牧師室の窓から 2018年11月

★今年の5月から主日礼拝で、エフェソの信徒への手紙を学んでいますが、11月18日の礼拝で、6章10節~20節に耳を傾けました。そのときに深い思いにさせられたことは、この手紙のしめくくりともいうべき6章19節と20節でパウロは二度も「わたしのために祈ってください」と書き記していることです。パウロはローマの信徒への手紙でもテサロニケの信徒への手紙でも、手紙のしめくくりのところで「わたしのために祈って欲しい」と願いでています。パウロは背後の教会の祈りに支えられ、励まされて伝道に励んだのです。

今から50年も前ですが、東京神学大学の最終学年のとき、学内の礼拝でわたしはローマ人への手紙15章30~33節をテキストにして説教しました。パウロがローマの教会に「兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力を尽くして、わたしのために神に祈ってほしい」(口語訳)と願い出ている個所です。この個所で、「わたしのために神に祈ってほしい」は、原文では「わたしのために神に祈る祈りにおいてわたしと共に戦って欲しい」、です。宗教改革者カルヴァンはこの個所をこう説き明かしています。「信仰者たちから祈りによって助けられることは、神のまことに大きい慈しみであるため、パウロのごとき神の非常に優れた器である人でさえ自分自身のためにこれを軽んじることを欲しなかった。それゆえわれわれのような人間が、このように祈られることを願わないのは何という無気力さであろうか」、と。神学校の卒業を前にして、教会の方々が祈りにおいていつも共に戦ってくださる、その祈りに支えられながら伝道者として歩むことの大切さを示され、感謝でした。卒業後50年間、遣わされた教会の皆さんの祈りに支えられ、今日まで教会に仕えることを許されました。

★本日は伝統的な教会暦では一年の最後の主日で、次週12月2日から主のご降誕の心の備えをする待降節です。この一年、わたしたちの茅ヶ崎教会は途方に暮れ、うろたえ、御心を問うことの多い日々でしたが、本日の主日礼拝で耳を傾けた御言葉に励まされ、クリスマスを迎えたいと願います。

 「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)

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