ホセア書2:16~22
テモテの手紙 一 1:12~17
櫻井重宣
毎年、8月の第一日曜日、私たちの教会が連なる日本基督教団は、平和聖日として礼拝をささげております。今朝は全国の教会の皆さんとご一緒に、地に平和をと祈りつつ礼拝をささげたいと願っています。
ところで、毎年のことですが、8月は旧約聖書のどの書かを選び、その書を通して、聖書が語る「平和」に耳を傾け、平和のため祈ることにしていますが、今年は預言者ホセアに耳を傾けます。
ホセアが預言者として活躍したのは、今から2700年程前です。当時ユダヤの国は北のイスラエルと南のユダ、二つの国に分かれていました。ホセアは北王国イスラエルで活躍した預言者です。その頃、北王国イスラエルは社会的にも政治的にも混乱し、ホセアが預言者として活躍したおよそ20年間に王様が何人も交替するという混沌とした時代でした。
そうした時代にホセアは預言者として働いたのですが、実はホセアという人は自らの家庭で大きな苦しみを抱えていました。そしてその苦しみの中から、神さまがこの混沌とした時代に生きるわたしたちにどのように関わってくださるのか、そのことを示された預言者なのです。
そこで、ホセアの預言を理解するため、最初にホセアの味わっている苦しみを心に留めたいのですが、1章2節で神さまはホセアにこうおっしゃいました。
「行け、淫行の女をめとり 淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ」、と。
ホセアはゴメルという女の人と結婚するのですが、神さまは、ゴメルは淫行の女だ、結婚して与えられる子もあなたとゴメルとの間に与えられる子どもでないかもしれない、しかし、その子を自らの子として受け入れよ、というのです。
すなわち、神さまはホセアに、あなたはとんでもないことのように思うかもしれないが、結婚は約束関係によって成り立っている、神さまとわたしたちとの関係も約束に基づく関係だ、わたしがこの時代、この時代に生きる人々を抱え込む、愛するということは、あなたが淫行の女をめとることに言い表されているというのだ、というのです。
そしてホセアはゴメルと結婚し三人の子どもが与えられました。
最初は男の子です。神さまは、その子に、イズレエルと名付けよ、とおっしゃいました。イズレエルは町の名です。かつてクーデターが起こり、多くの血が流された町です。第二子は女の子です。神さまはその子にロ・ルハマと名付けるようおっしゃいました。ロはノーです。ルハマは憐れむですから、ロ・ルハマは憐れまれぬ者です。第三子は女の子です。この子にはロ・アンミと名付けよとおっしゃいました。わが民でない者という意味です。第二子と第三子はホセアとゴメルの間の子どもではないかもしれません。
どなたもそうですが、自分の名前には親の願い、祈りがあります。また、自分に子どもが与えられたとき、どういう子になって欲しいか、祈りつつ名前をつけます。けれどもホセアは、神さまから思ってもみなかった名前をつけよと言われたのです。ホセアの苦悩が伝わってきます。
わたし自身、教えを受けた方ですが、関根正雄という旧約学者がいました。16年ほど前に亡くなりましたが、おひとりで旧約聖書を創世記からマラキ書まですべて翻訳された先生ですが、こういうことをおっしゃっています。
ホセアが直面した苦しみはたしかに並大抵ではない。けれども、今の時代を生きるわたしたちが抱えている苦悩もまた大きい、ホセア書を現代に生きるわたしたちが自分に語りかけている預言として読むことはとても大切だ、ホセアはかわいそうだ、そういう姿勢でホセア書に向かってはならない、と。本当にそうです。
2週間前に相模原でとても心痛む事件がおきましたが、加害者のあの青年のお父さんは教育者であることが報じられました。あの青年をこれからどう抱えていくか、ご両親の苦悩の深さを思わされますが、その苦悩は今の時代を生きるわたしたち一人一人の苦悩です。ホセアの苦悩はそういう苦悩なのです。
ところで、ホセアの苦しみはそのことにとどまりません。今日の箇所の少し前を見ますと、ゴメルはホセアのもとを去って、かつての愛人、それも複数です、愛人たちを探しに行ったというのです。けれども、見いだすことができず、ゴメルは「初めの夫のもとに帰ろう あの時は今より幸せだった」と言って、戻ろうとしたのです。けれどもゴメルはそのとき奴隷になっており、3章をみますと、ホセアはお金を出してそうしたゴメルを買い戻し、もう一度家庭生活を再出発させたのです
ホセアにゴメルを買い戻す行為へと導いたのは先ほどわたしたちが耳を傾けた2章16節以下の、アコル、苦悩の谷を希望の門として与えるという神さまのことばです。
アコルの谷というのは、かつてイスラエルの民がモーセに率いられエジプトを脱出し、40年荒れ野の旅を続けたのですが、約束の地カナンを前にしてモーセはこの地上の生涯を終え、約束の地に入るときのリーダーはモーセからバトンを引き継いだヨシュアでした。その約束の地に入るとき、アカンという人が本来神さまに捧げるべきものをごまかして自分のものにしてしまうという事件がおきてしまいました。神さまはそのことを厳しく咎め、アカンとその家族が殺されました。そのところがアコルの谷です。イスラエルの歴史において人間の罪と苦悩が極まった場所としてアコルの谷が位置づけられました。
ホセアにとって、自分の家庭がまさにアコルの谷です。けれども神さまはアコルの谷を希望の門、希望の入り口として与えるというのです。
高史明という作家が書いた本の中にこういう一節があります。
「どん底とは、本当の人間だけが降り立つことができる場所であった。どん底に降りること、それはそこへ降りる道を知ることなくしてはできないことだが、それとともに降り立ったどん底からすべてを見ることができる目と、ふたたび這い上がる力を持たずには、降りきったといえるところまで降りることができない場所である」、と。
ホセアはアコルの谷、すなわちどん底に降り立った人です。高さんは、どん底に降り立つというのは、そこへ降りる道を知っていて、そこですべてを見ることができる目を持ち、さらにふたたび這い上がる力を持っている、と言います。ホセアがアコルの谷を希望の門として与えるという神さまの言葉にアーメンということができたのは、どん底から這い上がる力、方向を示されたからです。
ホセア書を読み進みますと、神さまという方は、母親が自分の子どもに食事を与える時、身を低くして食べさせる、子どもが成長し歩き始めるとき、父親はしゃがんで子どもに歩くのを教える、そうしたことに象徴されるように小さい人、苦しむ人の傍らによりそう方だ、ということが語られます。
すなわち、ホセアは、神さまは、時代のどうすることもできない苦悩のただ中で弱さをさらけだすわたしたちに、身を低くして関わってくださり、決して見捨てない、そのことを示され、ゴメルともう一度歩みを共にしようとするのです。
ホセアが神さまから聞いた、アコルの谷、苦悩の谷が希望の門として与えるという言葉で二つのことをお話させて頂きます。
一つは、「戦艦大和の最期」という本で著者の吉田満さんが書いておられることです。吉田満さんは戦艦大和の数少ない生き残りの一人ですが、戦後、洗礼を受け、キリスト者になった方です。この後ご一緒に戦争責任告白を読みますが、この告白を表明された鈴木正久先生が牧しておられた西片町教会の役員をしておられました。
この本にこういう一節があります。いよいよ沖縄に向けて出航というとき、吉田さんは大和のなかでも重責をになっていた臼淵大尉がこう呻いていたことを耳にしました。
「負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか、おれたちはその先導になるのだ、日本の新生に先駆けて散る、まさに本望ではないか」。
臼淵大尉はアコルの谷、すなわち敗戦が希望の門となることを信じて死んでいったのです。吉田満さんは、わたしたちの国は本当に目覚めたのか、と問うています。アコルの谷を希望の門としているか、というのです。
今一つは、この教会を半世紀近く牧師された木下芳次先生がこの教会で今から11年前になされた説教『深き淵より』です。亡くなる一年前、この教会での最後の説教です。
「深き淵より」は、今日のホセアのことで言えば、「アコルの谷より」です。
今週夏期聖書学校が行われますが、先生が赴任された年、会場は寒川神社で、神殿に拝礼したというのです。戦地に赴いた木下先生は、初年兵として捕らえた捕虜を殺すという係が当たったとき、拒否したそうですが、しかしその後の戦場での白兵戦で刺し殺すことにすべて加担したので、結果としてイエス・キリストを否定するという罪を犯し、神の前に自分は全部滅亡した、とおっしゃるのです。そして、戦時中、たくさんの中国人を苦しめ、殺したその罪責を償うためにどうしたらよいか、考えさせられているとき、改めて牧師として召された。そのため、自分は戦争の罪に鈍感な同胞に福音を命がけで伝えようとした。犯した罪を悔い改め、赦しを請うなら伝道において最も困難な道を選ぶほかない、それが自力での13年に及ぶ会堂建設であったことを心に留めて欲しいと、その説教で切々とおっしゃいました。
パウロは、イエスさまに出会い、伝道者になった人ですが、伝道者として歩む中で、晩年、罪人の中で最たる者という告白へ導かれました。
これから1967年3月26日、当時の教団議長鈴木正久先生の名で発表された、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」をご一緒に告白しますが、鈴木正久先生がこの告白を表明したのは、召される二年前でした。木下先生の『深き淵より』という説教は、亡くなる一年前です。
パウロも、鈴木正久先生も木下芳次先生も、自らの生涯を終えようとするとき、アコルの谷に降りたっています。アコルの谷に降り立ったとき、神さまはわたしたちの世界に一人子イエスさまをくださり、イエスさまは十字架の死を遂げてまで、わたしたちの罪を抱え込み、赦し、新しい命を与えてくださった神さまの御心を知るのです。ですから、戦争責任告白は、アコルの谷に降りたってなした告白ゆえ、真に告白するとき、希望の門となるのです。