ゼカリヤ書14章1~9節
ルカによる福音書24章13~34節
櫻井重宣
ただ今司会者にお読み頂いたルカによる福音書24章13節~35節はイエス様がよみがえられた日の夕方の出来事です。
イエス様の二人の弟子がエルサレムから60スタディオン西の方に離れたエマオという村へ向かって歩いていました。1スタディオンというのは185メートルですからおおよそ11キロです。東海道線で行きますと、茅ヶ崎から大船あたりでしょうか。この二人は何か一生懸命話し合いながらエマオへの道を急いでいました。14節を見ますと、二人が話し合っていたのは「この一切の出来事について」です。「この一切の出来事」というのはイエス様のことです。
イエス様が一週間前の日曜日に子ろばに乗ってエルサレムに入城されたこと、月曜日から水曜日までエルサレムの神殿の境内で祭司長たちや長老そして律法学者たちと論じ合 っていたこと、木曜日には最後の晩餐をされ、その後ゲッセマネで祈られ、祈り終わったときに逮捕され、裁判にかけられ十字架刑を宣告されたこと、金曜日の朝9時に十字架に架けられ、午後3時に息を引き取ったこと、そしてアリマタヤのヨセフによって葬られたこと,そうしたことと思われます。
17節を見ますと彼らは「暗い顔」をしていたと記されています。おそらくイエス様が捕らえられた時、お助けできないどころか逃げ出してしまったこと、イエス様が十字架に架けられたので今度は自分たちが捕まるのではないかという不安と恐怖、そのためエルサレムからエマオへと逃げるように急いでいたので彼らの顔は暗くて当然です。
二人が夢中になって話し合いながらエマオへと急いでいたとき、途中からイエス様御自身が、すなわちよみがえられたイエス様が近づいて来て、一緒に歩き始められました。けれども、二人の目は遮られていて、イエス様だとは分かりませんでした。イエス様はこの二人に向かって「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われると、二人は暗い顔をして立ち止まりました。二人の弟子のうち一人はクレオパという名前でしたが、そのクレオパが「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことをあなただけがご存じなかったのですか」と答えますと、イエス様は「どんなことですか」とおっしゃいました。そうしますと、クレオパともう一人の弟子が声をそろえるようにして語ったのが19節から24節です。 「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ,『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
二人の弟子の失意の思いが痛いほど伝わってきます。これはクレオパともう一人の弟子だけの思いではありません。イエス様の12人の弟子たちの共通の思いでもありました。あの方に、イエス様に望みをかけていたのに、イエス様は十字架に架けられ殺されてしまった、これからどのように生きていったらよいかわからない、イエス様の身近にいた人たちはみんなそういう思いでした。
牧師としてとても辛いことは、イエス様に出会い、教会生活に一生懸命に励んでいた人が教会の人間関係や、牧師の言動で躓いてしまう方がおられることです。そしてその方々が教会生活に励んでこられたその年月をマイナスにしてしまう、すなわち、あの年月は何だったのかとうめくようにおっしゃいますとどうしようもなく辛い思いになります。もちろん、そうした要因を私自身が作ったことが分かったとき本当にいたたまれなくなります。ここでのクレオパたちはまさにそういう状態です。
この二人が話すのを聞いておられたイエス様はこうおっしゃいました。 「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されたのです。
すなわちイエス様は、イスラエルの人々が長い間待ち望んでいたメシアは苦しみを受けて栄光に入る、そのことを聖書は繰り返し語ってきたのではなかったとおっしゃり、モーセのこと、預言者のこと、聖書全体にわたってお話されました。
モーセはイスラエルの民を率いてエジプトを脱出し、40年の間約束の地、カナンを目指して荒れ野を旅した、苦難に満ちた旅だった、人々はモーセに向って、パンがない。水がない、肉がない、目に見え、手で触れる神様が欲しいと言い続けた、そうした人々を執り成し、励ましながら荒れ野の旅を続けたが、ようやくゴールを目の当たりにしたとき、モーセは約束の地を望み見たが、そこに一歩も足を踏み入れることなく死んでいった、そのことをイエス様はお話されたのです。
さらに預言者のこともお話されました。イザヤ書40章から55章を書き表した第二イザヤと言われる預言者のことをお話されたものと思われます。第二イザヤが預言したことはこういうことでした。来たらんとするメシアは傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく神様の御旨を示し続ける方だ、最後的にはメシアが苦難の道を歩むことを通して、私たちにいやしを、赦しを与えてくださる方だと。
同行したイエス様のお話を聞いているなかで、いつしかこの二人から暗い悲しみに満ちた表情が消え、二人の心が燃えてきました。すなわち、苦難の道を歩まれ、十字架の死を遂げられたイエス様にあらためて心を動かされ、限りない慰めを見出すようになってきたのです。
二人の弟子とイエス様は目指す村エマオへ近づきました。イエス様はなおも先に行こうとされるご様子でしたが、二人が「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエス様は一緒に泊まるために家に入られました。先程、説教の前に、ご一緒に讃美歌39番を歌いました。夕べの礼拝の讃美歌ですので朝の礼拝で歌うことは少ないのですが、あの讃美歌で「主よ、ともに宿りませ」というのは、ここの29節の「一緒にお泊まりください」という言葉です。
二人の弟子は自分たちの心が燃えるような思いから、そしてもっとこの方のお話を聞きたい、そうした願いからイエス様を無理に引き止めたのです。二人はまだこの時も、その方がイエス様だと分らなかったのです。
イエス様と二人の弟子が一緒に食事の席についたとき、イエス様はパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンをお渡しになりました。その仕草を見ていたとき、二人の目が開け、イエス様だと分かりました。イエス様は人々が交わることを拒んでいた罪人や徴税人たちと楽しそうに食事をされていました。あるいは三日前の最後の晩餐のことも12弟子から聞いたのでしょうか、パンを裂く様子でイエス様だと分かったのです。けれどもそれと時を同じくするようにしてイエス様の姿は見えなくなりました。けれども、二人は「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合ったのです。
そして、この箇所を読んでいてわたしたちが深い思いにさせられるのは、自分たちに同行していた方がイエス様だと分かったとき、二人は時を移さずにエマオを出発してエルサレムに戻ったということです。逃げるようにして後にしたエルサレムに、夜になってからまっくらな道を二人はエルサレムに向かって歩き出したのです。エルサレムからエマオまでおよそ11キロですので、歩くと約3時間です。そうしますと、エルサレムをかりに4時に出たとしてエマオに着いたのは7時頃です。イエス様と一緒に食卓につき、今度は夜8時か9時にエマオを出発しまっくらな道をエルサレムに向かって歩き出し、着いたのは真夜中でした。
エルサレムに戻ってみますと、11人とその仲間が集まっていて、本当にイエス様は復活してシモンに現れたと言っていました。そこで、二人もエルサレムからエマオへの道中に起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエス様だとわかった次第を話したというのです。
イースターの一日は早朝婦人たちがお墓に急ぐことから始まり、深夜にエルサレムで弟子たちがこうした集いを持つ、長い一日です。
ところで、マルコ福音書では、よみがえられたイエス様が弟子たちにガリラヤで会おうとおっしゃっています。弟子たちがイエス様に最初に会ったのがガリラヤです。原点に立ち返るのです。イエス様に初めてお会いしたそのときの思いからもう一度再出発しようとおっしゃるのです。
それに対してルカは十字架の死を遂げたエルサレムにこだわります。困難な場、苦しみの場です。ルカと親しい交わりをもったパウロはローマの教会に宛てた手紙の中で「患難をも喜んでいる。なぜなら患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを知っているからである。そして、希望は失望におわることはない」と語っています。よみがえられたイエス様にお会いした人はなおも望みを持って困難な場に踏みとどまるのです。
私がイースターを迎えるたびに思い起こす言葉があります。今から109年前のイースター礼拝でクリストフ・ブルームハルトという牧師が語った言葉です。こういう言葉です。
「もし、私が一人の人間を放棄せざるをえないならば、もし私がある領域もしくは地上について希望を放棄せざるをえないならば、イエスは私のために甦らなかったのだ。もし、私がどこかで希望を放棄せざるをえないことがあるならば、あなたは世の光でありたまわないのだ。」
イエス様が甦られたので、だれに対しても、どんなところでも、どんなときにも希望を持つことができるというのです。ブルームハルト牧師のこの言葉の背後には、クレオパともう一人の弟子がよみがえられたイエス様にお会いし、すぐにエルサレムに戻ったということがあるのではないかと思います。
実は、先ほど歌った讃美歌39番はヘンリー・フランシス・ライトという牧師が作った讃美歌です。ライト牧師は幼い時に父次いで母を亡くすという悲しみを体験した人です。牧師になってまもなく、まだ二十代のライトが同じ年代の牧師が危篤になり見舞いに行くのです。二人とも牧師なのですが、この現実をどう受け止めたらよいか分からず途方に暮れるのです。ライト牧師は必死に祈ることを通して神様が友を天国に導いて下さり、祝福を与えてくださることを示され、友人も神様の招きを信じ召されていきました。ライト牧師が三十代のとき、高齢の教会員が危篤という知らせを受けて駆け付けとき、その方は牧師の顔を見たとき「一緒にお泊まりください」「ともに宿りませ」と言って息を引き取ったというのです。ライト牧師は54歳のとき病気のため亡くなったのですが。自分の病が重く、この地上での生涯が限られていることがわかった時、「一緒にお泊まりください」と言って召された方を思い起こし、この讃美歌を作ったのです。ライト牧師が死を前にした老人から聞いた「一緒にお泊まりください」はabide with meです。アバイドabideは泊まる、滞在する、住むという意味があります。ライト牧師は、住む、いつも住むという意味合いで、アバイドを用います。讃美歌39番には省略されていますが、ライト牧師が作った原文の3節はこういう詩です。
「私が求めるのは、主よ、私を一瞥し、ひと言かけて去られるのではなく、み弟子たちと一緒に住まわれたように、親しく、身を低くし、忍耐をもって自由に交わってくださることです。一時的滞在ではなく、一緒に住んで(アバイド)くださることです」
繰り返しになりますが、私たちは大きな苦しみに直面しますと、試練のただなかで、途方に暮れます。クレオパのように暗い顔になってしまいます。けれども、よみがえられたイエス様はどんなときにも私たちに同行しておられます。一緒に歩いてくださいます。よみがえられたイエス様が一緒に泊まってくださいます。一緒に住んでくださいます。ですから、下を向いていたのに心が燃え上を向くことができます。
私たちは年をとり、人生の夕暮れを迎えますと不安になります。そして死を前にしたとき不安を覚えます。けれどもよみがえられたイエス様はどんなときにも一緒です。ともに宿ってくださいます。死の陰の谷を行くときも私たちをひとりぼっちにしません。私たちの手をひいて御国へと導いてくださるのです。
どんなときに、どんなところでも私たちに同行しておられる復活の主に「主よともに宿りませ」と祈りつつ歩んでいきましょう。