2012年5月6日 礼拝説教「一筋の心をお与えください」

詩編86:1~13
ヨハネによる福音書14:1~14

櫻井重宣

 私たちの教会は今年度、「一筋の心をお与えください」という主題を掲げ、教会生活・信仰生活に励んでいます。本日は、この「一筋の心をお与えください」という主題の聖句が記されている詩編86編を学び、「一筋の心をお与えください」と祈る詩人の信仰に思いを深めたいと願っています。


 さて、詩編86の冒頭に「祈り。ダビデの詩」とあります。詩編には150の詩があり、多くの詩に表題がついていますが、「祈り。ダビデの詩」という表題は150編のうち17編と86編の二つだけです。
 詩編17編を見ますと、イスラエルの歴史において名君中の名君と言われたダビデが次から次と襲いかかる迫害、苦悩のただ中で、自分の無力さにおののき、わたしの叫びに耳を傾けてください、わたしの祈りに答えてください、瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の陰にわたしを隠してください、と神さまに助けを祈り求めています。
 今日ご一緒に学ぶ86編もそうです。1節~4節でダビデはこう祈ります。
 「主よ、わたしに耳を傾け、答えてください わたしは貧しく、身を屈めています。わたしの魂をお守りください わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください あなたはわたしの神、わたしはあなたに依り頼む者。主よ、憐れんでください 絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。あなたの僕の魂に喜びをお与えください。わたしの魂が慕うのは、主よ、あなたなのです。」
 ダビデは、自らの弱さ、貧しさをよく知っています。そのため神さまに身を低くして、わたしに耳を傾け、答えてください、とお願いしています。一方で、ダビデは、自分は神さまの慈しみ、愛に生きる者です、神さまの僕です、あなたはわたしの神です、と告白しています。ダビデにとって神さまは健康のとき、順境の時にはもちろんそうですが、苦しい時、悲しい時、逆境のとき、身近にいて励まし、支えてくださる方です。それゆえ、次から次と苦しみに襲われた時でも、一日中神さま、助けてください、憐れんでください、と祈り願うのです。そして、究極的には神さまは喜びを与えてくださるので、そうした神さまを慕い求めるというのです。

   半年位前でしょうか、大きな苦しみを抱えておられる方が遠方から礼拝に出席されました。あまりつらそうでしたので、礼拝の後しばらくお話をお聞きし、次の日も牧師館でお話をうかがいました。その方がご自宅に戻ってお礼のおはがきを下さいましたので、わたしも「あしあと」という有名な詩が記されているはがきを用いて返事を書きました。こういう詩です。

   暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映しだされていた。どの光景にも、砂の上にふたりの足跡が残されていたが、これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、そこにはひとつの足跡しかなかった。それはわたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。わたしは主にお尋ねした。「主よ、どんなときにも一緒に歩んでくださると約束されたのに、わたしの人生のいちばんつらいとき、ひとりのあしあとしかなかった。なぜ、あのとき一緒に歩いてくださらなかったのか。」そのときイエスさまはささやいた。「わたしはあなたを見捨てていない。あの苦しみや試みのとき、あしあとが一つだったのはわたしがあなたを背負っていたからだ。」  
 その方から、数日前にまたお便りがありました。あの詩にとても励まされた、そしてあの詩を大きく書き写し、部屋の一番見えるところに貼ってある、毎日あの詩に励まされている、というお便りでした。
 詩編86編でダビデが祈っていることはそのことです。
 5節~10節をお読みします。
 「主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。主よ、わたしの祈りをお聞きください 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。苦難の襲うときわたしが呼び求めれば あなたは必ず答えてくださるでしょう。主よ、あなたのような神は神々のうちになく あなたの御業に並ぶものはありません。主よ、あなたがお造りになった国々はすべて 御前に進み出て伏し拝み、御名を尊びます。あなたは偉大な神 驚くべき御業を成し遂げる方 ただあなたひとり、神。」
 ダビデは、神さまは恵み深く、お赦しになる方だ、次から次と苦難に襲われる自分を神さまは助けてくださる、そうした信頼から、神さま助けてください、と呼び求めます。苦しい時、助けてくださいと叫ぶと、答えてくださる方は、神さま、あなたおひとりです、と告白しています。
 詩編17編と同じく、86編でもダビデにとって神さまは、身近な方です。神さまに呼ばわれば、必ず答えてくださるという信頼があります。
 そして、11節です。
 「主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように 一筋の心をわたしにお与えください。」
 詩人は神さまに二つの願いをします。一つは、あなたの道をお教えください あなたのまことの中を歩みます。もう一つ 一筋の心をお与えください 御名を畏れ敬うことができるように、という願いです。 
 そして、12節と13節ではこう祈ります。
 「主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげ とこしえに御名を尊びます。あなたの慈しみはわたしを超えて大きく 深い陰府から わたしの魂を救い出してくださいます。」
 詩編17編もそうでしたが、86編においてもダビデは繰返し身近におられる神さまに助けてくださいと祈り続けますが、こうした祈りを繰り返す中で、ダビデは、この地上の生涯を終えて、神さまの国で目覚めるとき、御顔を仰ぎ望み、御姿を拝して、満ち足りることができる、神さまは深い陰府からわたしの魂を救い出してくださる、と告白するのです。ダビデは苦しい今はもちろんのこと、自分の生涯を終えて、みもとに召されるそのときまで、守ってください、助けてください、と祈りつづけ、神さまのみもとに召されたとき、神さまの御顔を仰ぎ見るというのです。  
 あらためて11節の二つの願いに思いを深めたいのですが、第一の願いにおいて、ダビデは、あなたの道をお教えください、道をお教え頂いたなら、あなたの真実、まことの中を歩むことができます、というのです。ダビデは、わたしはあなたの真実の中を歩み続けたい、そのためにあなたの道をお教えください、と切々と願っています。
 先程、耳を傾けたヨハネによる福音書14章において、弟子のトマスが、イエスさまがどこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません、と言いますと、イエスさまは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」とおっしゃいました。イエスさまは、御自分が道そのもので、その道を真実に歩み続けることを通して命に至るというのです。この箇所は十字架を前にしたイエスさまの説教です。御自分が十字架の道を歩まれて、神さまのもとへ私たちを導いてくださる、というのです。
 先週の夜の祈祷会でマタイ福音書16章を学びました。イエスさまこそキリスト、神の子ですと告白したペトロに、イエスさまは御自分がエルサレムで多くの苦しみを受けて殺され、三日目によみがえることを予告されました。そうしますと、ペトロは、イエスさまをわきへお連れして、とんでもないことです、そんなことがあってはなりません、とイエスさまをいさめました。イエスさまはそうしたペトロに「サタンよ、引き下がれ」とおっしゃいました。これは、サタンよ、わたしの後ろに行け、と言う意です。そして、弟子たちに「だれでもわたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とおっしゃいました。わたしについて来たいものは、というのは、わたしの後をついてきたいものは、という意味です。ペトロがイエスさまの前に立つと、十字架の道を拒みます。イエスさまの後についていこうとすると、その道はまことの道なので、ついていこうとする者も苦難の道を歩まざるを得ないのです。 
 もう一つの願いは、御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をお与えください、です。「一筋の心をお与えください」は聖書で、ここだけです。「心を一つにして、み名を畏れさせ給え」とか、「わが心を集中させて下さい、あなたのみ名を畏れることに」と訳す人もいます。心が神と神以外の目標とに分かれることなく、心の思いをすべて神に向かって集中すること、さまざまの心の思いを、神の御名をおそれることにおいて結び合わせること、すなわち、全部の心をもって 心を分けず、ありったけの心を全部かたむけて、ひたむきに神さまを信頼する心をお与えください、というのがダビデの祈りです。 
 先程、讃美歌398を歌いました。この詩を作ったのは葛葉国子さんという方です。葛葉さんは幼稚園の先生を志しましたが、働いて3年目に病気になりその願いが挫折しました。
 こうした葛葉国子さんを励ましたのが、霊南坂教会のオルガニストで、島崎藤村の「椰子の実」を作曲した大中寅二先生です。葛葉さんは詩を作るのが好きで、その詩に大中先生が曲をつけて下さり、幼稚園で歌うたくさんの歌ができました。大中先生と葛葉さんのコンビでできた讃美歌が二つあります。その一つが先程歌った398番で、もう一つは256番です。讃美歌256には葛葉さんの信仰が言い表わされています。

 1節  つみのやみ われにせまりて 
     追いはらう すべなきものを 
     ああわが主よ ゆるしたまえ 
     われはしも 罪の子なり
 3節  なみだもて あおぎまつれば 
     主イエスまた なみだしたもう
     あわが主 ゆるしたまえ 
     われはしも 罪の子なり
 4節  じゅうじかの とうとき血しお 
     わがために 今もながるる
     ああわが主 ゆるしたまえ 
     われはしも 罪の子なり 

 葛葉さんは、神さま、ゆるしてください わたしは罪の子です、と自分の罪におののいています。そして、自分の罪の深さを思うと涙があふれる、というのです。けれども、涙しつつイエスさまをあおぎまつれば、イエスさまもわたしのために涙を流しておられた、十字架のとうとき血しおをわたしのために 今も流しておられる、そういうイエスさまなので、ゆるしてください、と祈ることができる、とうたうのです。
 先程歌った398番の1節と2節ではこう歌います。

 1節  わがなみだ われをひたして 
     たえがたき なやみの夜を
     ひたすらに 主を呼びまつる 
     わが声に 答えたまえ わが主よ
 
 2節  生きの身の われのいだきし 
     のぞみみな 今はついえぬ
     ひたすらに 主を呼びまつる 
     わが声に 答えたまえ わが主よ
 
 あまりのつらさ、苦しみのゆえに涙にひたるような、たえがたき悩みの夜に自分はただひたすら主をよびまつる、わが主よ、答えてください、自分がいだいていた望みはみなついえてしまった、けれどもわたしはひたすらに主を呼びまつる 主よ、答えてください、と歌う葛葉さんの祈りに「一筋の心をお与えください」、という詩人の信仰の姿を見ることができます。
  
 このあとご一緒にうたう讃美歌、Ⅱ―186もそうです。
 
 1   日ごと主イエスに よりすがりなば
     恐れはあらじ たよれ、ただイエスに
     ただ主にすがり 日ごと夜すがら 
     み手にゆだねて おそれずすすまん

 2   み霊のひかり われをてらして 
     みちびきたもう たよれ、ただイエスに
     ただ主にすがり 日ごと夜すがら 
     み手にゆだねて おそれずすすまん
 
 3   わが世の旅路 やがて終わらば 
     そこはみ国ぞ たよれ、ただイエスに
     ただ主にすがり 日ごと夜すがら
     み手にゆだねて おそれずすすまん
 
 「一筋の心をお与えください」は、神さまの前で自分に姿を知り、おののくものの祈りです。それだけでなく、罪におののくわたしたちのために涙を流し、十字架の道を歩んでくださる、それほど、私たちを愛され、私たちの身近におられることを知っている者の祈りです。さらに神さまは、順境の時だけでなく、逆境のときも共にいて、この世の旅路を終え、御国で目覚める時まで守ってくださることを信じる者の祈りです。
  
 イエスさまは「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」とおっしゃっています。その必要なただ一つのことに私たちの心のすべてを集中させて、この一年歩んでいきましょう。 

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