牧師 田村 博
「恐れることはない」 イザヤ書12:1~6 マタイ28:1~10 2025.4.20
世界で最初の復活日(イースター)の朝について、本日の聖書箇所は、大切なメッセージを届けてくれます。4つ福音書を読むと、その主役は主イエス・キリストご自身ですが、その近くにいた存在として最も多く書き記されているのは、弟子たち、特に12使徒です。しかし、復活の朝、そこに登場するのは女性たちです。1節をご覧ください。
「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」(28:1)
「もう一人のマリア」とは、誰のことでしょうか。直前の27章には、マグダラのマリアと並んでマリアという人物の名が繰り返し記されています。一つは、主イエスが十字架の上で息を引き取られた場面です。
「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」(27:55~56)
それは「ヤコブとヨセフの母マリア」です。さらに、主イエスが十字架から取り降ろされて墓に葬られるその場面には、次のように記されています。
「…岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」(27:60~61)
そこでは、「もう一人のマリア」と記されています。100%確実とは言えませんが、この流れからすると、28章に登場する「もう一人のマリア」とは、「ヤコブとヨセフの母マリア」と同一人物と考えるのが自然でしょう。それでは、「ヤコブとヨセフの母マリア」とは、聖書のどこに記されているのでしょうか。マタイによる福音書13章をご覧ください。主イエスが、故郷ナザレにお帰りになり、会堂で教えておられた時に、その土地の人々が驚いて言った言葉が伝えられています。
「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」(マタイ13:54~56)
つまり、28章の「もう一人のマリア」とは、主イエスの母マリアであると考えるのが最も自然でしょう。ヤコブは使徒言行録にも登場し(使徒12:17)、初代教会において大切な使命を担っていきました。パウロもガラテヤの信徒への手紙のおいて「ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。」(ガラ1:19)と記しています。ただし、ヤコブが主イエスの弟であるということをめぐっては、カトリック教会では別の解釈をしていますが、ここではこれ以上触れることは差し控えておきましょう。
本日の聖書箇所で大切なことは、主イエスの母マリアを「もう一人のマリア」というかたち取り上げ、2番目に置くことを良しとして「マグダラのマリア」を強調していることです。
マグダラのマリアについては、ルカによる福音書8章に次のように紹介されています。
「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」(ルカ8:1~3)
誰が見ても「七つの悪霊」に取りつかれているとしか思えないほどの行動をしていたマリアでした。身持ちが悪く、道徳的にも皆に後ろ指をさされるような素行だったに違いありません。マリア自身も、そんな自分をどうすることもできず、生きることに疲れ果てていたことでしょう。しかし、その彼女が主イエスと出会ったのです。そして全く変えられたのです。それまでしてきた数々の悪行を、主イエスによって赦さるという経験をしたのです。
ルカによる福音書の8章の直前には、「一人の罪深い女」(ルカ7:37)と呼ばれた女性と主イエスとの出会いが記されています。彼女は食事の席についておられた主イエスに対して、「香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」(ルカ7:37~38)のでした。その場にいた人々は、その様子を見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」(ルカ7:39)と思ったと聖書は伝えています。しかし主イエスは、借金を帳消しにしてもらった人のたとえ話をなさり、次のようにおっしゃいました。
「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカ7:47)
かつては「七つの悪霊」に支配され、自分を傷つけ、他人を傷つけ、そんな自分を大嫌いだったマグダラのマリアは、主イエスと出会い、その罪を赦されたのです。誰よりも多く赦されたのです。
主イエスの復活の日、世界で最初のイースターに、一番に登場するのがマグダラのマリアであることには大切な意味が込められています。復活日・イースターの朝、主なる神様がわたしたちに対してまず届けたかったメッセージとは、この「罪の赦し」です。主イエスが十字架の上で流してくださった貴い血潮ゆえに、その犠牲ゆえに、十字架を見上げるわたしたちにの罪をも赦してくださるのです。しかも、十字架は「死」で終わりではありません。「復活」へとつながっています。闇の中にうずもれて終わるのではなく、希望の光へとつながっているのです。
わたしたちは、世界で最初の復活日・イースターの朝、まず「マグダラのマリア」がこの聖書の箇所に登場していることをしっかりと心に刻みたいと思います。
次に、この聖書箇所にある「大きな石」に注目したいと思います。
主イエスが葬られた墓の入り口には「大きな石」がありました。他の福音書を見ると、その朝、墓に向かった女性たちがその「大きな石」をどうしようか、と話し合っている場面が書き留められています。しかも、その「大きな石」には、総督ピラトの権威を思い出させる「封印」がなされ、「番兵」が見張り
として配置されていました(マタイ27:62~66)。自分の力をはるかに超えたもの、人々が「これさえあれば大丈夫」と頼りにしていたもの、それがこの「大きな石」でした。しかし、復活日・イースターの朝、その「大きな石」が取り除けられたのです。
わたしたちも、しばしば「これさえあれば」といろいろなものに頼ります。しかし、それらがいとも簡単に取り除かれるという経験をします。世界で最初の復活日・イースターの朝、「大きな石」を取り除いたのは、地震でした。実際に、わたしたちも自然災害としての地震ゆえに、自分が頼っていたものがいとも簡単に崩れ落ちてしまうという経験をするものです。そして、しばしば恐怖と混乱の中に、どちらを向いてよいのかもわからなくなってしまうものです。
この場面で、天使は、マグダラのマリアたちに語っています。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」(マタイ28:5~7)
天使は、まず最初に「あの方は、ここにはおられない。」とマリアたちに告げました。さらに、「遺体の置いてあった場所を見なさい。」と促します。主イエスが十字架の上で息を引き取られ、墓へと運ばれ、墓に葬られたという現実をしっかりと見つめなおすように、受けとめるようにと促したのです。とんでもないことだからなかったことにするというのではなく、悲しいことは忘れようではないのです。「いない」という現実を、正面から見つめるように勧めたのです。
わたしたちは物体が存在することについては、他の人に証明したり説明しやすいものです。しかし、「ないこと」を証明することは、ある意味難しいものです。「ない」と言っても、見えないところに、何かの物陰に隠れて視界から消えているだけかもしれません。その難しいことを、天使たちはマリアたちに迫ったのです。同時に、天使の言葉にはその難しいことを可能にする大切なひと言が含まれています。
「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。」(28:7)
天使は彼女たちに新しい使命を与えたのです。
「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」(28:8)
マリアたちは、天使の言葉に従って一歩踏み出しました。信じて行動しました。その時、主イエスが彼女たちの目の前にご自身をあらわされました。
「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」(28:9)
「おはよう」と訳されている御言葉は、口語訳聖書では「平安あれ」と訳されていますし、他に「喜びがあるように」という訳もあります。しかし、新しい聖書協会共同訳でも、フランシスコ会訳、塚本訳でも「おはよう」と訳されています。「平安あれ」の方が格調が高いような気がしますが、あえて「おはよう」と訳しているのには理由があるように思います。辞書を調べると、この御言葉の意味として最初に出てくるのが「喜ぶ」という訳で、2番目が挨拶として用いられる訳なのです。それゆえ「喜びがあるように」も可能なのですが、あえて挨拶としての訳に徹しています。それは、この同じギリシャ語の御言葉が、マタイによる福音書26章49節でも用いられているからかもしれません。
「イエスを裏切ろうとしていたユダは、『わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ』と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、『先生、こんばんは』と言って接吻した。」(マタイ26:48~49)
主イエスは、ご自身がゲッセマネの園で捕らえられるその時に、ユダが言ったその言葉を、この場面で、復活の主イエスが語られた最初のひと言としてお語りになったのです。もちろん主イエスご自身がが語られたのは、アラム語あるいはヘブル語であって、聖書に出てくるのはその訳語としてのギリシャ語です。しかし、マタイによる福音書を記したマタイは、聖霊によって同じ言葉を用いるという決断へ導かれたのです。復活の主の最初のひと言として。主イエスは、ユダのこともすべてご存知でした。ユダのすべてをも受け入れ、ご自身の十字架の上に持って行かれ、十字架に留まられ、十字架の上で息を引き取られたのです。ユダばかりではなく、十字架の周囲にいた弟子たちの恐れも、自分の身の大切さゆえに何もできなかった弟子たち、遠く安全なところで見守っているしかどうしようもなかった婦人たちも含む人々の重荷、罪、過ち、弱さ、すべてを十字架の上にもって行かれたのです。そして、わたしたちの罪、弱さをも。そのお方が語ってくださいました。
「恐れることはない」(マタイ28:10)
わたしたちのありとあらゆる「恐れ」をも取り除く、力強い宣言がここにあります。そして、主イエスは語られました。
「ガリラヤへ行くように。」(マタイ28:10)
「ガリラヤ」とは、弟子たちが主イエスに招かれた場所です。弟子たちの主イエスとの出会いの原点です。主イエスと共に歩み、主イエスの御言葉をすぐそばで聴いた場所です。弟子たちの日常そのものです。
神殿のある礼拝の場所としてのエルサレムに留まるのではなく、日常へ行くように促されました。もちろんずっとガリラヤに留まったわけではありません。聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事は、エルサレムにて成就しました。
主は、この復活日・イースターの朝、わたしたちを礼拝へと招き、この御言葉と出会わせてくださいました。そして、間もなくここから日常生活へとわたしたちを派遣してくださいます。教会での礼拝、日常(週日)の御言葉の養い、その両方がわたしたちにとって必要なのです。
その中で、「恐れることはない」という主の御言葉が実現してゆくのです。