも有名なのは、ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井に描いた絵です。エレミヤはもの思いに沈んでいます。あなた方は真実から遠く離れていると語れば,人々から嘲られます。人々におもねると神さまからお叱りを受けます。しかも神さまの一番の求めは植えること、建てることです。物思いに沈む姿はエレミヤにふさわしい姿です。
エレミヤの語ることを筆記したのはバルクです。エレミヤ書の中にこういう個所があります。バルクがあるときエレミヤにこう語ったというのです。
「ああ、災いだ。神さまは、わたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない」、と。神さまのお示しなったことをエレミヤが語り,バルクが筆記します。エレミヤは真実の預言者と言われます。真実は事実を事実とすることです。神さまの言葉は厳しいのです。バルクは自分も疲れているのに、こうした言葉を書き続ける苦しさ、疲れを訴え、安らぎを得ないというのです。エレミヤは自分もバルクに同調する思いなのですが、神さまがバルクに語るようにエレミヤに語ったことは、「わたしは自分で建てたものを破壊し、自分で植えたものを抜く。あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。見よ、わたしはすべての人に災いを下そうとしている。しかし、あなたの命はぶんどりものとして与える」、と。神さまは自分で建てたものを破壊する、自分で植えたものを抜く、そうした苦悩のうちにあるのだ、バルク、大きなことを期待してはいけない、けれども、最後的にあなたに命をぶんどりものとして与えるというのです。
わたしは今でも感謝をもって思い起すことは、60年近く前、一般の大学で学んでいたとき、東京の美竹教会の牧師で、青山学院のキリスト教学科で教えておられた浅野順一先生がわたしの学んでいた大学に教えに来てくださり、「宗教学」の講義で、ヨブ記とエレミヤ書を語ってくださったことです。とても感銘深い講義でした。浅野先生は、エレミヤは真実の預言者だ、エレミヤ書の「真実」は現実を直視し、事実を事実として見ることだ、エレミヤは真実を語ると共に真実に生きた、真実に歩んだ。戦争中、事実を事実としてみなかった,そのため教会も大きな過ちを犯してしまった、と。
ちょうど、その年、日本史の授業で家永三郎先生の講義を聞きました。家永先生は最初の講義のとき、わたしたち学生の前で直立不動の姿勢で、自分が歴史学者として皆さんの前に立つ資格がない。戦前そして戦時中、歴史を学んでいたにもかかわらず、事実を事実としてみる歴史ではなく、皇国史観、日本の国が神武天皇から始まる歴史の見方をしていた、そのため戦争の本質を見抜けなかった、と頭を下げられました。わたしたち学生は厳粛な思いにさせられました。それから数年後、家永先生は教科書裁判を起こし、子どもたちに事実を、とくに戦争で何があったかを教科書で教えなければならないのに、戦争が終わって20年、30年たつと戦争を美化した教科書が多くなり,家永先生の書いた教科書は検定で不合格になり、裁判を起こされました。
こうしたお二人の先生の授業に励まされたのですが、とくに一年間の授業の終わりの方で、浅野先生はわたしたちが聖書から大切に聞くことは、神は真実でありたもう、どんなに不真実なわたしたちであっても、建てる、植えることをなさる方だ、わたしたち一人一人に神さまは独り子をくださるほどわたしたちに真実である、愛でいます、その神さまの真実に支えられているのがわたしたちの世界だ、その神さまの真実をエレミヤから学んで欲しい、とおっしゃって下さいました。
また家永先生はキリスト者ではありませんでしたが、この世では真実を分かってもらえないかもしれないが、終わりのとき、真実は明らかになる、自分は矢内原忠雄先生からそのことを教えて頂いた。あなたがたもそのことを信じて真実に歩んで欲しいとおっしゃいました。
今、わたしたちはイエスさまの十字架の苦しみを覚えるレントの日々を過ごしています。イエスさまは金曜日の午前9時に十字架に架けられ、午後3時に息を引き取りました。先ほど耳を傾けたマルコによる福音書15章33節から39節に十字架に架けられたイエスさまが引き取られたことが記されています。
「昼の十二時になると,全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神。わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『そら、エリヤを呼んでいる』と言う者がいた。ある者が走り寄り,海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、『待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう』と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた.すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当にこの人は神の子だった』と言った。」
この日の死刑執行の責任者であるローマの百人隊長はイエスさまが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで息を引取られたイエスさまを見て「本当にこの人は神の子だった」と告白しています。最後の最後まで苦しみを味わい尽くされたイエスさまに百人隊長は真実なものをみてとったのです。
スイスのバーゼルの美術館にハンス・ホルバインが描いた「墓の中のキリスト」という絵があります。ハンス・ホルバインは父と子同じ名前で、二人とも画家ですが、「墓の中のキリスト」は息子の方のホルバインです。十字架から降ろされて墓の中に仰向けに横たえられたイエスさまが描かれています。極端に横に細長い画面に描かれています。全身の肉は落ち、眼球がとびだし、手の指は硬直しています。ロシアの文豪ドストエフスキーがヨーロッパ旅行中バーゼルの美術館でこの絵を見て、強い衝撃を受け、癲癇の発作を起こしたという有名な絵です。彼の『白痴』という小説では、この絵のことが出て、だれもこの絵を見たら復活は信じられないだろうという台詞があります。けれども、 百人隊長が、この人はまことに神の子であったと告白したように、ドストエフスキーはこうしたむごいかたちで墓に横たわったイエスさまを、ここまで真実であられたイエスさまを神さまはよみがえらせた、ここに命があるというのです。
ですから、『罪と罰』では大きな罪を犯したラスコーリニコフにソーニャは何度も、ラザロの復活の記事を読むのです。
十字架に架けられつつ,最後まで苦しみを味わい尽くされたイエス・キリストがエレミヤが探し求めた「真実な人」であったのです。イエス・キリストの十字架の死に至るまで真実であられたので、わたしたちに「赦し」が差し出されたのです。