エレミヤ書1章4~8
使徒言行録13章1~12
櫻井重宣
わたしたちは、8月の5回の日曜日、ご一緒に「哀歌」に耳を傾けながら、地に平和をと祈り続けました。今日は9月の最初の日曜日です。使徒言行録の学びを再開します。 もう一度13章の1節をお読みします。 ≪アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。≫
アンティオキアはエルサレムの北、600キロ位離れたところにある町で、当時人口が40~50万人というとても大きな町でした。その町に教会ができたいきさつが11章に記されていました。
どういうことかと申しますと、初代の教会で最初に殉教したのはステファノですが、そのステファノのことで教会への激しい迫害が起こり、教会に連なっていた人はエルサレムから散らされてしまいました。けれども、散らされた人たちは散らされた先々で伝道し、そこに教会が形作られていったのです。そして600キロも離れたアンティオキアでも教会が形作られたのです。初代教会は迫害をバネのようにして進展していったのです。
そのアンティオキア教会では最初はユダヤ人だけでしたが、次第にユダヤ人でない人も教会に加わるようになりました。キプロス島やキレネから来た人々が、ギリシャ語を話す人々に伝道し、ユダヤ人でない人々が教会に数多く連なるようになったのです。このことがエルサレム教会に伝わり、エルサレム教会は、キプロス島出身のバルナバを派遣しました。バルナバは行ってみますと、アンティオキア教会に神様の恵みが満ち溢れている様子を知り、さらに多くの人々を教会へと招くために、タルソスに戻っていたサウロを連れて来て、二人でアンティオキア教会のために丸一年尽力しました。バルナバの影響があったものと思われますが、アンティオキア教会はとくに苦しんでいる人々のために祈る教会で、飢饉がおこったときなど率先して応援する教会となったのです。
今、お読みした13章1節には、アンティオキア教会の中心的なメンバーが紹介されています。先ず、バルナバです。バルナバという人は初代の教会で本当に大切な役割を担った人です。バルナバという名前は「慰めの子」という意味です。教会を迫害していたサウロがダマスコ途上でイエス様にお会いし、イエス様を信じる人になったのですが、教会の人々はサウロをなかなか教会の輪の中に迎えることができませんでした。そうしたサウロを教会の輪に入れるために尽力したのがバルナバでした。また、今日の個所にも記されますが、バルナバとサウロが伝道旅行に行ったときヨハネが助手として参加しました。けれどもヨハネは伝道の厳しさについていくことができず、途中で戻ってしまいました。次の伝道旅行のとき、このヨハネを連れていくかどうかで、バルナバとサウロの間に激論がありました。バルナバは何とか立ち上がらせようとして、もう一度伝道旅行に連れていき、ヨハネは立ちあがることができました。だれをもあきらめない、大丈夫だと言い続けたのがバルナバという人です。
次にニゲルと呼ばれるシメオンです。ニゲルは二グロ、黒人です。アフリカ出身の黒人のシメオンです。シメオンはシモンです。黒人のシモンです。イエス様が十字架刑を宣告された後、本当は十字架を担いでゴルゴタの丘まで担いでいかなければならなかったのですが、イエス様が何度も倒れたので、ローマの兵隊に引きずり出され代わりに担がされたのはキレネ人シモンでした。マルコ福音書を読みますと、シモンの息子たちの名前が記されていますので、シモンは十字架を担がされた後、イエス様のことを知るにつれ、イエス様が十字架に架けられたのは自分のためであったことを覚え教会に加わり、家族も加わったのです。ですから、ここに記されているニゲルと呼ばれるシメオンはあの十字架を無理に担がされたシモンかもしれません。次のキレネ人のルキオはおそらくこのシモンの影響で教会に加わったものと思われます。四番目に名が記されているのは、領主ヘロデと幼い日に一緒に育ったマナエンです。バプテスマのヨハネを打ち首にしたヘロデです。そのヘロデと一緒に育ったマナエンも教会の一員であったのです。そしてサウロです。
2節と3節をお読みします。≪彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。≫
アンティオキア教会において、礼拝し、断食していると、聖霊がバルナバとサウロを伝道に派遣せよと命じ、それを聞いた教会は断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させたのです。アンティオキア教会では断食を大切にしていたことがわかります。
断食ということで、思い起こす出来事があります。イエス様のところに生まれつきてんかんで苦しむ子どもが父親によって連れてこられました。あいにくイエス様は留守でした。弟子たちはなんとかなおしてあげたいと力を尽くしましたが、できませんでした。そうこうするうちにイエス様が戻ってこられ、悪霊とすさまじいまでの戦いをし、悪霊を追い出し、その子を癒されました。弟子たちはそのあとひそかにやってきて「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのですか」と質問しました。イエス様は、祈りと断食によらなければ追い出すことはできないと答えられました。一人の苦しむ人がいたとき、食を断って、祈る、すなわち寝食を忘れて祈る、そうしたことを抜きにして癒しを差し出せない、テクニック、小手先ではない、とおっしゃったことです。
アンティオキア教会は、あのときイエス様がおっしゃった「祈りと断食」ということを大切に受けとめた教会です。
アンティオキア教会は苦しむ人の苦しみに敏感な教会でした。どこかで飢饉だというとすぐ応援しました。それは、アンティオキア教会が礼拝のとき真剣な思いで礼拝し、断食していたからです。そうした中で海外への伝道の幻が示されたのです。そして、バルナバとサウロを伝道に派遣する時も断食し、祈って派遣したのです。二人がこれから出会う一人一人に心を込めて祈りと断食しつつ関わるよう、派遣する側も祈りと断食をもって遣わしたのです。
伝道は個人プレーではありません。バルナバとサウロは大きな働きをしたことは事実でが、背後でアンティオキア教会がこれほどの思いで祈っていたからなしえたのです。
こうしたアンティオキア教会の祈りによって派遣されたからでしょうか、パウロはコリントの教会に宛てた手紙でこう語っています。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして、何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」
どの人に対しても、なんとかその人がイエス様を知ることができるよう、祈りと断食をもって関わろうとするパウロの伝道姿勢はアンティオキア教会の姿勢なのです。そして、伝道は一人一人の重荷に祈りと断食をもって関わることなのです。私たちもこうしたアンティオキア教会にならわなければなりません。伝道は愚直なまでに、一人の魂に関わることです。祈りと断食をもって関わることなのです。
よくパウロは三度伝道旅行をしたと私たちは言うのですが、アンティオキア教会の伝道といった方が適切です。4節と5節をお読みします。
≪聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。≫
聖書の後ろに地図があります。あとでごらん頂きたいのですが、「7・パウロの宣教旅行1」です。アンティオキアからセレウキアまでは陸路30キロ、そこから船出してキプロス島のサラミスに行きました。ここは船で行ったのです。200キロ位です。サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせました。やはり最初はユダヤ人に伝道したのです。そしてヨハネを助手として連れていったのです。ヨハネはバルナバの従兄です。けれどもこのヨハネは13章13節を見ますと、つらかったのでしょうか、途中で帰ってしまいました。
そして6節にこうあります。≪島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。≫
サラミスというのは島の東、パフォスは島の西です。バルイエスというのは「イエスの子」という名です。
7節以下を読みます。≪この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。魔術師エリマ―彼の名は魔術師という意味である―は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。≫
祈りと断食によって派遣されたバルナバとサウロは魔術師、偽預言者と対決するのです。魔術師、偽預言者というのは小手先で勝負しようとする人です。その人の苦しみ、重荷を担おうとしません。バルナバとサウロは、イエス様が生まれつきてんかんという苦しみを負う子のために夜を徹して、そして食を断って祈ったように全力で関わろうとします。小手先で関わろうとする魔術師とは相容れないのです。
今年、教会の社会委員会では隅谷三喜男先生の著書『主イエス共に歩みたもう』を読んでいます。隅谷先生は経済学者ですが、日本キリスト教海外医療協力会の会長を長年しておられた方です。実は、今日礼拝後に学ぶところにもあるのですが、隅谷先生は旧制中学、の5年、今でいえば高校2年の時、戦時中でしたが英語で校友会の雑誌にこういう文をのせたというのです。
「私はカルバリの丘を十字架を背負ってよろめきながら歩むイエスの悩める姿を見た。その日の光景を見ようと心急いでいたシモンは、イエスの十字架を背負ってやれと兵士に命じられた。キリストは十字架の一部を負えと、私たちを召していたもう。」
隅谷先生は自分はその後の人生で、どれだけ十字架を背負ったか怪しいが、アジアの地に派遣したワーカーの人たちは貧しく、飢え、病んでいる地で、苦しみや飢えをそして病を通り過ぎず、彼らの中に入っていき、キリストの十字架の一端を担った、シモンのように背負わされたのかもしれない、このシモンの出来事は、彼が十字架を負ってよろめくイエス様にたまたま出会ったがゆえに起きたことである、だがそれは初代教会の人々の生きざまに大きなショックと影響を与えたのであろう、とおっしゃっています。
アンティオキア教会は本当に魅力ある教会です。バルナバもパウロもいます。それとともに十字架を担がされたシモンの存在も大きい教会なのです。
預言者エレミヤは若き日に伝道者として召された人ですが、ある言い方をすれば40年にわたって十字架を負い続けた預言者です。十字架を負うことは重荷を負う人への優しさとなります。
伝道に派遣した人たちを断食と祈りをもって支えたアンティオキア教会、シモンに励まされ十字架を負うことを大切にしようとしたアンティオキア教会、この教会に私たちの教会も倣いたいと願っています。