牧師室の窓から 2020年3月

☆新型コロナウイルスによる肺炎の拡大で、世界中の人々が不安を覚えています。日本基督教団からはこの件で全国の教会に「注意喚起」の文が届けられ、わたしたちの教会でも、主日礼拝そして聖研祈祷会を守るために、手の消毒や手洗いそして礼拝中でも遠慮なくマスク着用を、と申し合わせています。

この肺炎の拡大で、今までの価値観が問われていますが、わたしが共感を覚えたのは、3月19日の夕刊に報じられていた、中国の武漢市に留まり続けている女性作家、方方さんのブログの一節です。

「一つの国が文明国家であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さや、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や卓越した芸術や、派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。唯一の尺度は,弱者にどう接するか、その態度だ。」この方方さんの意見に世界中の人が耳を傾けて欲しいと思います。

☆茅ヶ崎教会での奉仕を終えようとするこの時、思いを深くする言葉があります。一つは明治時代の初期、名古屋の高齢の教会員が若い植村正久先生に語った「俺は飯より耶蘇が好きだ」という言葉です。もう一つは「愛するということは、その人のために時間を無駄にすることだ」というサンテグジュペリの言葉です。飯より耶蘇が好きな人々が、イエスさまを愛するがゆえに、教会のため多くの時間を無駄にすることを厭わない人々によって、茅ヶ崎教会の92年の歩みが支えられてきたことを心深く思わされています。

☆いつも任地を離れるときに申し訳ない思いになるのは、在任中、教会を離れた方々のことです。牧師としてつまずかせてしまったことに心が張り裂ける思いです。祈りが、愛が不足していました。赦しを請うとともに、新たに赴任する田村牧師のもとで、もう一度、教会に戻って欲しいと願っています。

また、心残りなことは、コロナウイルスのことで、2月、3月と礼拝を共にすることができなくなってしまった方々がおられたことです。また、施設で生活をしておられる方々には訪問も許されず、この時を迎えてしまったことです。

 お一人お一人に神さまの豊かな慈しみが注がれるよう祈ります。

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