牧師室の窓から 2024年4月

牧師 田村 博

「牧師室の窓から」                  牧師 田村 博

☆ 新年度が始まり、コロナ禍対応が頭のどこかに常にあったような昨年までとは少々異なる雰囲気が巷に流れているようです。教会員や関係者の入所、入院されている施設でも面会に関する規制が緩和されつつあることは喜ばしいことです。茅ヶ崎教会でも換気や乾燥防止に心がけつつ主日礼拝をささげ続けてゆきたいと思います。お一人ひとりに、主の豊かなお励ましとお支えがありますように。

☆ この5月より当分の間、聖研祈祷会②を休会とすることになりました。元々、日中お仕事をされている方を主な対象者として夜間の時間帯に持たれていましたが、教職のみならず教会員による聖書研究の分かち合いの場としても長年継続されてきました。しかし、担当される方々が夜間に出席することが難しくなって来たという事情があり、2023年1月からは、開始時間を午後3時に変更していました。ところが、担当される方々の健康上の理由ゆえ継続が難しくなってしまいました。それゆえ、やむをえず休会とする決断をした次第です。折しも、日本キリスト教団出版局発行の『信徒の友』6月号の特集は「みんなでセイケン」でした。サブタイトルには「だれかと一緒に聖書を読むのとひとりで聖書を読むことはいったいなにが違うのだろう」と付け加えられています。その中で古谷正仁先生(蒔田教会牧師)は、「聖研の中心を信徒に」との見出しのもと、次のように記しています。

  “以前、聖書研究会や祈祷会の源流は、17世紀の牧師でドイツ敬虔派のリーダーであるシュペーナーの実践にあると学んだことがあります。この時代には、16世紀に始まった宗教改革も、ルター主義やカルヴァン主義という形での形骸化が進み、先達の聖書解釈や説教から学ぶという、受け身の姿勢が中心でした。それに対して起こされた信仰運動が「ドイツ敬虔派」です。この人々は、「コレギア・ピエターティス」(敬虔な者の集い)という集会を開催し、祈りと聖書の学びを中心に、信徒が積極的に学び祈ることを提唱し、これが聖研や祈祷会の源流になったというのです。”

  茅ヶ崎教会にとって、そして茅ヶ崎教会に主によって招かれている一人ひとりにとって、聖研祈祷会がどのような意味を持っているか、あらためて考えるべき「時」を、今、迎えています。

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