牧師室の窓から 2012年1月 

★1月1日の週報そして年賀状に山村暮鳥の『人間に与へる詩』を記しました。太い根であるイエスさまが、どんな嵐のときにも踏ん張って私たち一人一人を支えていてくださるという山村暮鳥の信仰告白の詩です。その暮鳥に『大きな腕の詩』があります。こういう詩です。  

   どこかに大きな腕がある 自分はそれを感ずる    
   自分はそれが何処にあるか知らない それに就いては何も知らない    
   而もこれは何といふ力強さか その腕をおもへ  その腕をおもへば 
   どんな時でも何処からともなく此のみうちに湧いてくる大きな力    
   ぐたぐたになってゐた体?(からだ)もどっしりと    
   だがその腕をみようとはするな 
   見ようとすれば忽ちに力は消えてなくなるのだ 盲者のやうに信じてあれ
   ああ生きの苦しみ その激しさにひとしほ強くその腕を感ずる
   幸薄しとて呟くな どこかに大きな腕があるのだ
   人間よ 此のみえない腕をまくらにやすらかに 抱かれて眠れ


 イエスさまが大きな腕、太い根となってどんなときにも私たちを支えていて下さるという暮鳥の信仰に励まされてこの一年歩んでいきたいと願っています。


★過日の新聞に、大江健三郎さんが、3月11日で私たちが直面したことは何かということで、お二人の政治学者の言葉を紹介していました。お一人は坂本義和氏の言葉です。「日本国民は、人間のおごりの上に成り立つ、今の生き方、生活様式そのものを変革して、世界的格差のない人類共有となりうる『モデル』を創る道を探る時ではないか。今回の天災と人災とが、それを、われわれに問うているのだ。」 もう一人は宮田光雄氏の言葉です。「電力消費の問題一つとってみても、いわゆる豊かさを追い求めるのではなく、たとえ貧しくなろうとも、日常生活の不便さを忍んでも、人間らしく生きるとはどういうことか、真に生きることの意味を深く問いつづけなければなりません。そのことなくしては、《いま人間であること》そのものが成り立たなくなっているのです。」
 お二人の政治学者の問いに真摯に向き合おう、という大江さんの提言に、私たちも心して耳を傾けなければならないことを思わされています。

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