牧師室の窓から 2017年4月

★16日(日)はイースターでした。前日の土曜日の15日、教会学校の教師たちが朝から150ヶのタマゴを細心の心配りをしながらゆで、 午後からはラッピングをしました。16日朝、教会学校教師が集会所の庭にタマゴを隠しました。その日の教会学校のイースター礼拝には生徒が13名、 子どもさんと一緒に出席した大人が12名、教会学校教師が8名、全体で33名でした。ふだん出席出来ない子どもたちも出席し、うれしいイースター礼拝でした。 礼拝に引き続き、子どもたちが楽しみにしていたタマゴ探しをしました。大人のイースター礼拝にも多くの方がおいでになり感謝でした。 礼拝後には子どもたちが出席者お一人お一人にイースターエッグ(タマゴ)を配り、イースターの喜びを共にしました。また、その日の午後、 手分けして、礼拝においでになれなかったご高齢の方、ご病気の方にイースターエッグをお届けしました。お届けしたのは翌日の月曜日になった方もいましたが、 イースターの恵みを多くの方と分かち合うことができたことを感謝しています。

★田中節子さんが4月8日(土)未明逝去されました。90歳でした。戦時中、東京の女学校を卒業した田中節子さんは、祖父母がいた茅ヶ崎に疎開し、 東京計器という軍需工場に就職しました。その職場には馬場芳春さん、市村モトさん、田中昭司さんがおられました。 敗戦の一ヶ月前、火薬省があった平塚が空襲で焼け野原になりました。節子さんは平塚におられる同じ職場の田中昭司さんを案じ、 空襲から三日目に野菜、果物、鍋、釜、マナ板、包丁を積んで茅ヶ崎から平塚まで自転車を走らせました。そのひたむきさが田中昭司さんの心を捕らえました。 戦後まもなく親の勧めで節子さんは結婚し、女児を与えられたのですが、病弱の節子さんは生後八ヶ月の子どもを婚家において離婚しました。 失意のうちにあった節子さんを教会へ誘ったのが市村モトさんでした。離婚して3年目、田中昭司さんと再会し、 節子さんの洗礼式のとき田中昭司さんが教会にはじめておいでになりました。田中節子さんが洗礼を受けた1954年4月18日は現会堂での最初の洗礼式、 田中昭司さんと結婚した1956年4月28日は現会堂での最初の結婚式でした。証人は市村正さんとモトさんでした。 茅ヶ崎教会の戦後の歴史を肌で知り続けた田中節子さんの信仰を大切に受け継いでいきたいと願っています。

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