✩新型コロナウイルスによる肺炎が中国で猛威を振るっていますが、国内でも感染者が増え続け、不安な日々です。こうした日々だからでしょうか、アブラハムの祈りに思いを深めさせられます。神さまがソドムの町を滅ぼされるのではないかということに不安を覚えたアブラハムは、創世記18章で、神さまの前に立ち、祈ります。祈るというより神さまと談判をします。「まことにあなたは正しい者と悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が50人いるとしても、それでも滅ぼすのですか」と。そうしますと、神さまは「その者たちのために、町全部を赦そう」とおっしゃいました。しかし、アブラハムは50人の正しい人を見いだすことに自信がなかったからでしょうか、「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。45人なら」と言いますと、神さまは「45人いれば滅ぼさない」とおっしゃいました。アブラハムはなお重ねて、40人なら、30人なら、20人ならと値切っていくのですが、そのたびに、滅ぼさない。とおっしゃいました。アブラハムは、もう一度だけと言って「10人なら」と言いますと、「その10人のため滅ぼさない」と神さまはおっしゃったのです。塵あくたに過ぎないアブラハムにソドムの運命がかかっているのです。
ところで、22節は「アブラハムはなお、主の御前にいた」ですが、ヘブライ語の原文は「神がアブラハムの前に立っていた」です。アブラハムが神さまの前に立って執り成すことに先立って、神さまがアブラハムの前に立ち、アブラハムの祈りを待っておられるのです。今の時代もそうです。神さまがわたしたちの前に立っておられ、小さなわたしたちの祈りを待っておられます。
✩一足先に隠退した同労の友が、わたしが今年の年賀状に記した聖句に共感を覚えたというお便りを頂きました。年賀状に記した聖句は、申命記3:27です。
「ピスガの頂に登り、西に、北に、南に、東に目を向けなさい。あなたは、ヨルダン川を渡ることができない以上、自分の目に焼き付けておきなさい。」
40年に及ぶイスラエルの民の荒れ野の旅を導いてきたモーセが約束の地を望み見るのですが、入ることはできないことに厳粛な思いにさせられます。
年賀状の最後にこう記しました。「今後は、この世界に平和が実現する日を望み見、教会が主の御委託に誠実に応える働きをなすことができるよう祈り続けたいと願っています」、と。
残された日々、約束の地を目に焼き付けつつ奉仕させて頂きます。