申命記24:17~22
ルカによる福音書10:25~37
櫻井重宣
本日は春の伝道礼拝です。この礼拝に、バングラデシュの子どもさんたちに教育の機会をと願って、バングラデシュと日本を行き来しておられる井上儀子さんをお迎えできましたことを心より感謝しています。これから、井上さんに「分かち合いの喜び」と題してお話し頂きますが、それに先立ってイエス様がお話しされた「善いサマリア人」というたとえ話に耳を傾けたいと思います。
イエス様は「善いサマリア人」のたとえ話をするに先立って、ある律法の専門家とこういうやりとりをしています。律法の専門家は聖書の学者です。当時の社会をリードする立場にあった人です。この人がイエス様を試そうとして質問しました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」この質問それ自体はとても真面目な問いです。この人は聖書の学者ですから、聖書を何度も読み、聖書の内容は良く知っていました。礼拝のときには人々に聖書を教えていた人です。けれども、聖書を教えていても、この人は永遠の命ということがもうひとつピンとこない、神様に生かされている喜びを覚えることができない、そういう苦しみを抱えていたのです。これは決して他人ごとではありません。私自身、こうして皆さんの前に立って聖書のお話しをする立場にある人間ですが、いろんな苦しみ、試練の渦中にあるときなど、自分自身が慰めを必要とし、日曜日に皆さんの前に立つことが本当に苦しくなります。ですから、この律法の専門家の問いには共感を覚えるものがあります。
けれども、問いとしては真面目なのですが、この人はイエス様を試そうとしてこの質問をしたというのです。それは、当時のユダヤ社会で律法学者や祭司長たちはイエス様の働きを素直に受け入れることができなかったからです。
この質問に対して、イエス様は、律法には、すなわち聖書には何と書いてあるか、あなたはそれをどう読んでいるか、とお尋ねになりました。そうしますと、彼は聖書の専門家ですので、すらすらと「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい』とあります」、と答えました。
申し分ない答えです。その答えを聞いてイエス様は「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」とおっしゃいました。そうしますと、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と再度イエス様に尋ねたのです。自分は、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして神様を愛している、また自分を愛している、隣人を愛すべし、ということもよく分かっている、そこで、お聞きしますが、わたしの隣人とはだれなのですか、私たちの表現で言えば、向こう三軒両どなりが隣人でしょうか、教えてください、その人々を愛しましょうというのです。
このとき、イエス様がお話しされたのがこの「善いサマリア人」のたとえです。
こういうお話しです。
ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われました。ある人とありますが、おそらくユダヤ人で商人と思われます。エルサレムからエリコに行く道は山道で、寂しく荒涼としています。現在もソマリア沖の海賊のことが問題となっていますが、このとき出てきた追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去ってしまいました。しばらくして、祭司がたまたまその道を下って来ました。けれども、その人を見ると、道の向こう側を通って行ってしまいました。おそらくこの祭司は、エルサレムの神殿での奉仕を終えてエリコにある自分の家に帰る途中であったものと思われます。次にやって来たのはレビ人です。レビ人は下級祭司です。祭司とともに交替で神殿の奉仕をしていた人です。このレビ人もその傷ついた人を見ると、道の向こう側を通って行ってしまいました。急いでいたのでしょうか。祭司やレビ人は家族以外の人の遺体に触れてはならないという戒めがあります。もう死んでいると思ったのかも知れません。いくつもいくつも言い訳があります。そうなのです、私たちもこうした場に居合わせたとき、言い訳しながら道の向こう側を通っていくのではないでしょうか。
その後に来たのは旅をしていたサマリア人でした。イエス様のお生まれになる900年以上前にイスラエルは北と南に分かれました。現在も朝鮮が南と北に分かれています。サマリアは北と南の中間です。サマリアはアッシリアの人種混交政策で、ユダヤ人でない人と結婚する人々が少なくありませんでした。こうした人種混交という現実は、ユダヤ人としての誇りを持つユダヤの人々からするなら受け入れることができないことでした、そのためユダヤ人はサマリアの人との接触を断ち、それだけでなくサマリアの人を差別するようになりました。ガリラヤからエルサレムに行くとき、反対にエルサレムからガリラヤに行く時、サマリアを通れば近いのですが、わざわざ遠回りしてでもサマリアを通らないようにしました。けれども、このときやってきたサマリア人は「そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」のです。ここで「憐れに思い」と訳されている語の原語は、はらわたとか内臓を意味するスプランクナを揺り動かすという語です。心というより身体の最も深い所でその人の痛み、悲しみを共にする語です。ですから、このサマリア人は、あそこで傷ついているのは自分たちを差別し、毛嫌いするユダヤ人かそれとも同胞のサマリア人か、どちらなのか、そういうことを一切問題にせず、あの人は何と言う苦しみを受けたのだろう、苦しいだろう、痛いだろう、すぐ何とか手当てをということで近寄り、傷の手当をし、自分のろばに乗せ宿屋に連れて行って、徹夜で介抱しました。本当に細やかなふるまいです。そして、朝になるとデナリオン銀貨二枚を取り出しました。一デナリオンは一日の労働賃金です。デナリオン銀貨二枚はその人の二日分の労働賃金です。それを宿屋の主人に渡して、「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら帰りがけに払います」と言って旅立って行ったのです。
このたとえを話された後、イエス様は律法の専門家に「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」とお尋ねになりました。すなわち、「わたしの隣人とはだれですか」という質問した律法の専門家にイエス様はこのたとえを語り、逆に「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と質問されたのです。
よく、このたとえ話を引用して、祭司やレビ人は苦しんでいる人を見て見ぬふりをして助けなかった、けれどもサマリア人は優しく介抱した、私たちもサマリア人のように困った人に優しくしましょう、親切な人になりましょう、と語る人がいます。けれども、ここでイエス様がお尋ねになっているのは、だれがこの追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うかということです。追いはぎに襲われた人の立場に自分をおいて見るとき、サマリア人の行為がどんなに優しいふるまいかが分かります。祭司やレビ人は道の向こう側を通って行ってしまったのですが、このサマリア人は身体の深い所で苦しみ、痛みを受けとめ、優しく介抱してくれ、しかも宿屋のお金まで出してくれた、どんなに感謝しても感謝しきれない思いです。
ですから、律法の専門家はイエス様から「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われたとき、「その人を助けた人です」と答えたのです。その時、イエス様は律法の専門家にあらためて「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われたのです。
岩村昇という医者がいました。今から47年前、ネパールで医者が不足しとくに結核で亡くなっていく人が多いということに心を痛め、妻の史子さんと共にネパールに行って長年良き働きをされた医者です。岩村昇先生の原点は 子どもの頃宇和島の日曜学校に行っていて、そこでこの「善いサマリア人のたとえ」を聞いたことです。そして青年になった岩村昇先生はサマリア人のようにネパールで働こうと決断されたのです。
岩村先生はネパールのタンセンという町の病院で毎日くたくたになるまで働いたのですが、病院まで来ることができない人が多いことに気づきました。そこで、薬や道具を背負って町や村をまわりながら病院に来ることができない人の診療にあたりました。
ある村に行ったとき、ひとりの重い病気のおばあさんがいました。病院に連れて行って治療しなければいけない病気でした。けれども自動車が通るような道路もありません。だれかがおんぶして病院まで行かなければなりません。岩村先生は困りはてました。次の日、一人の若者が村に荷物を届けにやってきました。岩村先生はその青年におばあさんを病院へ連れて行ってくれるように頼みました。その青年は承諾し、おばあさんを背負って三日目にようやくタンセンの病院に着きました。岩村先生は感謝の思いで、三日分のお金を差し出しました。けれども青年は受け取ろうとしません。自分には若さがある、おばあさんは病気だ、だから、三日分だけ、ぼくの元気をおばあさんに分けました。みんなでいきるためです、と言ってはだしの青年は立ち去ったというのです。
今から二十年以上前、わたしは秋田の教会に奉仕していたとき、岩村昇先生をお迎えしました。岩村先生はこの青年との出会いを涙ながらお話し下さいました。善いサマリア人になろうとしてネパールに行った。けれども、いつしかこの律法の専門家のように自分の心に満たされない思いが生じた、そうした時に、この青年と出会った、その時、自分はむしろ傷ついた旅人で、青年がサマリア人のような存在だった、と。
「善いサマリア人」のたとえ話に、追いはぎに襲われた人、祭司、レビ人、サマリア人が登場します。私たちは、自分は祭司だろうか、レビ人だろうか、サマリア人だろうか、と考えるのですが、なかなか自分を追いはぎに襲われた人として見ることをしません。追いはぎに襲われた人に自分を位置付けるとサマリア人の、もっというならイエス様の私たちに対するふるまいがどんなに優しいものか見えてきます。
よくお話しすることですが、私が神学校でお世話になった熊沢義宣先生は心臓のご病気でベットから一歩も離れていけないとお医者さんから言われたとき、無力さを覚えたそうですが、しばらくして、イエス様は動けない自分をベットの下で支えておられることを示され、大きな慰めを覚えたとおっしゃっています。
イエス様は、この律法の専門家にもそのことを知って欲しいという願いからこのお話しをされたのではないでしょうか。