牧師室の窓から 2019年5月

★先日、本村範夫さんの埋葬式に参列された仙台長町教会の役員をしておられる志賀野久枝姉(木下卓兄三女)が茅ヶ崎教会のみなさんには8年前東日本大震災発生以来、東北教区の被災教会のため祈り、支援金を送って下さり本当にありがとうございました、うれしいことに原発事故以来礼拝ができなかった小高伝道所で礼拝を再開できました、教会の皆さんによろしく、とのことでした。そして東北教区の機関誌「宣教東北」をお持ちになりましたので、一部を紹介します。

 「1月27日(日)午後3時から原発事故以来8年間途絶えていた小高伝道所の主日礼拝が再開された。当日、小高伝道所が属している地区内の教会の牧師・信徒が20名出席した。出席した方々がそれぞれ祈りながらこの時を待っていた。

小高町に還ってきた大人は3123人、中学生59人、小学生68人、幼稚園児15人。今年1月から月に1度、地区内の教会の励ましを受けて礼拝を守ることができるようになったが、8年振りの礼拝であった。その日、ルカによる福音書22章31節~34節に基づき、『立ち直ったら』と題して説教がされた。礼拝を再開した小高伝道所は立ち直るには時間がかかる。日本にある原発がすべて廃炉になることを小高伝道所に関わってきたものは願っている。核といのちは共存できません。」

 月に一度の主日礼拝を地区内の教会の方々の応援で再開できた小高伝道所のため、そして未だ礼拝を再開出来ない浪江伝道所のため祈り続けましょう。

★5月5日は「こどもの日」でした。『子どもの権利条約』の基を作ったユダヤ人の小児科医であったコルチャック先生は、戦争で両親を亡くした子どもたちのためワルシャワにホームを作りました。けれどもナチスの命令で子どもたちがガス室に送られることになりました。以下の文はその光景を見た人の文です。

 「とても暑い日だった。コルチャック先生は子どもたち一人一人にこざっぱりした洋服を着せ、背中にはリュックサックを負わせ、肩にはピクニックに行くように水筒を持たせています。コルチャック先生はホームで一番小さい子を抱っこし、次に小さい子の手を引いて、200人の子どもたちの先頭にたってゆっくりと貨車に乗りました」、と。最後まで子どもたちの心に不安を、恐怖を与えないような心配りでした。わたしたちも子どもの心を不安にさせないよう、子どもたちを愛し、子どもたちのため祈り続けたいと願っています。

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