☆毎年8月になると、「おとめシオンの城壁よ 主に向かって心から叫べ。昼も夜も、川のように涙を流せ。休むことなくその瞳から涙を流せ」(2:18)、「わたしの目は休むことなく涙を流し続ける。主が天から見下ろし 目を留めてくださるときまで」(3:49、50)という哀歌の詩に思いを深くします。哀歌はイスラエルの民の敗戦記念日の礼拝の式文ですので、イスラエルの民は敗戦記念日を迎えると、その礼拝でかつての戦争で「幼子は母に言う パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。都の広場で傷つき、衰えて、母のふところに抱かれ、息絶え」(2:12)たこと、そして「街では老人も子どもも地に倒れ伏し おとめも若者も剣にかかって死」(2:21)んだことを心に刻み、涙を流し続けたのです。73年前、わたしたちの国が敗北した戦争でもそうでした。73年たってもあの戦争で受けた心の傷、痛み、悲しみを負い続けている人が国内にも、国外にもおられます。とくに沖縄やアジアの国々の人々に与えた苦しみをわたしたちは忘れてはならないことを思わされ、川のように涙を流し続け、地に平和をと祈った8月でした。
☆先月のこの欄で、身近な方々が相次いで召されたことを記した直後、7月24日、村井政幸さんが召されました。村井澄江さんの夫です。7月22日に召された吉田治彦さんと同じく歯医者さんでした。そして吉田さんと同じ時期、10年前に病気のため倒れました。吉田洋子さんと村井澄江さんはここ数年、励まし合って歩んでこられましたが、吉田治彦さんが召された2日後に村井政幸さんが召されました。村井政幸さんは、洗礼は受けておられませんでしたが、お訪ねすると、一緒に「主われを愛す」を歌い、祈ると、大きな声で「アーメン」とおっしゃいました。村井澄江さんと三人の子どもさんたちの上に主の慰めを祈ります。
☆今年の夏、うれしかったのは、甲子園で行われた夏の高校野球大会で秋田の金足農業高校が活躍したことです。かつて在任していた秋田の教会に金足農業高校の野球部のOBの方がいました。その方の在学中は戦時中のため大会は行われませんでしたが、夏の高校野球が始まると、その方は金足農業高校の試合のとき、県大会にも甲子園にも必ず応援のため行きました。その方は、今回は天国からの応援でした。それにしても東北は百回の大会のうち九回は準優勝ですが、一度も優勝はありません。東北の高校の優勝を待ち望む東北人のひとりです。