イザヤ書30:18~26
ヨハネ福音書1:6~13
櫻井重宣
今日は待降節の第二日曜日です。今年は、待降節・アドヴェントの日曜日にヨハネ福音書に耳を傾けながら、イエス様をお迎えする心の備えをと願っています。
ところでこのヨハネ福音書の冒頭1章1節から18節は、福音書の序文です。福音書の序文ですから、これから記すイエス様はどういう方か、とくにイエス様がこの世界にお生まれなったということはどういうことなのか、そのことを書き記そうとしています。
この序文の冒頭は「初めに言があった」です。先週、ご一緒に心に留めたことですが、「初めに言があった」の「言」は、ギリシャ語で「ロゴス」です。ヨハネは「ロゴス」で、イエス様のことを語ろうとしています。イエス様がロゴス、言だというのは、私たちの言葉は人を傷つけ、苦しめたりすることがありますが、イエス様が愛する、とおっしゃるとき、言葉だけでなくご自分の命を与えてまで愛して下さる方です。「ことばのいのちは愛である」という「ことば」そのものだからです。ですから、今から170年以上前に聖書を日本語に初めて訳したのはギュツラフという宣教師ですが、ギュツラフは、ロゴスは人格的な存在だということで、「かしこいもの」と訳しました。
1節から5節でヨハネが語ったことは、「言の内に命があった」、「命は人間を照らす光であった。」「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」です。「暗闇は光を理解しなかった」というのは、口語訳では「やみはこれに勝たなかった」と訳されていました。すなわち、イエス様と言う方の内に命があった。その命は、人間を照らす光だ、どんなに周りが闇でも、イエス様は一人ひとりに光をあてておられる、大丈夫とおっしゃっている、そういう方だというのです。
そして、今日は6節から13節を心に留めたいと願っているわけですが、先ずもう一度6節から8節を読んでみます。
「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」
このヨハネという人は、19節以下に詳しく記されていますが、洗礼者ヨハネのことです。イエス様の働きの先駆者です。ヨルダン川で悔い改めを迫っていた人です。
ヨハネ福音書と同じ時代を生きたヨセフスという歴史家がいます。彼はユダヤの歴史を書きました。その歴史の中に、イエス・キリストという名は出てきません。クリスマスの出来事を記したルカは、ローマの皇帝アウグストゥスが全領土の住民に登録せよとの勅令を出した、そこで、ヨセフとマリアはナザレからベツレヘムに住民登録のため行った、その旅先で、しかも宿がなく、家畜小屋でイエス様がお生まれになったと記しているわけですが、この「アウグストゥス」はヨセフスの歴史に出てきます。また、バプテスマのヨハネのことも記されています。しかし、ヨセフスの歴史に、イエス・キリストは出てきません。イエス様は歴史家ヨセフスの目に留まりませんでした。イエス様という方は、歴史家には目だたない、印象の薄い存在だったのでしょうか。
歴史家だけではありません。バプテスマ・洗礼者のヨハネ名は広く当時の人々に知られていました。ルカ福音書によると、ヨルダン川で洗礼を授けるヨハネのところに群衆も徴税人も兵士もやってきました。メシアを待ち望んでいた民衆は、もしかしたらヨハネがメシアではないか、と心の中で考えていました。19節以下を読んでもエルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人をヨハネのところに遣わして、ヨハネがメシアかどうか尋ねさせたことが記されています。
旅先の馬小屋でお生まれになり、ゴルゴタの丘で十字架に架けられ死刑になったイエス様を、歴史家は注目しなかったのですが、それから二千年間、数限りない多くの人々がイエスさまによって希望を、生きる力を与えられているのです。
そうしたことを知っている福音書記者ヨハネは、6節から8節で、ヨハネは 神から遣わされた。ヨハネは証しするために来た。何について証しするかというと、光について証しするためだ、ヨハネの使命はイエス様を指差し、そのことによってすべての人がイエス様を信じるようになるためだ、ヨハネはどんなに脚光を浴びても光ではないのだ、ヨハネは光について証しするためだ、というのです。
福音書を記したヨハネは、洗礼者ヨハネが指差した方、まことの光に注目させようとするのです。
そして、9節を見ますと、「その光は、まことの光であって、世に来てすべての人を照らすのである」とあります。イエス様はまことの光だ、世に来てすべての人を照らす、どの人にも光を与えるというのです。すべての人に光を、命を差し出すイエス様なのですが、10節と11節にはこう記されているのです。
「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分のところへ来たが、民は受け入れなかった。」
ギリシャ語の原文を見ますと、10節と11節に「言」、「ロゴス」という語はありません。「彼は」です。「彼は」、「イエス様は」と訳すこともできます。もう一つ、11節の「自分のところへ来たが、民は受け入れなかった」の「民は」と訳されている語は「自分のところのもの」という意味の語です。すなわち、イエス様は自分のところへ来たのに、自分のところのものはイエス様を受け入れなかったというのです。
福音書を書き記したヨハネは、イエス様は、世を「ご自分のもの」とおっしゃり、どの人も大切な一人ひとりだと位置付けているが、しかし、ご自分のところのものはイエス様を受け入れなかった、イエス様はどの人をもご自分のものとおっしゃり、光を差し出し、命を差し出しておられるのに、ご自分の民はイエス様を受け入れようとしない、というのです。
福音書記者のヨハネは、「自分のもの」という語を大切に用います。ヨハネ福音書を読み進みますと、13章でイエス様が十字架の死を前にして、弟子たちの足を洗ったという記事があります。その13章の冒頭を口語訳で見ますと、こう記されています。
「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。」
十字架を前にして最後の晩餐の席上、イエス様が弟子たち一人一人の足を洗う記事をヨハネは記します。そのとき、イエス様は弟子たちを、ご自分のものとおっしゃり、彼らを最後まで、極みまで愛されたというのです。これからイエス様を引き渡そうとする弟子、イエス様を三回も知らないという弟子、どの弟子も自分のものだ、最後まで、極みまで愛する、彼らのいちばんよごれた足を洗うというかたちで、彼らと関わる、十字架の道を歩く、極みまでご自分の者を愛する、引き渡した弟子も、三回も知らないと言ってしまった弟子も、イエス様は自分のもの、自分の大切な家族だ、そのことを、足を洗うというかたちでその人と接点を持つ、十字架にかかるというのはそのことだ、というのです。
わたしが親しくしていた秋田の眼科の医者は、お母さんたちは自分の子どもに、「お母さんはどんなことがあってもあなたの味方だよ」ということを繰り返し言って欲しいということを訴えています。イエス様はどんなことがあっても私たちを裏切らない、どんなときにも私たちの味方だ、それが聖書の語ることです。
12節13節にこう記されています。
「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」
イエス様が自分のところにおいでになったのに、イエス様を受け入れようとしない、そういう中で、少数であったが、イエス様を受け入れる人たちが出てきた。その人々は血筋とか肉の欲によってではなく、神によって生まれたというのです。イエス様を受け入れるのは、人間の力ではない、というのです。
実は、ヨハネ福音書を読み進みますと、8章12節でイエス様がこうおっしゃっています。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
すべての人に光を照らすのだが、光を見ようとしない人が多い。しかし、わたしに従うものは、イエス様が自分の歩む道に光を与えている、そのことがわかるはずだというのです。
私が広島教会に赴任したとき、教区の議長をしていたのは八十川昌代牧師でした。就任式の司式をして下さいました。良き交わりを与えられていたのですが、八十川牧師はまもなく病気になり、10年前の1月に亡くなりました。65歳でした。病床にもよく見舞い、祈り合った牧師でした。
発病し入退院を繰り返し、つらい治療を受けていた年の八十川牧師のクリスマス礼拝の説教の聖書の箇所は、ヨハネ福音書1章1~5節と8章12節でした。発病して自分にとって鍵となる言葉となった、キーワードになったのは、「命と光」、イエス様を信じ、従いゆくものは命の光を持つということであった、病気をかかえて生きていくものに、イエス様は命を、光を与えておられる、こういうものでもイエス様の光を、命を証しするものとされている、それは恵みだとおっしゃいました。
そして翌年のイースターの説教では、イエス様がよみがえられたので、 わたしたちに命が与えられた、どんなときにも彼方からの光を受けて絶望せずに生きることができる、と語りました。
そして亡くなる半年前、キリスト教主義の広島女学院大学の「キリスト教の時間」で、『いのち輝く』という題で講演しました。ご自分の病気の治療経過をていねいに話されました。どういう手術、どういう治療を受け、どういう薬を飲んでいるかを語った後、自分が前向きに歩んできたのは、イエス様が「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」とおっしゃっておられるからだ、そのイエス様は、病気、悲しい事、つらいことに直面するわたしたちに生きる力を与えてくださる、彼方から光を与えてくださる、若い方々、是非、こうした光を、命を与えてくださるイエス様を知ってほしい、と切々と語られたのです。
八十川牧師が死を前にして切々と語る姿は洗礼者ヨハネの姿と重なります。
時々、ご紹介しますが、今から500年も前、グリューネヴァルトが描いた「キリストの磔刑」は、イーゼンハイムの礼拝堂にあります。教会の暦で場面を変えていく中の一つが「キリストの磔刑」です。その絵の中央には、十字架上で息をひきとったばかりのイエス様、絵の左にはマグダラのマリアとイエス様の母マリア、そして母マリアを支えるイエス様の愛する弟子、絵の右には洗礼者ヨハネが描かれます。ヨハネの右手の人差指はことのほか大きく描かれ、十字架の上で息を引き取ったイエス様を指差しています。ヨハネはイエス様によって灯された光はまことに小さい光だが、その光を生涯かけて証しした自分の生涯間違いでなかったと告白しているのです。
洗礼者ヨハネも八十川昌代牧師もイエス様を指差しました。そのヨハネも八十川牧師もイエス様に従うことによって光を、命を与えられているのです。
イエス様はすべての人に光を、命を差し出しておられることを、クリスマスを前にして心に深く刻みたいと願うものです。