★72年目の8月6日、9日、15日でした。7日の「朝日新聞」の社会面のトップに広島教会員戸田照枝さんの大きな写真とともに6日広島教会で証言したことが報じられていました。戸田さんは、「あの日」、広島駅近くで、勤労動員の作業開始を待ちながら,友人と髪を編んだり編んでもらったりしていたとき、原爆が投下し、地面にたたきつけられ、その友人は倒れたまま動かなくなってしまいました。炎が迫り、戸田さんは逃げました。わたしは戸田さんの証言を何度か聞きましたが、友人を見捨てて逃げてしまったという罪悪感から,証言のたびに戸田さんは涙が止まらなくなります。戸田さんは今がんの末期でホスピスから教会に来て証言されました。「命のある限り、ヒロシマの声を叫び続けたい」と声を振り絞るように語った戸田さんをはじめ被爆者の切々として訴えに耳を傾け続け、すべての「核」が地上から葬り去られるよう祈るものです。
★13日(日)朝、神学校の同級生が、クラスメートの木村武志君が亡くなったことを知らせてくれました。4年間、神学校で学びを共にし、40数年それぞれの地で伝道・牧会に励んできた仲間の死は大きな衝撃でした。わたしのクラスは他の学年と違って、卒業以来一度もクラス会をしたことがありません。どちらかというと地方の小さな教会で地味に伝道しているので、金銭的な余裕がなかったり、教会という現場を留守にするためらいがあったからです。でも祈りにおいて励まし合ってきました。木村君は、広島の山間部にある油木教会、神奈川の船越教会、鹿児島の鹿屋教会で奉仕したのですが、連れ合いの健康の不安とともに彼自身も癌を患い、10年ほど前に隠退しました。クラスで一番先に隠退し、一番先に召されました。同級生の死は始めてですが、連れ合いを亡くした同級生は2人、また連れ合いが寝たきりになっている同級生が2人います。わたしもそうですが、牧師は、自分の体をすり減らしてまで支えてくれる連れ合いによって牧師としての働きを行うことができていることを思わされます。小さな教会で、み言葉を証しし続けた彼の労苦を神さまは無になさらず、「わたしの救いを地の果てまで、もたらす」(イザヤ49:6)働きをした伝道者として位置づけておられることを信じるものです。体の弱い彼の連れ合いは看病の疲れから高熱を出し、前夜式にも葬儀にも出ることができなかったそうです。主の慰めと平安を祈ります