牧師 田村 博
「だれがわたしに触れたのか」
旧約 エレミヤ書30:21~22 新約 マルコによる福音書5:25~34
田 村 博
主イエスと弟子たちの周りには、大勢の群衆が集まっていました(5:24)。昨日や今日に始まったことではありません。すでに何日も前からそのような状態でした(4章)。一行は「ゲラサ人の地方」に舟に乗って渡り、戻ってきました。それでもその群衆は消えていませんでした。それどころか、噂が噂を呼び、むしろ増えていたかもしれません。特に病と向かい合い、苦悩している人々の間に、その噂は広がっていきました。1章(重い皮膚病の人を含む病人の癒し)、2章(中風の人の癒し)、3章(手の萎えた人の癒し)と癒しの御業の記録が続きます。実際にはこれだけではなかったに違いありません。
5章21節以下には、2人の異なる病人についての記録が記されています。一人は、ヤイロという会堂長の娘、そしてもう一人が今日の聖書箇所にある十二年間出血の止まらない病を負っていた女性です。サンドイッチのように前者が後者を挟み込むようなかたちでここに記録されています。主イエスとの距離感についていえば、両者はまったく異なります。前者は、主イエスに正面から堂々と申し出ましたが、後者は群衆の中に隠れてコッソリと主イエスに近づいたのです。今回、サンドイッチの内側の部分のみを見てみましょう。
なぜ、十二年間出血の止まらない病を負っていた女性は、コッソリと主イエスに近づいたのでしょうか? それには理由がありました。出血が止まらない状態について、旧約聖書の律法・レビ記に詳しく規定があります(レビ15:25~)。そこで繰り返されているのは「汚れた」状態であるということです。その人の使った寝具も、衣服も、触れたものさえも「汚れた」ものとされています。そして、出血が止まって1週間経過してそれが完全であると認められてから祭司のところにささげものをもって行って報告し、清めの儀式をしてもらわなければならなかったのです。主イエスの前に、堂々と進み出ることなど考えられないことでした。
住まいの周囲の人々は、彼女のことを知っていたでしょう。何とか助けてあげようという人もいたでしょう。しかし、律法で定められた距離を保ちながらの関わりでした。ユダヤ人の間に癒すことができる医者を見い出せず、ギリシアの優れた医者がいるという噂を聞けば、たとえ遠方であっても尋ねたことでしょう。ペルシャの向こう、インドから有名な医者がやってきたという噂を聞けば、たとえ診察してもらうのに大金を持参しなければならないと聞いても、なんとか都合して診てもらったでしょう。しかし無駄でした。もちろん、結婚など夢のまた夢だったことでしょう。
「汚れた」者であるゆえに、町中を堂々と談笑しながら歩くことは赦されていませんでした。この時も、彼女は、自分を知っている人がいないだろうかとおびえながら、それでもなんとか主イエスを見失うまいと必死に群衆の中を進んだのです。顔を布で隠しながら、少しずつ少しずつ主イエスとの距離を縮めていきました。そして、とうとう、主イエスの衣に触れたのです。後ろから、そっと!
ルカ福音書では彼女が触れたのは「イエスの服の房」と伝えています。本当にほんの端切れにわずかに触れたのです。「すぐ出血が全く止まって」(29節)とあるように、その瞬間、彼女は、自分の体に起きたことを感じました。「嬉しい」などと落ち着いて受けとめる余裕などこれっぽちもなかったことでしょう。
ところがです。何と主イエスが、それまで、ヤイロの家に向かって急いでいた主イエスが突然立ち止まり、振り返ったのです。そして、おっしゃいました。
「わたしの服に触れたのはだれか。」(30節)と。
弟子たちの「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」(31節)という答えは、しごくもっともなものでした。大勢の群衆が、主イエスに迫っていたのです。
「押し迫っていた」と訳されている御言葉は、「共に」と「押す」を合わせた言葉で、「押し合う」という意味です。塚本訳聖書では、24節を「大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。」、31節を「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおっしゃるのですか。」と訳しています。単に近づいていたのではない。群衆は、将棋倒しになりかねないほど、後ろの人が前の人を押し…という状態でした。
しかし、主イエスは、立ち止まったままで、「触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。」(32節)のです。ザワザワと騒々しかった群衆が、一瞬、静かになったことでしょう。すべての人の視線が、主イエスに注がれたに違いありません。
なぜ、主イエスはそこで立ち止まり、「わたしの服に触れたのはだれか。」とおっしゃったのでしょうか。自分の力が盗み取られたことを赦せなかったのでしょうか? 当事者を発見して問い詰めようとしたのでしょうか? 決してそうではありません。
12年間の苦しみ。それがどんなに大変だったかを、主イエスは一瞬にしておわかりになったに違いありません。人々から「汚れたもの」とみなされ、人前には出られず、したいと思うことを何一つできず、財産も底をついて、涙も枯れ果てたような、彼女のすべてを一瞬にしておわかりになったのです。
主イエスには、その瞬間こそ、彼女が、それまでの人の目を避けて生きてきた人生と決別する瞬間であることがわかっていました。かけがえのない瞬間であることが、わかっていました。そんな大切な、かけがえのない瞬間が、世界の片隅で誰にも知られずに通り過ぎてしまうことを、主イエスはお許しにならなかったのです。彼女が、主イエスとつながることを通して与えられた瞬間でした。
他の何ものでも癒すことのできない、他の何ものでも解決することのできないものが、主イエスとのつながりの中にあることを、この出来事は、弟子たちに示し、またわたしたちに示しています。
女性のしたこと、すなわち服に触れるという行為は、とてつもなく「小さなこと」かもしれません。しかし、主イエスは、その「小さなこと」の中にある「信仰」を見逃されませんでした。
わたしたちも、自分にできることなどは、とても「小さなこと」しかないように考えているかもしれません。しかし、主イエスは、その「小さなこと」の中にある「信仰」を決して見逃さないお方なのです。
先週の教会修養会の講師・キスト岡崎さゆ里先生は、主日礼拝の説教の中でご自身の証しもしてくださいました。ご自身の育たれた栃木県ではキリスト教主義学校(ミッションスクール)がほとんどなく、神奈川県のような状態とは全く違うとおっしゃていました。キリスト者であるということは、とても「小さな」存在で、そのことを隠すようにして幼少期を過ごしていたとおっしゃっていました。しかし、日本という枠を一歩出て、アメリカに留学し、そこで堂々と語るたくさんのクリスチャンと出会われました。しかも、その人々が、わずか1%にも届かない日本のクリスチャンのために、祈り、支えてくれているのだという事実を知ったのです。
日本のわたしたちの群れは、それは小さな群れにすぎないかもしれません。しかし、その背後には、実に多くの存在があるのです。そのことを知るとき、わたしたちにも今、できることがあることに気づかされるのではないでしょうか。それは、「小さなこと」のように思っていたものに対する価値観が大転換する瞬間かもしれません。この女性が、主イエスの衣に触れるという「小さな」アクションからスタートしたように、わたしたちも、たとえ「小さなこと」のように感じたとしても試してみる価値があるのではないでしょうか。
「女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。」(33節)とあります。ルカ福音書では、「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。」(8:47)と伝えています。堂々と喜びの報告を、力強く証ししたのではないのです。震えながら、しかし、「すべてをありのまま」話したのです。主イエスの前で「ひれ伏し」たとは、主イエスを「礼拝」したということです。主イエスに向かい合うとき、わたしたちは、何一つ隠す必要ないことを肌身で教えられます。「すべてをありのまま」こそ大切なのです。主エスは、そこにある「信仰」を決して見逃されません。そして優しく語りかけてくださいます。「安心して行きなさい。」(34節)と。「安心して」とは、「平和のうちに」と訳される御言葉です。「平和(エイレーネー)」は、ヘブル語の「シャローム」です。神様との正しい関係、すなわち主イエスの前で「すべてをありのまま」さらけ出すその時に、主イエスご自身がおかけくださる御言葉です。
このような「癒し」は、特別なものなのでしょうか? 決してそうではないように思います。
青山学院大学教授である科学者・福岡伸一氏は、わたしたちの体を構成する細胞の「動的平衡」にわたしたちが目を向けるように促しています。わたしたちの体を構成する物質を分子レベルで見ると、実は、3か月ほどでまったく入れ替わっているのだと指摘します。それぞれの細胞が必要なものを補って生命を保っているのではなく、積極的に分解し、新しいものを作り続けているというのです。その意味で、神様の「癒し」の御業は、常に働き続けていると言えるのです。今この瞬間も、神様の「癒し」は、現在進行形で展開され続けているのです。
主イエスの御業は、今もなされ続けています。復活の主イエスは生きて働いておられます。わたしたちの日常の只中にあって、その御業は常になされているのです。
2025.10.12主日礼拝
