牧師室の窓から 2016年1月

★新しい年、2016年を迎えました。年頭に思いを深くしたのは、D.ボンヘッファーが、獄中で1944年の年末に作った詩、『良き力に』でした。その詩のしめくくりにこう記されています。 「良き力にすばらしく守られて、何が来ようとも、われわれは心安らかにそれを待とう。神は、夜も朝もわれわれのかたわらにあり、そしてどの新しい日も必ず共にいまし給う。」   国内外において命が軽んじられ、為政者は経済や防衛にのみ力を注ぎ、苦しみ、痛みの中からの叫びに耳を傾けようとしません。世界では貧しい36億人と裕福な62人の富が釣り合うことが報じられました。格差がこれほどまで大きいことに世界中の人々が衝撃を覚えています。こうした世界に生きるわたしたちですが、なお望みを失うことなく、「夜も朝もかたわらに」おられる方に励まされ、「心安らかに」新しい年の歩みをと祈ります。

★1月21日、妻の母親が99年3ヶ月のこの地上の歩みを終えました。自然の草花を愛し、刺繍や詩や短歌に親しむ人でした。63年前に調布教会で洗礼を受けました。洗礼を授けて頂いた原田季夫先生が1967年に亡くなった時、先生の追悼文集に母が書いていた詩を、牧師が葬儀のとき紹介してくださいました。以下はその詩の一部です。  「・・・・私は、重く背にのしかかる無気味な力を感じる。私のか細い両腕の力ではどうする術もないものを。死と云う現実の前で、私は今日まで何度たじろぎ、おののいたろうか。愛する方を失った悲しみを、誰かが否定するなら、私は生命をかけて反対するかも知れない。ほおに流れる涙を『どうぞ拭わないで下さい』と哀願するにちがいない。私は今、この苦しいほどの悲しみを 誰にも伝えたいとは思わない。静かに、目を閉じて気のすむまで祈りたい。私の心の隅で、いつも私をささえていて下さった方を、神様の御傍にお送りする日が、こんなにも早く訪れようとは。やわらかなお声でお話しをして下さった病院での短い一時 あの日も窓の外は雨だった。あまりにも小さな箱の中にお入りになった先生 はっきりと、目の前に白い包みを見た瞬間、涙が出るのを忘れてしまった。何処かへ失われたような心の動揺。・・・」  この詩をご紹介頂き、母の信仰に思いを深めることができ、あわせて「牧師」として襟を正される思いでした。

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