アモス書3:1~2
使徒言行録22:1~30
櫻井重宣
使徒言行録には、イエス様を迫害していたパウロが、どういう経緯でイエス様を信じ、イエス様のことを宣べ伝える伝道者となったのか、というパウロの回心が三度記されています。それをていねいに読んで参りますと、パウロが自分の回心の出来事を通して、イエス様がどういう方かを知ることができたこと、また、自分にどういう使命が与えられたかを語っていることが分かります。
今日学ぶ22章は、パウロが自らの回心を語っている二度目の箇所です。
先回学んだ使徒言行録21章の後半に、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、群衆を扇動して捕え、この男はユダヤ人と律法と神殿を汚してしまったと叫んだところ、都全体が大騒ぎとなり、パウロは群衆から殴られたこと、騒ぎを鎮めるために千人隊長が兵士と百人隊長を引き連れて駆け付け、パウロは千人隊長によって二本の鎖で縛られてしまったこと、群衆の暴行を避けるために兵士たちがパウロを担いで兵営の中に連れて行こうとされたこと、パウロが千人隊長にギリシャ語で「ひと言お話ししてよいでしょうか」と言って許可されたパウロが、階段の上に立って、民衆を手で制し、すっかり静まったときヘブライ語で話し始めたことが記されていました。ヘブライ語とありますのは、当時のパレスティナに住むユダヤ人の日常の通用語であったアラム語です。
今日の22章はこのときのパウロの弁明です。冒頭の1節と2節をもう一度読んでみましょう。
≪「兄弟であり、父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。≫
塚本虎二先生は、このところを「兄弟の方々、お父さん方、聞いてください」と訳しています。弁明を聴こうとしている人たちに対するパウロの敬愛の思いが溢れた翻訳です。ここは本当にそうだと思います。決してへつらいの思いからではありません。
パウロはローマの教会に宛てた手紙で同胞のイスラエルの民のことで、「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」と語っています。
そういう思いから、パウロは、「兄弟の方々、お父さん方、聞いてください」と語りかけたので、人々はますます静かになりました。
静かになった人々に、パウロは最初に自分がどういうものかを語ります。3節から5節です。
≪「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙をもらい、その地方にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」≫
イエス・キリストに出会う前のパウロの歩みです。れっきとしたユダヤ人である、ガマリエルの門下生で律法について厳しい教育を受けた、イエス・キリストを信じる人々を迫害し、男女を問わず縛り上げ、獄に投じ、殺すことさえした人間である、ダマスコにいる主イエスを信じる人々を縛り上げてエルサレムに連行し、処罰するため出かけたというのです。
そして、6節以下でパウロは自分の回心の出来事を語ります。すでにパウロの回心は9章に記されていたので2度目です。26章にも記されていますので、使徒言行録にはパウロの回心の記事が3度記されています。
6節から11節をお読みします。
≪「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強いがわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。≫
サウルというのはパウロのへブル名です。パウロの回心の記事は何度読んでも心打たれます。とくに今朝は二つのことを心に留めたいと思います。
ひとつはダマスコに近づいたとき、天からの強い光がパウロの周りを照らしたということです。キリスト者を迫害していたパウロを天からの光が包み込んだというのです。
パウロは後にガラテヤの教会に宛てた手紙でこう語っています。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出して下さった神」と。パウロは、ダマスコ途上でイエス様にお会いしたので、このときから神様を知った、と言ってもよいと思うのですが、迫害しているパウロも天からの光に包み込まれていることを知らされたということを重く受けとめたパウロは、自分は母の胎内にあるときから神様の恵みに包まれていたことを知ったというのです。
最近、御病気になられたご高齢の方をお訪ねしているのですが、あまりにも御病気がつらいからでしょうか、繰り返し、自分はどんな間違いをしたのか、どうしてこんなに苦しい目に遭わなければならないのかと訴えられます。パウロはこうした回心の時の出来事を通して、生まれる前から、そして生まれて今日までの歩みにおいて健やかなときだけでなく、病気のときも、逆境のときも神様の光に包まれていることを知ることができたのです。
もう一つは、パウロがそのとき天から聞いたのは「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声であった、ということです。パウロが迫害していたのはキリスト者でした。しかし、天からのイエス様の声は「なぜ、わたしを迫害するのか」でした。パウロが、このとき知らされたことは、イエス様という方は、一人の人が苦しむと、御自分も苦しむ、一人の人が痛むと御自分も痛む、そういう方であると、いうことでした。
後に、コリントの教会に宛てた手紙で、パウロは、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」、「だれかが弱っているなら、わたしも弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」、と書き記していますが、この回心の時のことが根底にあるのです。
回心の記事はまだ続きます。12節から16節を読みます。
≪ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。『わたしたち先祖の神が、あなたをお選びになった。それは御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』≫
15節で、「あなたは見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです」とあります。すべての人に対してです。ユダヤ人、異邦人の枠を越えて、その方の証人、イエス・キリストの証人としてパウロは復活の主イエスによって立てられたのです。
ブルームハルトという牧師はイエス様がよみがえられたということはどの人にも、どんな時にも、どんなところでも望みを持つことができるということだ、と語っています。パウロがすべての人に対してイエス・キリストの証人となるということは、どの人にも望みを持ち続けていい、そういう証人となるためだったのです。
17節以下にパウロが異邦人伝道への使命を与えられたことが記されます。
≪「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々は受け入れないからである。』わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていることを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』すると、主は言われました。『行け、わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」≫
パウロのこの弁明を読むと深い思いにさせられます。イエス様を信じる人を迫害した、ステファノの血が流されることにも賛成した、どうしてもエルサレムで受け入れられない、だから伝道者として立つことができないというのではなく、イエス様ははそれがゆえに異邦人伝道に遣わすというのです。
けれども、ここまでパウロの弁明を聞いていた人々が声を張り上げ「こんな男は地上から除いてしまえ。生かしておいてはならない」とわめきたてて、上着を投げつけるほどだったので、千人隊長はどうしてこれほどパウロに対してわめきたてるのかを知るために、鞭で打ち叩いて調べようとしたとき、パウロが、「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか」と言ったのでみんな手を引いたというのです。
そして次の日、最高法院で鎖をはずして取り調べることにしたのです。
わたしはこの箇所のパウロの姿を思い浮かべていて、一人の牧師の説教を思い起こしました。小塩力牧師の説教です。1940年、共助会のクリスマス礼拝における説教です。共助会というのは1919年に森明牧師を中心に大学生たちが信仰と友情を結ぼうとして発足した会です。その共助会のクリスマスの説教で小塩先生はこういうことをおっしゃっています。
「福音を恥じないということは福音のために共に苦しむということだ。福音を証しするとき、苦しみは避けられない。福音の課題に忠ではないためにかすり傷ひとつ受けていないということは、なんと恥ずかしいことであるか。我々は小怜悧にすぎて、友のために友と共に傷を受けることがなさすぎる。あざむかれること、損をすることをおそれすぎて、共歓共苦の味ひとつ知らぬ。そして我々の教会は、福音をすておいて、いささかの傷をも負うまいとしたではあるまいか。」
1940年は昭和15年です。私たちの国が戦争へまっしぐらに突き進んでいた時代です。そうした時代に、教会はかすり傷一つ受けていないことは恥ずかしいというのです。小塩先生もパウロと同じように同胞への愛があります。愛する故に、真実を語ろうとします。真実を語るとき、傷を受けることが避けられない。しかし、教会がかすり傷一つ受けていないということは、教会が真実を語っていないからではないか、と問うのです。
イエス様は一人の人が苦しむとき、御自分も苦しまれます。イエス様に従おうとするわたしたちも、イエス様を主と告白する教会もそうなのです。だれかが苦しむとき、教会に連なるわたしたちも苦しみます。イエス様の十字架の死と復活によって、根本的には神様とわたしたちの間に平安があるわけですが、イエス様がもう一度おいでになるそのときまで、この世界に苦しみ、悲しみ、痛みがある限り、教会は、そしてイエス様に従おうとするわたしたちには苦しみ、悲しみ、痛みがあり続けるのです。
パウロのエルサレムにおける弁明を通して教えられるのはそのことです。