イザヤ13:9~13
フィリピ2:6~8
マルコ15:33~41
鈴木和男
■真昼の暗黒! 「昼の十二時になると 全地は暗くなり、 それが、三時まで続いた」
正にこれは「真昼の暗黒」と表現するほかはない不思議な名状すべからざる時が、あの日、二千年の昔、あのゴルゴダの丘、人々が「サレコウベの丘」つまり骸骨の丘という不気味な名をつけ近づこうともしなかったところ、エルサレムの城壁の外、つまり、犯罪人の処刑場であった丘の上で起こり、その時は午後三時まで続いたと「マルコによる福音書」第15章33節は伝えており、「マタイによる福音書」も「ルカによる福音書」も異口同音にそう伝えております・・・。
第四番目の「ヨハネによる福音書」も、「正午ごろ」つまり「昼の十二時」ローマの総督ピラトによる死刑判決が出るや否や直ちにイエスの身柄はゴルゴダの丘に連行され刑は即刻執行されたと記しています(「ヨハネ」19:14~22)。
「ヨハネによる福音書」は「真昼の暗黒」には言及していませんが、外の福音書と同様、あの日、主イエスと共に、主イエスを真中にして、その「右」と「左」とに「二人の犯罪人」も十字架につけられ、計三本の十字架が立てられたと、これもまた格別の注意を引くことであります。
「彼は犯罪人のひとりに数えられた」と記されている旧約聖書「イザヤ書」第53章12節の〝主の僕のうた〟といわれている個所の結びの一句は本当の事であった、現実となったということでしょうか。
正にこのことは、主イエスご自身にとっても、二人の犯罪人にとっても単なる偶然のこととはいえない、この日ゴルゴダの丘の上で起こった事の本質に属する重大なことであり、今日の教会にとっても本質的に重大なことであります・・・。
「昼の十二時になると 全地は暗くなり、それが、三時まで続いた」
まことに不思議な表現です。
本当は、時は正に春、真昼の太陽はいよいよ光を増して強烈に輝き、空には雲ひとつない真青な抜けるような天空が広がっていた筈ではないか。春のパレスチナの気象から言えば、すでに夏に近く、連日晴天が続くというのが通常でありました。
それなのに、なぜ、「昼の十二時、全地は暗く」なったというのでしょうか。あの日、世界は変わらず美しく、鳥たちは鳴き、花は咲き乱れ、風は頬をかすめて優しく、「世は事もなく」平和であったのではないか。
しかし、正にその只中で、突如、「真昼の暗黒」と呼ぶほかはない事が起った。しかも、それが「三時まで続いた」。まことに異様なこと異常なことではないか。キラキラ輝く太陽の光のもとに事が起ったからこそ、「真昼の暗黒」だったのでありましょう。どんな光も、強烈な太陽の光りさえその真相を明らかにすることの出来ない暗黒、太陽の光さえ暗黒に変えてしまう程のことが、あの日、ゴルゴダの丘で起ったのだということではないか・・・。
―― ヒロシマに世界最初の原子爆弾なるものが炸裂し、その放射能の光の尖光と恐るべき爆風とが一瞬にしておびただしい人々を死へナギ倒していった時、あの日も空に雲ひとつない晴れた日であったそうですが、やがてあたりに異様な黒い雨が降り注いだということが伝えられており、井伏鱒二の小説『黒い雨』によっても人々に広く知られるところとなりました。
まして、「ナザレのイエス」という類まれな不思議なお方が、不当な訴えと不条理・理不尽な裁判と、一部の人々の憎悪と裏切りと陰謀とによって十字架に葬り去られていった時、「全地が暗くなる」ことが起らない筈があるでしょうか。
あの時、地上のどこに明るい正義の光が存在したでしょうか。あの日起ったことは、この地上に正義は失われ神を恐れることも消え去った「暗黒」そのものであったと言うべきではないか。人間のドス黒い暗黒そのものが、白日のもとに露呈されたということではなかったか・・・。
「見よ、 主の日が 来る
残忍な、怒りと憤りの日が。
大地を荒廃させ そこから罪人を絶つために。
天のもろもろの星とその星座は光を放たず
太陽は昇っても闇に閉ざされ
月も光を輝かさない。」――「イザヤ書」
第13章9節10節であります。
真昼の暗黒は予告されておりました。「主の日」が来る、それは「怒りと憤りの日」だと言っています。しかし、同時に、それは「罪人を断つためだ」とも不思議なことを言っています。
あの日ゴルゴダの丘で起っていたことが、
「日蝕」のような自然現象であったのなら、それは数秒か数分で終わったことでありましょう。「昼」から「三時」に及ぶことはなかったでありましょう。あの日、ゴルゴダの丘で起ったことは、預言者イザヤのいう「主の怒りの日の到来」だったのでしょうか。
そうです、あの日ゴルゴダの丘での十字架の死において起っていたことは「主の日」の到来に外なりませんでした。
「主の日」―― つまりそれは「主なる神」が「ご自身」を現される日のこと、それも日付けのことではなく、「主の怒りの日」が起こるということである限り、それは「恐ろしい日」であるのでありましょう。その時、一切のことは白日のもとにさらされることになるほかはないであろうからです。
神の日には、隠しうるものは一つもなく、「陰府も裸である」(ヨブ26:6)のです。「主の日」は必ず到来し、誰かがその到来を妨げようとしても、主なる神ご自身がその日を到来させたもうことでありましょう。
遂に、その日が来たのです。しかも、その日は、また、だからこそ、不思議にも「救い」と「解放」の「歓び」の日でもあるのです。
「その日には、義の太陽が昇る」と預言者マラキ(4:20)は語り、預言者イザヤは、
「太陽は再びあなたを照らす光とならず、月の輝きがあなたを照らすこともない。主が、あなたのとこしえの光となり、神が、あなたの輝きとなられる。
あなたの嘆きの時は、終る」と言っています(「イザヤ」60:19-20)。「午後三時」、真昼の暗黒は、終ったのでした・・・。
■神など、いてもいなくても・・・?!
しかし、あの日、そのことに気づいていた人は決して多くはありませんでした。
多くの人々は、イエスが十字架に死んだと聞かされて安堵の胸をなでおろしたのではなかったでしょうか。厄介な、ウルサイ奴がようやく姿を消してくれた、と。これで枕を高くして寝れる、と。
「ナザレのイエス」と呼ばれた男の出現、その口から発せられた「神の国は到来した」との宣言、その唇から洩れたかつて誰もが耳にしたことのない美しい言葉、慰めの言葉、いのちの言葉、神は生きていますことを鮮明に指示してやまなかった奇妙な男の出現、その存在、その活動 ―― 人々は驚きの目をみはりながらも、本心では厄介な男メンドウなことを語る者、余計なことをしてくれる男として敬遠し、あわよくば早々に消えていってほしいと願ったのではないでしょうか。
「あの男が消えてくれればこの世は静かになり万事は人間の思い通りにゆく」、この世の権力者はそう考え、宗教的指導者たちさえ、いえ彼らこそ「この人が死んでくれることは皆の益になる」とうそぶき、その一人は、当時のユダヤの大祭司カヤパであったことは「ヨハネによる福音書」11章50節が記録しています。
「日本人は、世界で一番早く神を捨てた民族である」と、ドイツから日本に来て、上智大学を中心に長く司祭として活動したロゲンドルフが喝破した言葉に、かつて、私は深い衝撃を受けました。
神を棄てたことにより、日本人は、「タテ軸」も「ヨコ軸」も失ってしまい、右と言えば右へ、左と言えば左へ付和雷同し、一斉に向きを変えて、平然として、自分さえ良ければいい、あとは野となれ山となれ、「自分がいまお茶一杯飲めるのなら、世界は亡びたってかまわない」と考える人間になってしまったことを「無責任の体系」と分析したのは丸山真男という政治学者でした。天皇をはじめ、政治家も経済人も金融業者も誰ひとり遂に責任を負おうとはしない日本の国家や社会は、正に、日本の悲劇というほかはありません。
正に、神なしでも生きられる、生きたい、その方が楽であり自由でありうる、まして、「ナザレのイエス」などという男のことはどうでもいい、神とか、聖書とか、教会だとか、礼拝だとか、説教だとか、牧師だとか、そんなものに何の価値があろう。経済が全て、金が全てだと―― これこそが、太陽の光も照らし出せない、人間の心の暗黒ではないでしょうか。
神など存在しなくても、いや存在してもどうということはないとうそぶく人間――。
イエスの十字架の死は、その人間の暗黒の結果であるということが白日のもとにさらされた出来事が、あの日のゴルゴダの丘の出来事であった。正に、それ故に、「真昼の暗黒」と言われる。
■神の、〝ねばならぬ〟
間違いなく、あの日、イエスをゴルゴダの丘へ連行し十字架の死に到らしめたものは、〝人間のやったこと〟に外なりませんでした。
「人々は、イエスを殺そうとした」と言うことは、主イエスの伝道開始の直後すでに
起っていたと「マルコによる福音書」3章6節は記しています。「福音書は最初から受難物語」なのです。
同時に、しかし、わたしたちは聖書の中からそれとは違った不思議な声の発せられているのを聞きとります。主・イエスご自身が、この死を自ら進んで望まれたという声です。
いわゆる「主・イエスの受難予告」―― マルコによる福音書が三回にわたって(マルコ8:31、9:30、10:32)記す主・イエスご自身がひそかに弟子たちに打ち明けられていたこと、「私は、この死を死なねばならないこと」になっているのだと言われ、しかも、それは事の成り行きとか運命とか偶然そうなるといったことではなく、神のご意志で遂行されることであり、私は、そのご意志と決定とに従うつもりだと、しかも自ら進んでそうするつもりだと言っておられたこと。弟子たちは、それを聞いて「恐れた」とも記されています(マルコ10:31)。
〝ゲッセマネの祈り〟も思い起こすことにしたいと思います。「父よ、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、私の思いのままにではなく、み心をなさってください」と祈られたのでした。
ゲッセマネの園で、待たされていた弟子たちが眠りこけてしまう程であったのに、福音書はこの部分の祈りしか伝えていません。
ところで、この「み心のままにしてください」とある部分は日本語として訳しすぎであり、ここは、単的に「み心がなる」という断定・断言だそうです。勿論、「この杯をわたしから取り去ってください」と祈ることは許されており、わたしたちも「求めるところは何でも祈り求めるがよい」と承知しています。主もそうされたのです。しかし、私がそのように祈り求めても、神様のご意志とご計画は、前もって、大胆にいえば世の始めの時より、否、その先より決定しているのだということを承認することを示す〝断言〟であるよしです。軽い言葉ではありません。主・イエスは、十字架の死を〝神の決定〟として受け止め受け容れそれに従う―― そこに至るまでの苦闘こそゲッセマネの祈りの真相でした。
「祈り」というものの究極の姿もそこに示されているのです。
「祈りには二種類ある。一つは〝請求書的祈り〟でありもう一つは〝領収書的祈り〟だ」と申した人がおります。「神さま、ああして下さい、こうして下さい」というのが〝請求書的祈り〟であり、それに対して、神さまは私が祈り求める前から、それ以上のものを既に準備していて下さり、神さまは私にとっての最良のことを実現して下さる以上は、私たちの祈りは、それを感謝して受け止める〝領収書的祈り〟になるほかはない、と。万事自分の思い通りにしたいと考え、神さえ、祈りをさえ、その手段としてしか考えない人間の自我というまとわりつく鉄の枷が打ち砕かれ、神のみ心が成るという喜ばしい承認にいたる戦いを、主・イエスもまた戦い抜きたもうたのです。「血の汗を流す」たたかいであったと記されているのはその意味でありましょう。
■神が望まれた死・・・?
では、神という御方が、「イエスの十字架の死」を望まれたということでしょうか。最も惨酷な処刑といわれる十字架刑に処することによって、神は満足なさり、怒りを静め、納得されたというのでしょうか。イエスは、そのための〝犠牲〟だったのでしょうか。「人身御供」だったのでしょうか。聖書の神は「怒りの神」であるということは、そんな残忍な野蛮な計算高い方のことなのでしょうか。そうではありません。
「私は、罪人の死を誰れひとりよろこばない」というのが聖書の神としたのは預言者エゼキエルでした。「私は、悪人の死をよろこぶだろうか。私は、彼がその道から立ち帰って生きることを望む」というのが神の本心であるとも言っています(エゼキエル18:32)。
「私は、犠牲をよろこばない」「私は、穀物の供え物のことで、あなた方をわずらわしたことはない」(イザヤ43:23)、「私が求めるのは、打ち砕かれた悔いし心である」と詩編は記しています(詩51:19)。
聖書の神は、「天上天下唯我独尊」と、独り超然とした方ではなく、イエスの死を眺めている方ではなく、ご自身が身を低くして、自ら進んで、自ら死のうと決意された神であられるのではないか。人間の罪は、人間がこれを担おうとしても担い切れない重いものです。そのことを一番良く知っておられるのは神ご自身であり、その方が、「私が代わって担おう」といってくださるとき、事は必ずそのようになり、事実そのように実行なさったところに「聖書の神」の独自な救いの業があるのです。
「罪が死ななければ、神が死なねばならない」ほどに罪は致命的なことであり、それ故に、「私が罪を負って、私が死にましょう」と決意し実行なさったとき、神は決定的な救いの業をなしとげられたのです。そのとき、罪は死んだのです。
あの日、ゴルゴダの丘で、イエスの十字架の死において行動していたもうたのは、神ご自身でありました。「一切を審く力のある方が、自ら進んで十字架の上に審かれるものとなって下さった」(カール・バルト)のです。その時、「真昼の暗黒」は終わったのです。
「そして、主は彼らの救いとなられた。
彼らの苦難を常にご自身の苦難とし、御前に仕える天使たちによって(否、ご自身によって!)彼らを救い、愛と憐みをもって彼らを贖い、常に、昔から彼らを負い、彼らを担って下さった」
と「イザヤ書」63章9節以下は記しています。
「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることを固執しようとは思わず、かえって、自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者になられた。
人間の姿であらわれ、人間と同じ者となられた。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、十字架の死に至るまで従順であられた」(フィリピ2:6)
のは〝キリストの自画像〟であると同時に、これはまた〝神の自画像〟でもあるのです。
イエス・キリストにあって神を仰ぎ、神を仰いでイエス・キリストを信ずるのが私たちの「信仰告白の根本構造」です。「げに、この人は、神の子であった」、と。
■神は、あそこに、苦しんでおいでになる・・・
―― 第二次大戦のさなか、「ユダヤ人強制収容所」で脱走事件が起こり、その処罰、みせしめのため三人の男たちが選び出され、絞首刑に処せられることがあったそうです。
三人のうち二人は直ちに絶命したのに、三人目の男は、といってもまだ少年ともいうべき若者であったそうですが、体重が軽いため死にきれず、首に巻きつけられた綱は、いつまでも、ゆるく、右に左に揺れ続けたといいます。
その時、「神さまは、一体、どこにいるんだ!何故、今、助けに来ないのか!」との叫びが上がった。取り囲んでいたユダヤ人たちの中で、一人の老人がその叫びに対して呟くように言ったという「神さまは、どこにいるかって・・・? 神さまは、ごらん、あの少年の、あそこで、一緒に苦しんでおいでになる」と。
―― あの3月11日、津波に流されていく人々と共に、神ご自身も一緒に流されていかれたのではないか。
障害を持った幼い子を育てている娘と孫とが安全に助かったことを見届けたのち、自らは津波にさらわれていきながら七十四歳の老婦人は叫んだという ―― 「生きろよ!生きろよ!バンザイ バンザイ」と。
「泣きたいけれど泣けねえ、涙が出ねえんだ」とひとりの漁師のひとの声。
悲しみすら悲しみえない悲しみを、神は、あの時、担っていてくださったのではないか・・・」