ヨブ記19:23~27
マタイによる福音書14:22~33
櫻井重宣
3月11日に東日本を襲った大地震、大津波から4か月経ちましたが、被災地では未だに多くの方々が苦しんでおられます。大津波のため依然として行方不明の方もおられます。また、福島の原発事故は終息の目処が立たないどころか、ますます深刻さを増してきています。
『福音と世界』という雑誌がありますが、8月号でヨブ記について特集が組まれています。ご存じのように、ヨブという人はこの世的に恵まれていた人でした。多くの財産を持ち、10人の子どもを与えられ、自らも健康でした。そのヨブが突然の災難のためすべての財産を無くし、それだけでなく、10人の息子、娘を一度に亡くし、さらに自らも病気になってしまいました。ヨブは、神さまに向かって、「どうしてですか」、「なぜですか」と叫んでいます。まさにこのたびの大震災で多くの人々がヨブと同じ苦しみに直面しています。そのためにヨブ記の特集となったようです。
私は30代と40代の21年間、秋田の教会で奉仕いたしましたが、その教会にSさんという方がおられました。私より八つ年上の方でした。4歳の時、関節リューマチを患い、それからは自分の足で立つことも歩くこともできなくなりました。そのため一度も学校に行ったことがありませんでした。その方は私が赴任する数年前に洗礼を受け、私の在任中は体重が20数キロでしたので、教会の青年たちに抱っこされて教会においでになり、教会学校の教師としてご尽力下さいました。また、若い方々の相談相手になっていました。また、Sさんはハンセン病の療養所におられる視覚障がいの方に朗読奉仕をしておられました。Sさんがよくおっしゃっていたことは、自分はヨブ記を読んで求道を始めた、ヨブの思いと自分の思いは重なる、この書には人間の苦しみが正面から取り上げられている、自分は一度自ら命を断とうとしたが、ヨブ記を読んで、生きようとした、苦しみが大きければ大きいほど、悲しみが深くなればなるほど、ヨブの語ることが身近になるということでした
大震災の後、神さま、どうしてですか、と呻くことしかできない私たちです。今朝は、御一緒にヨブ記に耳を傾けたいと願っています。
実は、ヨブ記は1章から42章までありますが、1章と2章、そして42章7節以下が散文で記されており、散文の文体に挟まれている3章から42章6節
が詩の文体です。私は、この散文と詩の文体は額縁と絵の関係と受けとめることができるのではないか、と思います。詩の文体で記されているのが絵で、散文で記されている箇所が額です。額縁と絵の関係は、絵があってその後に額縁を考えます。そうしますと、詩の文体で記されているところがヨブ記の本論ということになります。
さて、絵の部分、本論は3章からですが、ヨブの第一声は「わたしの生れた日は消え失せよ。男の子をみごもったことを告げた夜も」です。生れた日を呪う言葉が第一声です。つらい、大きな苦しみに直面したヨブは、わたしはどうして生れたのか、というのです。先程紹介した秋田のSさんは、自分もヨブと同じ思いだったとおっしゃっていました。
生れた日を呪うことから始まったヨブ記は、大きな苦しみに直面したヨブを慰めようとして遠い所からやってきたエリファズ、ビルダド、ツォファルという三人の友人たちとヨブのやりとりが記されます。友人たちの考えの根底に因果応報思想がありました。ヨブがこれほど苦しむのは何か原因があるに違いない、その原因をただせば、苦しみから解放されるに違いない、ヨブはたしかに正しい人間で、神さまを信じているが、こうした苦しみを次から次と直面しているヨブを見ると、本当にそうだろうか、そのことを疑わずにはおれない、というのです。そして、ヨブに向かって、あなたに苦しみの原因を教えてあげよう、あなたは間違ったことをしたのではないかと、結果的にヨブを責めました。こうした友人たちの言葉は、ヨブを慰めるどころかいらいらさせ、ヨブは友人たちに激しい怒りの言葉を浴びせ、それだけでなく、その怒りの矛先を神さまに向け、ヨブは神さまに、何故ですかと食い下がるのです。
友人たちとのやりとりの中で、ヨブは二つのことを神さまに願い出ています。一つは、神さまがあたかも敵にむかうように自分をいじめるので、自分と神さまの間を仲裁する方、仲保者、証人を立ててくださいという願いです。仲保者というのは、神さまにヨブのことを弁護する方です。もう一つは、あまりの苦しさから、神さまの御手が及ばないところ、神さまに見捨てられた陰府にわたしを隠してくださいという願いです。
先程、ヨブ記の19章23~27節を読んで頂きました。ここは、ヨブ記の頂点といってもよいところです。あまりの苦しみのため二つのことを願い出たヨブに、今まで思いもしなかったことが示されたのです。あまりの感動にヨブは23節と24節でこう語ります。
「どうか わたしの言葉が書き留められるように 碑文として刻まれるように。たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され いつまでも残るように。」
こういうことです。これから記すことは友人たちには理解してもらえないかもしれない、けれどもなんとか後の世の人々には分かって欲しい、そのためお墓の碑文に刻んで欲しい、たがねで、すなわち鉄ののみで岩に刻み、そこに鉛を溶かし込んで黒々と記され、いつまでも残るように、というのです。墓碑銘にこれから述べることを書き残しておいて欲しい、というのです。
自分の苦しみが友人たちに理解されず、神さまからも見放された思いのヨブが、自分はこういうことを示された、後の世の人々にも知って欲しいので自分のお墓に記したいというのです。
それでは、どういうことをお墓に記すかというと、先ず25節です。
「わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。」
「わたしを贖う方」というのは、神さまとヨブを仲裁する方です。その方は生きておられ、塵の上に立たれるというのです。「塵の上」は、陰府です。どういう事かと申しますと、あまりにも神さまの自分に対する仕打ちがひどいので、神さまから見放され、神さまに見捨てられた場所である陰府に自分を隠して欲しいと願ったが、その陰府に、贖う方、仲裁する方がおられた、そのことを知ったというのです。神さまから見放されたところに、自分を贖う方がおられ、そのところで自分のために祈ってくださっていた、執り成しの祈りをささげてくださっていた、ということを知ったというのです。驚き以外のなにものでもありませんでした。大きな苦しみ、悲しみに直面し、神さまから見放されたと思っていたとき、自分が苦しんでいるよりもっと深い所に、すなわち苦しみの底の底に神さまが仲保者を送り、そこでわたしのために祈っていてくださったことを知った、というのです。すなわち、ヨブは大きな苦しみを経験する中で、神さまとわたしの間を執り成す方は、高い所、安全な所ではなく、最も低い所、神さまから見放された所、陰府でわたしのために祈って下さる方だ、ということを示されたのです。
ヨブから数百年後、神さまの独り子イエスさまは十字架の死を遂げ、陰府にくだってまで私たちのため執り成してくださったのです。使徒信条で「主は—–十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり—-」と告白しているのはそのことです。
熊澤義宣先生は東京神学大学の学長になられてすぐ心臓のご病気で絶対安静を言い渡されました。トイレにも行ってはいけないと言われました。自分の無力さを徹底して思わされたというのです。けれども、その無力さの中で、動くことができない自分をイエスさまはベッドの下で支えてくださっていることを思わされ、大きな慰めを与えられたとおっしゃっています。まさに陰府にくだったイエスさまがベッドの下で熊澤先生を支えておられたのです。
26節と27節にこう記されています。
「この皮膚が損なわれようとも この身をもって わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。」
ヨブは苦しみのために自分の体がぼろぼろになるかも知れない、しかし、そのぼろぼろの体で神さまを仰ぎ見ることができる、神さまにお会いできるというのです。それは神さまと自分の間に立つ:方は、陰府において、苦しみの底の底で祈っていてくださるからです。
仙台の東北学院大学で長年教えておられた川端純四郎先生は新約聖書の専門家ですが、先生ご自身もオルガンを弾き、キリスト教音楽の分野でも優れた方です。この方が最近ある集いで「3・11以後の教会と私たち」と題して講演をされました。先生は、教会員を捜して600人余の遺体を見て回るという体験を通して、「なぜ地震が起きたのか、なぜ多くの人々が死なねばならなかったのか、説明はつかないが、そこで、オロオロ歩くイエスさまがおられる限り、私たちも共に生きるほかない」とおっしゃいました。3月11日以後、日本を励まそうとして世界の各地で行われる集いで、宮澤賢治の「アメニモマケズ」が朗読されていますが、「オロオロアルキ」はあの詩の一節です。
「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」と宮澤賢治はうたっています。わたしは岩手の人間ですので、サムサノナツハオロオロアルキ、という表現は本当によく分かります。今年の夏は岩手も暑いようですが、岩手は何年かに一度、サムサノナツを経験します。お米も実りません。そうしたとき、農家の方々にとってオロオロ歩きながら自分たちの心配、不安を共にする人がいるということは、本当に大きな慰めです。川端先生は、被災地においてイエスさまがオロオロアルイテイル、イエスさまはそういう姿勢で私たちと共にいてくださる、そのことが大きな慰めだというのです。
かつてこの湘南地方にこういう小児科の医者がいたことを読んだことがあります。昔ですから、幼い子どもさんが疫痢などの病で亡くなります。その医者は病気の子どもさんが病院に連れて来られると、懸命に治療するのですが、どうしてもその命を救うことができなかったとき、お葬式の行列の最後をとぼとぼと、オロオロ歩くというのです。またあの医者は、子どもの命を救うことができなかったと人々の前に自分をさらしたというのです。その子どもの命に責任を持つことがそうした行動に走らせたのです。
先程読んで頂いたマタイによる福音書14章には、イエスさまの弟子たちが向こう岸に行こうとしたとき、逆風のため湖の上で波に悩まされました。夜が明けるころ、イエスさまは湖の上を歩いて弟子たちのところへ行かれました。弟子たちが「幽霊だ」と思って恐怖のあまり叫び声をあげますと、イエスさまは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」とおっしゃったのです。もう少し、言葉を補いますと、「大丈夫だ、わたしはどんなときにもあなたたちと一緒にいる、恐れることはない」です。
イエスさまは湖の上で逆風のため不安を覚えている弟子たちに、近づいて来られ、わたしが一緒にいる、大丈夫だ、恐れることはない、とおっしゃるのです。御自分が安全地帯におられて「安心しなさい」と言うのではありません。逆風のため大きな波をかぶっている弟子たちの処にイエスさまが必死になっておいでになって「わたしがここにいる」とおっしゃるのです。イエスさまのこの励ましは弟子たちにとって大きな励ましとなりました。
矢内原忠雄先生は「長い人生の行路において傷つき倒れてしまって神の姿を見失ってしまったとき、我らの心を訪ね求めるイエス・キリストは我らの手を取り、心の最も深い所に導き入れてくださる」と語っておられます。今、私たちは大きな苦しみ、悲しみに直面し、うろたえています。イエスさまはどこにおられるかというと、イエスさまもうろたえています。おろおろしています。そのイエスさまが共に涙しつつ、私たちの手を取り、導いてくださるのです。