牧師室の窓から 2015年6月

★6月14日は、花の日礼拝・子どもと大人の合同礼拝でした。子どもさんたちが9人出席しました。その日示された聖句は、洗礼者ヨハネが獄中からイエスさまのところに 自分の弟子たちを送って、「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねさせた箇所でした。グリューネバルトの「磔刑のイエス」を拡大コピーし、十字架上で息を引き取られ たばかりのイエスさまを指差し、この人を指差して間違いでなかったと告白する洗礼者ヨハネの信仰に思いを深めました。そして、わたしたちの教会の88年の歴史で既に召 されている人々が天上にあって、ヨハネと同じく、自分たちはイエスさまを指差し、イエスさまに従う歩みができて良かったと告白しているその信仰を受け継ぎたいと語りま した。

★6月23日は、沖縄の慰霊の日でした。この日になると思い起こすのは、『ある小学校校長の回想』(金沢嘉市著 1967 岩波新書)の一節です。  《昭和27年4月28日には平和条約発効の日、日本の『独立』した日である。学校から程近い銀座通りは旗とちょうちんとネオンでまばゆいばかりであった。学校によっ ては独立記念の式がはなやかに繰りひろげられたところもあったときいている。私たちの桜川小学校でも同じように記念の式をした。森校長は今日の式のわけを子どもたちに 解説した後、手に持った一通の青封筒の手紙を読みだした。それは沖縄の那覇市つぼや初等学校の一児童からのもので、その日の朝届けられた手紙であった。この手紙を朗読 した後、「きょうのうれしい日に同じ日本人でありながらこの喜びをともにできないお友だちのあることを忘れないようにしましょう」とやさしく結んだ校長の顔には暗涙が うかんでいた。そしてとうとう日本万歳の三唱ができなかったのである。万歳三唱をしなかった独立記念の儀式は今もあざやかに私の心の中に焼き付いている。これはどう見 ても悲痛である。そしてこれが独立国日本の現実である。この現実に目をおおった教育をするとしたら、それは真実の教育と言えないのである。》  小学校4年の時、岩手の小さな町の小学校で、あの日、万歳三唱をし、ちょうちん行列をして、『独立』を祝ったわたしは、沖縄の人々への負い目があります。それだけに 、沖縄の人々の願いを考慮することなく、『法治国家だ』、『唯一の解決策』だと声高に主張して、普天間基地の辺野古への移設を強行しようとしている政府の姿勢に心痛む 思いです。

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